20200127 無題

「啓蒙家って肩書程、人様に誇れるものはないね」
「違いない」
「なんたって、自己研鑽に努めるだけで大層手間のかかることだろう? それに加えて他者啓発まで請け負ってやろうってんだ」
「人道的ってのは彼らのことさね」
「そうさ、僕らみたいな風下人間擬きが憧れちまうのも無理ないだろ」
「俺はそうは思えやしないけどな」
「何だと。てめぇはやっぱり素っ頓狂人でいやがったか」
「俺が何に憧れようと関係ないだろう。俺らの指標は愛に生きる発展家じゃあないか?」
「違いない」
 と、僕はイマジナリー・フレンドとの対話に興じていた訳で。
 件の他者啓発を遮二無二推進する啓蒙家ってのは本当に厄介限りない。御呼びでない時まで奴はやってくる。宗教の勧誘よりタチが悪い。退屈に違いない。あんなに忙しなく啓蒙しているのに退屈なんだ。きっとそうだ。そうであって欲しい。完全変態を遂げたやっかみのお通りである。
 僕の思う啓蒙家の理想像は、釣り野伏せであって欲しい。要は、僕が煩わしいと感じている彼らの、SNSにおける活動方法は正しいのかと。気になる訳で。

 ことnoteというSNSでの活動の下手くそさには辟易とする。いや、やりようなんてのは個々人に依るもので、僕の言及すべきところではないけれど。
 とりあえず、不用意に「スキ」と書かれた部分を秒間なんぼだか分からんくらいの超高速で、クリックだかタップだかをし続ける彼らはどういう心算なのか。あまりにも突飛に僕の携帯端末を揺るがす通知は、滅多矢鱈にぶっ放す機関銃の流れ豆弾を僕へ食らわせる。そして、僕は「クルッポー」と囀るのだ。僕の姿は郭公によく似ているだろう?
 しかしながら、何という文章読み取りスピードだろう! 驚嘆を隠せない。大学入試センター試験の国語科目で時間を余らせながら、そこそこに点数を取ることができた僕では到底及ばない。僕の卑小な矜持はズタボロだ。
 それに、僕がここに残している悪辣な文章なんてのは厭世家甚だしくて、彼らの想定するそれとは経度180度分はかけ離れている筈なのに……。そうか、合点がいった。啓蒙家とは慈悲深き博愛主義者でもあるのだ。思考や表現の自由を認め合い、主義主張を超えて一つのラヴ。そう「スキ」を広めようとしているに違いない! 嗚呼、素晴らしき愛のある日々。可能ならば僕の元へとステディになり得る手弱女をお届けください。
 まあ、彼らが何も読んじゃあいないことだけはわかるんだけれど。

 僕は啓蒙家が嫌いなのだ。好きな人を否定はしないけれど、何だか失笑しそうになる。
 啓蒙という言葉の持つ臭気は胡散臭くて敵わない。水球選手が鼻につけてるアレが欲しい。自身の成功体験を周りにも分け与えるなんて素晴らし過ぎる。阿羅漢なのだろうか。それとも、ロボトミー手術でも受けたのか。最早アンドロイド系統に分類されているのでは。人間が完成され過ぎていて、僕という人間の不完全さに殆厭気が差す。正にうらぶれ人間くん。悲しい。
 周囲に撒き散らす幸せは幸せを呼ぶと信じているのだろう。全てが幸せになった時に、それは幸せなのだろうか。幸せの中でまた細分化される度合いが人を不幸にする。
 どうだっていいっちゃあいいか。

映画観ます。