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神様と一緒に住みたい②




⓪①に続いてのフィジー旅行記です。
今回はやっとマナ島に行った日のことを書きます。






現地の人に、神の住む島と言われてる、マナ島。

その日は、朝からバスに乗って港に行き、船に乗ってマナ島に行くというツアーだった。

泥のように眠った私達は、めちゃくちゃ元気になっていた。
海外旅行の1日目はだいたい疲れていて早くも帰りたくなるが、2日目からは最高に楽しくなる。そして最終日には「帰りたくないよ〜」と嘆く。
(個人的な経験談)



港に行くためのバスが、私達の泊まっていたホテルまで来てくれることになっていた。
ばっちり日焼け対策をした私達は、ホテルの正面玄関を出たところの椅子に腰掛けて、バスを待った。

すると、前日にロビーで出会い、夜ご飯もご馳走になった、お医者さんのおじさま2人が正面玄関から出てきた。

私達は挨拶をし、昨日のお礼を言った。
おじさま達はその日はお仕事があったようで、「楽しんでね〜」と早々にホテルから出て行った。




バスを待っていた時に、同じくバスを待っていた、アメリカ人の女の子とお話をした。
彼女は「ジャスミン」と名乗った。

ジャスミンは、肌の色が黒い長身な女の子で、額にサングラスをかけていた。真っ赤な口紅と、鼻ピアスが素敵だった。
アメリカ出身、オーストラリア在住で、フィジーには観光で来ていたらしい。

めっちゃ大人っぽかったのだが、私たちと同じ20歳だった。びっくりした。
一緒に写真を撮ったりもしたが、とても同い年には見えなかった。

そんなこんなでわちゃわちゃしていたらバスが到着した。
バスに乗り込むと、ジャスミンは連れを発見したようで、めっちゃ盛り上がっていた。
私達はドキドキしながら、港までの道を目で追っていた。




港に到着し、船に乗った。
船内では、色んな国の人達がワイワイしながら乗っていた。
日本人は私達以外見かけなかった。
(見逃しただけかもしれんが)

私達は船の中から、ガラス張りになった外の海を見ていた。すると船のデッキのところで、何やら船員と思われる3人組がいた。
3人組は人気だった。色んな国の人達が、代わる代わる彼らと一緒に写真を撮っていた。

私達は彼らを「アイドル」と呼んだ。
そして、アイドルと一緒に写真を撮りたい!とデッキに出た。

アイドル達と一緒に撮った写真が私は大好きで、大学卒業間近までその画像をラインのアイコンにしていた。






そして船はマナ島に着いた。

マナ島に到着してすぐ「ヤバイ」と思った。
英語の説明がほとんど聞き取れなかったのだ。
私達の英語は、せいぜい受験英語を頑張ったくらいなもので、身振り手振りを使いながら一応コミュニケイトできるというレベルだった。

しかし、英語の文章の羅列が来ると、脳の言語翻訳機能をフル回転させても、最初の方しか認識できない。一度ついていけなくなったら終わり。
しかも、この日はガイドさんはいなかった。

私達は、ダイビングのコースに参加しようか?なんて相談していたのだが、そのコースに参加するために、どこに申し込みに行けばいいのかも全く聞き取れなかった。
せめて、シュノーケリングしたい!と思ったのだが、シュノーケルをどこで貸してもらえるかも聞き取れなかった。

一応、着替える場所や帰りの船の時間は聞き取れたので、「まあ、シュノーケルはどっかで借りられるっしょ」ということで、とりあえず着替えて海に入ることにした。






私達は海の近くの街で生まれ育った子どもなので、海なんて見慣れたもんだと思っていたが、地元の海とは雲泥の差だった。

砂浜の砂はサラサラしていた。
海水が透明すぎて、浜の浅いところを泳ぐ魚も目視できた。(私達の街の海は濁っている)

ほとんど雲もない、絵の具で書いたような青空。空と海の青、砂浜のベージュ、森林の緑、アースカラーの原色詰め合わせだ。
私達は海に足をつけたり、水を掛け合ったり、砂浜で寝転んだりした。

