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51.第六天魔王波旬『シヴァ神』編

仏教を広めた者たちは最高神と各神々からの天罰が下る!

情報はすべて日本語のwebに転がってた。集めただけなので無料。でも干上がるので投げ銭よろしく・・・ヽ(;▽;)
最大/最強に重要な情報を知っているのに世間は意味がわからない、または戸惑い間違った解釈をつける。とても気になるのだけど分からない者同士で会話している。他の情報とつなげて考えることができない。整理して行こう〜シリーズ連載だ。結論を出す!7255文字

分からない理解が浅い言葉はすべて注釈入れて書いてあるので、読みづらいかも知れない。そうであったらリンク先に飛んで読んでください。m(_ _)m

あらすじ

天魔とは第六天魔王波旬(はじゅん、より邪悪なもの)すなわち仏道修行を妨げている悪魔のことである。

天子魔・他化自在天・第六天魔王(あるいは単に魔王)ともいう。また、天魔の配下の神霊のことを表す場合もある。

涅槃経においては天魔が釈迦の教えを破壊するために釈迦や比丘(僧侶)や優婆塞、聖者や阿羅漢のふりをして矛盾する教えを説く事が説かれている。

日蓮は、第六天の魔王を、仏道修行者を法華経から遠ざけようとして現れる魔であると説いた。


関連項目が面白い

大自在天
マーラ
悪魔
魔縁
降魔
第六天神社
観福寺 (香取市山倉)
実相寺 (富士市)
鈴鹿御前
足利義教
織田信長

大自在天(だいじざいてん、マヘーシュヴァラ、摩醯首羅、まけいしゅら)は、仏教におけるヒンドゥー教の神シヴァである。仏教では「自在天外道の主神」とされる。

大自在天は万物の生本たる義によって、シヴァ派の人々は人間の男根を天神の神実(かみしろ)として祀る。またシヴァ神はリンガ(男根)を象徴とし、男根崇拝と結びついて崇められる。

魔縁(まえん)とは、仏教用語で、障魔となる縁(三障四魔)のこと。また特に第六天魔王波旬を指す。

第六天魔王波旬(第六天神・自在天)は、インドの破壊の神シバ神が由来だとされており、仏教では釈迦をたぶらかしにやってきた、煩悩の世界(第六天)の悪魔・大魔王である。

太平記では第六天魔王こそが、元々日本を支配した神であり、仏教を寄せ付けないという約束で天照大神に日本の支配権を譲ったとする。

今回のnoteのテーマ

第六天魔王は天照大神に述べた、「仏教を広め、国を乱し、人民を苦しめる者があれば、魔王の眷属が必ず罰を与え、死をもって報いさせよう」。そして、1300年代前後の時代、第六天魔王が天照大神より上位の神と分かる書物がいくつかあるのだ。

中世の日本の仏教は、仏典に出てくる釈迦の邪魔をするマーラこと悪魔は、シヴァ神だと知っているのだ。

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第六天とは

六欲天(欲界六天)の最高第六位に位する天。この天に生まれたものは他の作りだした楽事を受けて自由に自分の楽とするという。

 ◉江戸時代、魔王を祀った社。

◉里の女が現われて、仏法を妨げるものがあろうという神のお告げを伝えて消える。やがて欲界第六天の魔王が群鬼を従えて現われるが、素盞嗚尊(すさのおのみこと)が宝棒でこれを打ち退散させる。

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龍と戦っているし、スサノオは敵である情報多すぎ、
いつか並べてみよう( ̄▽ ̄;)

◉有頂天は第六天の魔王がすむ世界。

◉仏界を除く最高位の世界。その頂上にあるこの天が有頂天とよばれ、修行を究めた人がこの天に昇ることが出来るとされる。なお、極度の喜びを表す「有頂天になる」という表現はこの仏教語に由来し、この場合は天は天神の意味であるので、「天になる」と表現される。


