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ムスリム同胞団、イスラム原理主義の父サイード・クトゥブはフリーメーソン

トータル8604文字
日本語4,398 文字

アル=バンナーはフリーメーソンに続き、今度はサイード・クトゥブはフリーメーソンだ〜のnoteです。(^_^;)

アラビア語まで翻訳できる時代は素晴らしいが、クトゥブ本人は詩人みたいな話し方をするので、アル=バンナーはユダヤ人だ!の出目の説明話と違い、翻訳を正しく追い込むことは出来ない。なので、クトゥブの語りの部分はアラビア語の原文も残しておく。翻訳ソフトが進歩したらもっとちゃんと翻訳できるでしょう。ループしている部分は、翻訳ソフトのせいではなく本人の文の洒落だと思う。宗教の人だから自身の文も経典くさい。

意味分かりづらいだろうけど、ワシはマイルストーン3分の一読んだから意味は大体分かったよ。

ムスリム同胞団に怒りまくっているアラブ人達は、クトゥブの思想こそが本当のイスラム教だとは理解できず、神なき無宗教だと思っている。イスラム教はとても邪悪だがコーランもイスラム教自体は行き当たりばったりで作られているハリボテ宗教。クトゥブはイスラムに理論づけした。これはヤバイわ・・・。

バンナーのイスラームにおける平和、そして、よりクトゥブのマイルストーン読んでてフリーメーソン臭いなとは思ったが、フリーメーソンの神はヤハウェの別名ジャーブロンで、アッラーと同じ。それも現代の知性で周到に作った宗教だから、完璧なイスラム教というか共産主義だと思った・・・まあ、クトゥブの中では本当に善行なんだだと思うよ。


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سيد قطب 
حسن البنا  
الماسوني
جماعة الإخوان المسلمين

サイード・クトゥブ
ハッサン・アル・バンナ
フリーメイソン
ムスリム同胞団

本題の良い要約

リンク

サイード・クトゥブとフリーメーソンの関係は、フリーメーソン・ロッジの代弁者である雑誌「エジプトの王冠」の1943年4月23日金曜日号に彼自身が書いた記事によって裏付けられていた。同誌はそれを社説として発行し、そのタイトルは次のとおりだった。 「なぜフリーメイソンになったのですか?」

サイード・クトゥブは記事の中で次のように述べている。「その質問は簡単で理解しやすいものであり、その答えは心の底からでした。私はその時、自分がフリーメーソンになったことを知りました。なぜなら、フリーメーソンは私が負った人類の傷を和らげてくれるものだと感じたからです。」渇いた魂にさらなる哲学と知恵を与え、光から炎を、むしろ照らす炎を引き出すために、フリーメーソンの扉に立ち、人生の暗い道を歩み、障害を打ち破る力を得るのです。」そして、その道には茨があった、そして、ムジャーヒディーンとともにムジャーヒドとなり、働く人々とともに働く労働者となることだ。」

サイード・クトゥブは別の場所で次のように付け加えている。「私はフリーメーソンになった。なぜなら、私はフリーメーソンだったからだが、精錬と精錬が必要だったので、精錬と精錬の仕事を自由な建設者の手に委ねるために、この正しい道を選んだのである。」手は祝福され、自由な建築者は祝福される。」

彼はさらにこう続けた。「フリーメーソンはこのような方法で儀式が執り行われたのではなく、この道を通じてこの特質を獲得したのです。むしろ、フリーメーソンは騒音もアナウンスもなく、静かに活動しているのです。老若男女誰に対しても心を開いて、見返りを求めたり、何かを達成しようとせずに、それが義務であり善いことであるから、その義務を遂行する人である。彼らは権利を持たず、むしろ義務を負う者である。」

 

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