松本人志 ザコシショウ バーバパパ Franz K Endo 油粘土マン 変人

バーバパパやfranz k endo、油粘土マンやナイスマンあたりの視聴者によくある、ただただ訳のわからない物を"常人には理解できない何か高尚なコンテンツ"だとして脳死で崇め称えるノリとそれが理解できる自分があたかもセンスがあると錯覚しているような人が一番嫌いだ

ワナメイト2

 Twitterから引用した。

 この辺のコンテンツに思うところがあったので、この機会に言語化したい。

 僕は松本人志とハリウッドザコシショウが大好きだ。僕はこの2人は根底で通じていると思っていたのだが、言葉にすると「分かる人には分かる」だと思う。中田敦彦の「俺のお笑いが分からないのはドストエフスキー分からないのと同じ」発言が炎上したが、松本人志も「俺の笑いが分かるには知性がいる」と言っている。ごっつは世代じゃないので見てないのだが、ガキの使いの「理不尽シリーズ」とか「裁判シリーズ」とか、比較的最近だと松本がパンツ一丁でゴルフをする回が好きだった。理不尽シリーズは、人生ゲームやクイズをしながら、ダウンタウンが後輩芸人に死ぬほど理不尽なことを言うというシリーズなのだが、松本が考案したコントの構成の中で、松本が理不尽で意味の分からないことを言うという捻った構図が面白いんだと思う。松本が女性用パンツをはいてゴルフをする回では、「松本を見て笑ってはいけない」という真面目な指示を、メンバー4人はスタッフから受けるのだが、こらえきれずにクスクス笑ってしまう。その時に松本が「なんか裏テーマとかあんの?遠藤がゴルフ教える回ちゃうん?」と言う。お前が企画したんだろ!と笑ってしまう。なんかメタとかセンスとか入り乱れて、確かに難しい。
 ハリウッドザコシショウは逆に、物凄い低俗なことをして「わかる人には分かる」をしている。珍棒とかベンションとかしょうもないこと言って人を笑わせる。この2人に共通することは「人を選ぶ」ということだ。真逆の2人だが、笑える人には笑えるし、笑えない人には笑えない。だから選民思想的な優越感が生まれる。そこが「ビジネスモデル」だと思う。ザコシショウは相当高度なことをしていると思う。

 バーバパパやfranz k endoは、この辺を「お笑い抜き」でやっている。それが「キツい」。「分かる人には分かる」を「自己表現」としてやってしまうと、かなりキツいものがある。作者は選民的ビジネスモデルを意識してやっているんだろうが、「俺には良さがわかる」という痛いファンが大量に発生している。「笑い」の場合は「しょうもない娯楽」だから、個人的にはあんまり痛くないと思うけど、アート系でこれをやっちゃうとアチャーとなってしまう。

(ジャルジャルに)シュールを盾に客から逃げるな!

鬼越トマホーク

 

勉強したいのでお願いします