この情報は「太平記」と「沙石集」にある

説明は「太平記」から

太平記

『太平記』は、日本の古典文学作品の1つ。歴史文学に分類され、日本の歴史文学の中では最長の作品とされる。ジャンルは軍記物語。成立は室町時代。

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全40巻で南北朝時代が舞台。(1318年 (文保2年) - 1368年(貞治6年)頃までの約50年間)を書く軍記物語。怨霊鎮魂的な意義も指摘されている。
成立と作者
作者と成立時期は不詳であるが、今川貞世の『難太平記』に法勝寺恵鎮上人円観)が足利直義に三十余巻を見せたとの記事があり、14世紀中ごろまでには後醍醐天皇の崩御が描かれる巻21あたりまでの部分が円観、玄慧など室町幕府との密接な関わりを持つ知識人を中心に編纂されたと考えられている。室町幕府3代将軍足利義満や管領細川頼之が修訂に関係していた可能性も指摘されている。

いずれにせよ、一人の手で短期間に出来上がったものではないだろうと考えられている。

太平記の『第六天魔王波旬』の記述

イザナギ・イザナミの第一の御子神が「この国の主と成て」伊勢に鎮座した時、第六天魔王が現れた。

魔王は、この日本の国に仏法が広まると力を失うという理由から、天照大神の働きを妨害しようとした。

そこで天照大神は、魔王に「私は仏・法・僧の三宝には近づかない」と誓った。魔王は怒りを鎮め、その血で契約書を書き、天照大神に手渡した。

「世界が滅び去るまで天照大神の末裔をこの国の主とする。もし、天皇の命に従わず、国を乱し、人民を苦しめる者があれば、魔王の眷属が必ず罰を与え、死をもって報いさせよう」。

>『天皇の命に従わず』なんで最後そうなるの?(;´Д`)
話が合わねぇ。まあ、そう無理に付けたんだろうけど・・・。


次は、沙石集の説明

『沙石集』

『沙石集』は、鎌倉時代中期、仮名まじり文で書かれた仏教説話集。十巻、説話の数は150話前後。無住道暁(号は一円)が編纂。弘安2年(1279年)に起筆、同6年(1283年)成立。その後も絶えず加筆され、それぞれの段階で伝本が流布し異本が多い。記述量の多い広本系と、少ない略本系に分類される。

『沙石集』の名義は「沙から金を、石から玉を引き出す」ことをいい、世俗的な事柄によって仏教の要諦を説く意味であると言われている。僧侶の立場から経典を多く引用しているが、作者が博識であり好奇心に富んでいるため、単なる説教を脱化して興味津々たる文学作品となっている。

日本・中国・インドの諸国に題材を求め、霊験談・高僧伝
から、各地を遊歴した無住自身の見聞を元に書いた諸国の事情、庶民生活の実態、芸能の話、滑稽譚・笑話まで実に多様な内容を持つ。その通俗で軽妙な語り口は、『徒然草』をはじめ、後世の狂言・落語に多大な影響を与えた。


『沙石集』の第六天魔王の話の部分はここにある

解説

中世日本紀(ちゅうせいにほんぎ)は、日本中世において、『日本書紀』等に基づきながらも主に、本地垂迹説などに則り多様に解釈・再編成された神話群の総称、あるいはそのような解釈・再編成の動きを指す学術用語である。前者については、中世神話とも呼ばれる。
本地垂迹(ほんじすいじゃく)とは、仏教が興隆した時代に発生した神仏習合思想の一つで、神道の八百万の神々は、実は様々な(菩薩や天部なども含む)が化身として日本の地に現れた権現であるとする考え。


