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万葉集の謎

5707文字

はじめに

ワシが小学校低学年の頃、学級担当の女教師が万葉集が大好きで良く万葉集の言葉を披露したのだが。万葉集の言葉を紹介しだすと上を向き、目が上にグリンとなり半昇天気味に話す、どうもHなところが好きらしい。

天皇問題で万葉集の疑問が蘇り少し調べた。万葉集、万葉語はキチガイを生むのか?(^_^;)

万葉集といえば「令和」

新元号「令和」の由来となった万葉集「梅花の歌」序と32首

奈良時代の初め、当時の大宰府の長官、大伴旅人の邸宅で開かれた「梅花の宴」で詠まれた。32人が梅の花を題材に歌ったものをまとめた序文として、大伴旅人自身が書いたもの。リンク

誰もが冷たい和(輪)と思うわけだが、「令和」という年号のネーミングは超〜邪悪!(^_^;)

「元号に関する懇談会」の各界代表や有識者合わせて9人のメンバーは日本の闇の世界の詐欺師!(^_^;)

年号については後のnoteで。


大伴旅人

大伴旅人は大宰府の長官、大納言で従二位。

大納言

令制官職の一つ。太政官の次官。和名では「おおいものもうすつかさ」と読み、唐名は亜相、門下侍中、黄門監(こうもんげん)という。定員は4人で、相当位は正三位。その職務は、大臣とともに国政を参議し、天皇に近侍して政務について奏上し、勅命を宣下する要職である。

◉「おおいものもうすつかさ」→「(民の頭を)覆うものを申す官職」
→万葉集。

従二位
藤原が多い。TOPクラスじゃない藤原。

令制官職の「令」の意味とは?

れい【令】 の解説
1 命令。布告。また、法令。「―を下す」「解放―」2 古代中国の官制で、地方長官。特に、郡県制における県の長官。
3 明治初期、府・県の長官。知事の旧称。
4 鎌倉時代、政所 (まんどころ) の次官。
5 律令制で、京の四坊ごとに置かれた責任者。坊令。

6 ⇒りょう(令)
古代、中国を中心とする東アジア諸国の法典。律とともに国家の基本法典で、のちの行政法・訴訟法・民法などにあたるすべての規定を含む。日本では飛鳥浄御原  令・大宝令・養老令などが順次に制定された。実際に全国的に実施されたのは大宝令。→律令政治


「梅花の宴」?

梅花の宴は、大宰帥(太宰府の長官)である大伴旅人邸に植わっていた梅の花を愛で、歌を詠みあおうというのが趣旨。各地方に遣わされた天皇の部下の役人(旅人)たちが集まり、その歌の内容からは民はともかくコイツラだけ楽しそうな雰囲気が伝わって来る。

万葉集の歌が詠まれた奈良時代は、「梅」は中国から伝わってきたばかりでとても珍しい植物。その当時、中国は文化の最先端であり、その国からもたらされた美しい植物の梅は、貴族たちの間でおおいにウケた。

⬇️ 桜だけでなく梅の花の情報もあるよ。当時「梅」は中国から伝わったばかりなんだ。最初は梅で、後に桜で奴隷たちが苦しむさなか優雅に歌を歌い宴会となった。(^_^;)

太宰府は九州の福岡あたり

奈良の都からは遠く離れた九州の太宰府ですが、大陸との窓口であり、最新の大陸の奴隷統治文化を取り入れる土地であったことも関係している。

万葉集

「万葉集」は、奈良時代末期に成立したとみられる日本に現存する最古の和歌集である。

左の百人一首の札の絵は、
皇室史上3人目の女性天皇の持統天皇。

天皇、貴族から下級官人、防人の歌、大道芸人、農民、東国民謡(東歌)など、さまざまな身分の人々が詠んだ歌が収められておりとされるが、今日ではほぼ全ての研究者から否定されているという。

そりゃそうだよな、

朝廷の貴族が奴隷にした民の和歌を貴族が編纂するか??(^_^;)

防人の歌」だけは確かに一般人だけど

防人とは、古代中国や、日本の飛鳥時代から平安時代、律令制度下で行われた軍事制度である、天皇・朝廷に無理やり徴兵された農民のこと。食糧武器も各自で調達しなければならない上に、の免除も行われなかった極限の状態の兵士。この状態で、「天皇・役人死ねや!」という和歌があればともかく・・かわいそうなせつない歌ばかり(´;ω;`)ウッ…

【万葉集の全巻の構成】

巻1:宮廷を中心にした雑歌
巻2:宮廷中心の相聞歌・挽歌
巻3:巻1・巻2を補う歌
巻4:巻1・巻2を補う歌。恋のやりとりの歌
巻5:太宰府を中心にした歌
巻6:宮廷を中心にした歌
巻7:作者名のない雑歌・譬喩歌・挽歌
巻8:四季ごとの歌
巻9:旅と伝説の歌
巻10:作者名のない四季の歌
巻11:恋の歌・相聞歌のやり取り
巻12:巻11に同じ
巻13:長歌を中心とする歌謡風の歌
巻14:東国で歌われた東歌
巻15:遣新羅使人の歌、中臣宅守と狭野弟上娘子の悲恋の歌
巻16:伝説の歌、滑稽な歌
巻17:巻20まで大伴家持の歌日記。若い頃の周縁の人々の歌
巻18:越中国の歌など
巻19:孝謙天皇時代の歌もある
巻20:防人の歌も含まれる

万葉集には7世紀前半から759年までの約130年間の歌が収録されており、成立は759年から780年ごろにかけてとみられ、編纂には大伴家持が何らかの形で関わったとされる。

大伴家持(718年頃〜785年10月5日)

『万葉集』の編纂に関わる歌人として取り上げられることが多いが、大伴氏は大和朝廷以来の武門の家であり、祖父・安麻呂、父・旅人と同じく律令制下の高級官吏として歴史に名を残し、延暦年間には中納言にまで昇った。摂津国住吉郡を本拠地とした天孫降臨の時に先導を行った天忍日命の子孫とされる天神系氏族。(ゆえに唐人)


『万葉集』の冒頭の歌は、雄略天皇の御製の歌

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