テンションあげあげだ。
この画像、海の色が淡い薄緑でめっちゃきれい。

お昼ご飯はビュッフェだった。
レストランにて、自由にお肉やら野菜やらを取っていく。

屋根はあるものの、室内ではなかったので、虫がめっちゃ飛んできた。私達はイラつきながら虫を払っていた。
周りを見てみると、各国の皆さん、全く虫を気にしていなかった。日本の凄まじい衛生環境の良さを、身に染みて体感した…。







食後、そろそろシュノーケリングしたいね〜ということで、シュノーケルの道具を貸してもらえる施設を探しに行った。
それっぽい施設を発見したので、その施設内のスタッフさんに貸して欲しい旨を伝えたところ、貸してもらえなかった。

なぜ?その理由も英語で話してくれていたのだが私達は聞き取れず、何度も聞き返していたら、「早く出て」というようなジェスチャーをされ、「え〜」と思いながら私達は施設を出た。

外国の方と話している時に、こちらが英語を話せないことがわかると、「英語も話せないのね」と、冷たい対応を取られたことは、過去にもあった。
気持ちはわかる。日本にいて、日本語がかなりたどたどしく、こちらの言った内容が伝わらない外国の方に、「わからない」とか「できない」と言えば、ゆっくり説明する手間が省ける。
スタッフさん達だって暇じゃない。

私達は「まあ、海では泳げるし、いっか…」と肩を下ろしながらも、前向きに考えようとしていた。


海に向かってとぼとぼ歩いていたその時に、日本人の女性と思われるスタッフさんを発見した。
もしやあの人は、前日におじさまが話していた方なのでは?
私達はその人の元に全速力で駆け寄った。

そして、その人はやっぱり日本人で、前日のおじさま達の知り合いの方だった。
少しばかり話した後に、「シュノーケリングしないの?」と聞かれたので、借りられなかったことを伝えると、「じゃあ一緒に借りに行こうか」と言ってくれた。

神様って本当にいるんやな、と思った。
さすが、神の住む島。

私達はもう一度、お姉さんと一緒に貸し出し施設に向かった。
どうやら、道具を借りるのには時間の決まりがあったらしく、島に到着してすぐに借りに行かないといけなかったらしい。
さっき施設のスタッフさんはそのことを説明してくれてたんやな、と納得。その人はちゃんとルールを説明してくれただけだった。
なのに、冷たくあしらわれたと私は勝手に解釈してしまった…スタッフさん、ごめんね。

そういうルールはあったものの、「おまけで貸して☆」とお姉さんが話を通してくれたみたいで、私達は無事にシュノーケルを借りることができた。
シュノーケルの返却場所なども丁寧に教えてもらい、私達は晴れて、シュノーケリングに挑戦することができることになった。

お姉さんは「楽しんでね〜!また何かあったら言ってね〜!」と去っていった。
感謝してもしきれない。
ああいう軽やかで、優しい人になりたいな、とその時に強く感じた。



シュノーケルを付けて、海の中を見た。
水族館みたい、と思った。
水族館みたいに色鮮やかな魚が何匹も優雅に泳いでいて、竜宮城の縮小版みたいな形をしていた。

思えばおかしな話だ。
水族館は実際の海の中を模しているのだろうから、水族館みたい、という例え自体が間違っている。でも、こんな美しい海の中を見るのは初めてだったから。
この美しい魚達と海底の様子が水族館で表現されていて、それを私達は芸術作品のように鑑賞するのだ。

そんなの、胸打たれるに決まっている。
海の中で猛烈に鳥肌が立ち、全身に寒気がした。
私達は何度も顔を上げ、「ヤバイ!」と言い合いながら、何度も海中の美しさに見惚れた。

シュノーケリングは高校生の時に体育で習ったはずなのに、私達は下手くそで、ゴーグルに水が入りすぎて、苦しくなったりもした。
たまに泳いでいる魚とぶつかりそうになったりもした。