『沙石集』での第六天魔王波旬』の記述

『沙石集』には、伊勢神宮の神職に聞いた話として、次のような記述がある。

天照大神が日本国土を創生した際、海中に大日如来の印文があるのを見て鉾で海底を探り、そのから滴が滴り落ちた。その様を見た第六天魔王は「この滴が国となって、仏法流布し、人倫生死を出づべき相がある」として、この国を滅ぼそうとした。天照大神は、これに対し「我は三宝の名”を言わないし、自らにも近づけないから帰り給え」と言い追い返した。この約束を守るため、伊勢神宮では僧を近づけず、仏教用語は隠語にしているが、実は内心では深く三宝を守っている。

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矛、鉾(ほこ)は、槍や薙刀の前身となった長柄武器で、やや幅広で両刃の剣状の穂先をもつ。 日本と中国において矛と槍の区別が見られ、他の地域では槍の一形態として扱われる。

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これがその図か・・・( ;´Д`)

人倫(じんりん)=① ひと。人々。人類。人間一般をいう。
儒教では、君臣、父子、夫婦、長幼、朋友の間の道徳的秩序としての人間の倫理を意味する。そこから一般に、人の踏み行うべき道という意味でも使われる。「倫」は、人として守るべき秩序、道理を意味する。
出づ=1 ある場所から外の方へ移る。そこから離れる。出発する。
外に現す。出す。
基本的には「でる」に同じ。リンク

また、同種の神話は『平家物語』、『太平記』などにもあり、この約束の証拠に第六天魔王から貰ったのが神璽であるとする。(中世においては八尺瓊勾玉であるとされていた)なお、『通海参詣記』では約束をしたのは諾冉二尊という。

諾冉二尊意味わからないが、これかな・・伊邪那岐大神(イザナギ)
伊邪那美大神(イザナミ)リンク

八尺瓊勾玉大きな曲玉。一説に、多くの玉を長い緒に貫き輪にしたもの。上代、身につけて飾りとした。
三種の神器の一つ。皇位継承の象徴とされるもので,宮中三殿の賢所(かしこどころ)に置かれる。勾玉は曲玉とも書く。

=1 個人・団体・官職のしるしとして文書に押し、その責任や権威を証明するもの。木・竹・石・角・金属などに、文字や記章を彫ったもの。印形(いんぎょう)。判。はんこ。

《〈〉mudrāの訳。封印・標識の意》仏教で、手指をもってつくる種々の形。その形によって仏・菩薩ぼさつの悟りや誓願の内容などを象徴的に表す。密教では特に重んじられる。
忍術使いが術を行うときの指の組み方。

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印はこれもあるからな・・・リンク   リンク

このため一時期の関東では、天照大神は『虚言ヲ仰ラルゝ神』であるとして、起請文などの誓いの対象から外されるといった現象が起こったという指摘がある。

『虚言ヲ仰ラルゝ神』=『虚言を仰るる神』?!(;´Д`)

起請文(きしょうもん)は、日本でかつて作成されていた、人が契約を交わす際、それを破らないことを神仏に誓う文書である。単に起請ともいう。

名称未設定 1

西洋でのこれと同じね、アマテラスは使えない。(;´Д`)
でも、ヤハウェも使えないだろっw

神璽】しん‐じ
[1]  (古くは「しんし」) 天子の位を示すしるし。御璽。〔新唐書‐車服志〕
[2]神器のうち鏡と剣
※律(718)賊盗「凡盗 二神璽一者絞、謂、践祚之日寿璽」
 三種の神器のうちの八尺瓊勾玉(やさかにのまがたま)の称。

八尺瓊勾玉」=三種の神器の一つ。皇位継承の象徴とされるもので、宮中三殿の賢所(かしこどころ)に置かれる。勾玉は曲玉とも書く。天照大神あまてらすおおみかみが岩戸隠れをしたとき、神々が立てた真榊まさかきにつけて飾ったという曲玉。神璽(しんじ)。

