弱者向け社会思想の本質

 弱者向けの社会思想は、阿片である。キリスト教のバリエーションだと思う。
 徒党を組んで、我々が正しいと狂い、相手を叩きのめすのが「社会思想」だ。思想信条の自由だとかあるが、本来、一般人に思想などというものが必要だと思えない。狂うために使っている。

 弱者男性思想だとか、フェミニズムだとか、共産主義だとか、そういった「界隈」があるが、どいつもこいつもエコーチェンバーで狂っており「社会正義」が目的なのではなく「狂うこと」そして「自己から目を逸らすこと」が目的にしか見えない。一種の依存症だろう。女を叩いている時は、惨めな自己のことを考えなくていい。逆にこれは「義憤」だと思い込むことで、善人の気分も味わえる。

 僕はたまにインセルの発作で女にヘイトするが、徒党を組むのが大嫌いなので、常時狂うことはない。自分の見方が一面的だという自覚もある。集団になると、狂う。

 宗教が弱者に必要なように、フェミニズムとか共産主義は必要なのだろうけれど、やっぱり狂ってる人は見てて気持ちが悪い。カルト宗教を見ている気分になる。資本家が悪い、韓国が悪い、男が悪い。「お前の人生だろ」と言いたくなる。

 邪教が蔓延っている。仏法のような、本物の教えが広まればいいと思うが、縁なき衆生は度し難い

 

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