海から出て、広い海辺を散歩した。
砂浜で綺麗な石を探している人達がいた。
綺麗な砂浜には、それでもゴミのようなものが落ちていて、それを拾っている人達もいた。

何度もすれ違い、目が合うと、「コンニチハ」と言ってくれる中国人の細マッチョのお兄さんがいた。

私達は勝手に親近感を覚えていたので、お兄さんがビーチで座っていた時に、一緒に写真を撮りたい旨を伝えた。
しかし、お兄さんは「Sorry…」と言い、自分の下半身を指して、「No…」と言った。
お兄さんは、座っていて、下半身にタオルをかけていた。
私は意味がよくわからなかったのだが、幼馴染がお兄さんと笑い合いながら謝っていた。
なになに?と聞いたところ、「履いてないって」とのことで、私達は3人で笑いあって、別れた。

大自然は、人を解放的な気分にさせるんだろうか。




そんなこんなで帰りの船の時間が迫ってきて、私達は着替えて、船乗り場に向かった。シュノーケルも無事に返却できた。

船乗り場の近くで、スタッフさん達が演奏していた。ギターやウクレレを弾きながら歌っていて、めちゃくちゃハモっていて、聴いているだけで心が弾んだ。

ちなみに、左の方にウクレレを弾いている方がいる。この方のウクレレには、けろけろけろっぴの絵が描かれていて、何故…?と思った。

大自然と、心地よい風と、胸踊る音楽。
天国ってこういうところなのかなあ、と思った。

神様はこんな素敵なところに暮らしているんやな、いいな、私も住みたいなあと思った。
今ならウクレレも弾けるようになったから、ウクレレを弾きながら歌ったりなんかして、神様と一緒に過ごしたいな。

今でも私は、実生活の苦しさや狭さを感じた時に、マナ島のことを思い出す。
私がこうやっている間にも、あの島には神様がいて、スタッフさん達はきっと心地よい音楽を演奏している。
私はいつでもあの場所に行くことが出来る
と思うと、心が軽くなる。





船に乗って港に向かい、お店も多く栄えている港で夕飯を済ませることにした。
バスの運転手さんに、バスには乗らずに自分達で帰る旨を伝えると、知り合いの運転手を呼んどくから、20時頃にまたここに来て、と言ってくれた。
タクシーはぼったくりもあったりするらしいから、バスの運転手さんの知り合いが来てくれるなら安心だ!と、私達は喜んだ。

夕飯はハードロックカフェで済ました。
ハードロックカフェどこにでもあるやん!!と、今なら思うのだが、当時は日本にも店舗があることを知らなかった。
帰国してから、ユニバの前にも横浜にも店舗があることを知り、もっとフィジーっぽいものを食べときゃ良かった!と後悔することとなった。

夕食後バス乗り場に向かうと、全然タクシーではない、普通の乗用車に乗った、イカつめなお兄さんが私達を待っていた。
お兄さんは何も言わずに、後部座席に乗るように指示した。

車中、私達は怯えた。
バスの運転手さんの知り合いとはいえ、これは完全にタクシーではないよな…大丈夫か?このまま全く知らないところに連れて行かれたらどうしよう…私達電波を遮断してるから、助けを呼べないよ…と固まっていた。私達は怖すぎて一言も話さなかった。

予想に反して、車は宿泊しているホテルの前にすぐ着いた。
お代金めっちゃ高かったらどうしよう…と思っていたが、普通の値段だった。
私達は安心して、やっと生きた心地がした。

「このまま知らない土地に連れてかれて、強制労働とかさせられたらどうしようって思ってた…」
と幼馴染が言った。
私も車中で、一生性奴隷にされたらどうしようとか考えていた。
バスの運転手さん、知り合いの運転手さん、
疑ってすみませんでした。


翌日は日本に帰る日だった。
今思えば、もう一日あった方が楽しめたと思うのだが、当時はもうすでに胸いっぱい、お腹いっぱいだった。

翌朝にホテルを出て、バスに乗って、空港に向かう。

これがフィジーで過ごす最後の夜…
なんて思いながら、私達はまた泥のように眠ったのだった。




次回で終わります!
長くなってすみません!

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