古語拾遺によれば、鏡と剣を移しまつるに際し模造品を造って宮中にとどめたが、これが後世即位に当たって新帝に献上される〈神璽(しんじ)の鏡と剣〉であるという伊勢・熱田の神体の鏡・剣と宮中のそれとは元来別のものであったが、それらを統一的に物語る必要から模造品の話が作られたとみる説もある。…

模造品と模造品の話!?(;´Д`)


まだあるんだ。

神楽の演目「八幡」

日本の神楽の演目「八幡」の中に、悪魔「第六天魔王」が、宇佐八幡宮に祀られ、「八幡神」に退治されるという物語がある。八幡神は、神通の弓と『方便の矢』をもって滅ぼすという。

現在も復活して伝えられる「石見神楽」の『八幡』には、「天竺から飛びきたる第六天の魔王」を退治したのは『宇佐八幡神とする。

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能舞 八幡(はちまん

また、謡曲「第六天」では、煩悩の悪魔とされ、解脱上人が祈るとスサオオノ尊が天空から現れて、打ち負かされた第六天が通力を失い、虚空に消える。

⭕️『”方便の矢”・・・!』(;´Д`)

現代のYou TubeやNetflixように、
中世の日本は神楽で洗脳してきたのね!(滝汗)


その『宇佐八幡神』は『応神天皇』

宇佐八幡宮によれば、八幡大神の御名応神天皇(誉田別尊)とあり、継体天皇の父は応神天皇5世の孫に当たり、近江に本拠を持ち、母は越国の人だった。

設定 1

                  『集古十種』より「応神帝御影」
                  誉田八幡宮 蔵

応神天皇
記紀には「渡来人を用いて国家を発展させた」と書かれている。中世以降は軍神八幡神としても信奉された。実在したとすれば”4世紀後半ごろ”の大王と推定される。

コトバンク応神天皇=こちらは5世紀初頭ごろ。
「日本書紀」によれば、諸国をひろく治め、百済から阿直岐王仁らが経典典籍をもたらしたという。

阿直岐(あちき)
古代の渡来人。阿直氏の祖とされる。『日本書紀』によれば、応神天皇のとき、百済王の使として渡来し、良馬2頭をたてまつって軽(橿原市)の坂上で飼育し、また経書をよく読み、莵道稚郎子の師となった。

王仁(わに)
古代の百済(くだら)からの渡来人。生没年不詳。伝承によると、漢の高祖の子孫といい、《日本書紀》では応神天皇のときに阿直岐に推挙されて来朝。

まだあるんだよ、内容は同じだけど詳しいね・・・・


剣巻(つるぎのまき)現代語訳7 三種の神器

平家物語の一部なのかな?『平家物語 剣巻リンク

源氏重代の名剣をめぐる中世の物語『剣巻』を現代語訳。

神璽
そもそも帝王の御宝に神璽・宝剣・内侍所という3つがある。

およそ神璽と申すのは、神代より伝わる代々の御帝の御守で、験の箱に納めていた。この箱を開けることはなく、見る人もない。これによって後冷泉院の御時、どう思ったのだろうか、この箱を開けようとして蓋をお取りなられたところ、たちまちに箱から白雲が立ち登りになった。ややあって雲は元のごとく箱の中に返ってお入理になった。紀伊内侍が蓋を覆ってからげ納め奉った。「日本は小国だといえども、大国に勝ることはこれである」と申した。一天の君万乗の主さえも御心に任せずして御覧になれない物なので、まして凡人、一般庶民は言うまでもない。

浦島太郎リンク 玉手箱リンク

神璽とは神の印(おして)という文字である。神の印(おして)というのは、どのような事情で帝王の御宝となったのかははっきりしない。詳しくこれを尋ねると、我が朝の起りより出たものである。天神7代の初め、国常立尊(くにのとこたちのみこと)が「この下に国がないはずがあろうか」と、天沼矛(あめのぬぼこ)を降して大海の底をお捜りになると、国がなかったので矛をお引き上げになると、矛の滴が落ち留まり、凝りかたまり、島となった。吾が朝の出で来る前表で、大海の浪の上に「大日」という文字が浮んだ。文字の上に矛の滴って島となったので、大日本国と名付けた。淡路国は日本の始めである。

