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サブスクに入ってないのは恥

 僕は現在、サブスクに入っていない。
NetflixにもYouTube Premiumにもアマゾンプライムにすら入っていない。
 映画は好きだし、音楽も聴く。最近だと映画館で月1くらいのペースで映画を見るくらいだし、7月の1ヶ月間は1日1本名作映画を見るという枷を自分にかせたくらい好きだ。
 しかし、まだサブスクに入っていない。理由はシンプルで、映像配信系のサブスクに入って他のことに手を付けられなくなるのが怖いからだ。だから、無制限に映画を見れるサブスクには入らず、アプリを入れてる映像配信サービスは、見れない番組があったり、広告が入ったりするといった制限があるTverくらいだ。7月も毎日図書館で貸出可のDVDを借りて自室で見ていた。
 ちょっとカッコつけた。本当の本当は、これまでお金を払ってこなかったことにお金を使うのが嫌だ。要するにケチっている。安くない視聴料を定期的に払ってまで映画を見るくらいなら、始めから入らなければいい。一度入ったらどうせそれなしじゃ生きていけなくなるんだから。
 そんなケチ臭い僕が一番恐れていることがある。周りに自分のケチ臭さが知られることだ。人は人が必要以上にケチっているところを見ると、その人に人間としてのゆとり、豊かさが無いんじゃないかと思うものだ。サブスクは特に、あまりにも文化的なので、それをケチることは文化的な豊かな生活を自ら捨てているように見える。わざわざ「あの人ケチだよねー」なんて言葉にしなくても、無意識のうちに「ケチ」と判断し、「人間が持つべき心の豊かさが無い人」と思ってそれ以上の関係性すら築こうとしないはずだ。サブスク代をケチってる僕を見て、他人がどう思うのか、考えただけでも恐ろしい。もしかしたら、やっと出会えた運命の人から「顔も性格もタイプだけど、サブスクに入ってないから幻滅」なんて言われることがあるかもしれない。もしくは、「清掃員に変装した会長のわしにも親切じゃが、サブスクに入ってないから平社員のままじゃな」とか。「第三次世界大戦の発生を止めたけど、サブスクに入ってないからノーベル平和賞はなしで」なんかも。
 なら、お金に無頓着なら無頓着なだけ心が豊かな人に見えるのかというと、そうでもなさそうだ。値引きシールが張られた食品が買い物カゴの中に入っていれば入っているほど、やりくりが上手く、生活力がある感じがする。同じ食品ならケチっても中身は一緒だし、サブスクみたいに文化的な要素を含んでいないからだ。つまり、「ケチる対象を上手く選んでやりくりすることで、ちゃんと倹約しながら周りの人から心の豊かな人間と思ってもらえる。サブスク代は払うべきで、現代人として必要経費だ。」。これが理想で、今出せる100点満点の答えだ。でも、こんな理屈だけじゃ、まだ僕にサブスクに入ってこれまで払ってこなかったお金を毎月払うという高いハードルを越えさせることはできない。
 ちなみに、サブスクをケチっていることがバレる危険は日常生活の至る所にある。人に映画を勧められても見れなくてバレる。壁の薄い自室でYouTubeを見ていたら広告が入り、隣人にYouTube premiumに入っていないことがバレる。図書館で館内のみ視聴可な映画のDVDを見ているところを人に見られてバレる。バレる相手が知人かそうでないかは問題ではない。問題なのは、僕に心の豊かさがないと他者に思われることが嫌だということだ。
 サブスクに入りたい気持ちはある。単純に楽しそうだし、心を豊かにしたい。でもしばらくは、スマホから流れる広告の音と映像を周りの人から隠しながら心の豊かさを偽装する生活が続くだろう。サブスクに入ってお金を毎月払うことを僕に納得させるために僕が作る理屈がある程度溜まるまで。


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