なんかアマテラスの逸話とそっくり( ;´Д`)

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大日=「だいにちにょらい(大日如来)」の略。
密教の中心本尊で如来の一つ。その智慧の光明があまねく一切に及び、慈悲の活動が永遠不滅とされ、密教の体系ではすべての諸仏諸菩薩はこの如来より出生したとされる。

遍照(へんじょう)王如来、大日遍照などとも。真言密教の教主。
天台宗では大日如来と釈迦如来は法身・応身で同体
とし、真言宗では釈迦如来は顕教の教主とみて異体とする。

異体】(い‐てい)=普通とは違った風変わりなようすや姿。
1 形や体裁が普通と違うこと。「異体な姿」◉仮面ライダーの変身みたいなもんか?( ;´Д`)

国常立尊より3代は、男の姿だけで顕れて女の姿はなかった。第4代の泥土煮尊(うひぢにのかみ)より第6代の面足尊(おもだるのみこと)まで3代は、男と女の姿で顕れたが、夫婦婚合の儀はなかった。第7の伊弉諾(いざなぎ)・伊弉冊尊(いざなみのみこと)が淡路国に下りて男女婚合があらわれた。山石草木をお植えになった。大八島の国を造り、次に数々の国を造り、また世の主がないはずがあろうかと、1女3男をお生みになった。いわゆる日神・月神・蛭子・素盞鳴尊なり。

日神と申すのは、伊勢大神宮、天照大神がこれである。月神と申すのは、月読尊、高野丹生大明神と号す。蛭子は三年まで足が立たなかった尊でいらっしゃったので、天の磐樟船(あまのいはくすぶね)に乗せ奉り、大海が原に押し出だして流されになられたが、摂津国に流れ寄り、海を領ずる神となって、夷三郎殿とお顕れになって、西宮におわします。素盞鳴尊は、御意が荒いため出雲国に流され、後には大社とおなりになった。さて、伊弉諾・伊弉冊尊は、国を天照大神に譲り、山を月読命に奉り、海を蛭子に領させなさった。素盞鳴尊は「分領なし」とされ、御兄達と度々合戦に及んだ。これによって絶縁されて雲州へ流されたのだ。

さて、天照大神は日本を譲られながら、心のままに動かすことはしなかった。第六天の魔王と申すのは、他化自在天に住して、欲界(願い)の六天を我がままに領ずる。しかも今の日本国は六天の下である。「我が領内なので、我こそが国を動かすべきところだが、この国は大日という文字の上にできた島なので、仏法繁昌(はんじょう)の地であろう。これより人はみな生死を離れるに違いない。だからここには人を住まわせず、仏法をも弘めず(ひろめず)して、ひとえに我が私領としよう」と、天照大神の支配を許さずにいたので、天照大神は力を及ばすことができず、31万5000年を経られた。(経った)

譲りを請けながら星霜が積ったので、大神は魔王にお会いになって、「日本国を譲りのままに許されるならば、仏法をも弘めず、僧・法をも近付けまい」とおっしゃったので、魔王は心が解けて、「左様に仏法僧を近付けまいと仰せられる。ならばさっさと奉ろう」とて、はじめて日本を赦し与えたとき、「手験に」と言って印を奉った。これが今の神璽である。

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天照大神は方便の矢の嘘つき・・(;´Д`)


室町時代の高僧たちが作った仏教の逸話では

⭕️天照大神は、三種の神器を第六天魔王波旬ことシヴァ神から騙してかっぱらった!?( ;´Д`)

⭕️この日本はアマテラスの前の時代の31万5000年間、第六天魔王波旬ことシヴァ神の国!?(@_@)

つづく


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