20200626 無題

 実を言えば、僕は肌が弱い。思春期の頃こそ顕著なもので、スキン・ケアなどなんのそのと荒れ放題の惨憺の蘊奥であった。今も尚、癒えることなき傷跡が左の頬に残っている。それはそれで退屈だった中・高等学生時代を思い出すいいものではなかろうか。そうでもなかろうが。
 初期村の外、四白眼のにたり顔で勇者を迎え討つ青色フラバーより弱い僕の肌。野郎の嗜みとして、髭を剃ることもあろうが、深剃りは厳禁である。何事も深追いをしてはならない。束の間のつるり感と引き換えに、痤瘡がぽつりぽつりと現れる気配がする。昨今の生活に欠くことままならぬ、あの不織生地のインスタント・マスク。こいつでさえ僕にとってすれば目の粗い鑢と変わらない。健康を守る代償に、軋轢の被害を甘んじて受け入れている。
 とかく僕には悩みが多い。ストレスから極力FREEな生活を心がけるために、気に食わんものからは即座にFLEE精神を大切にしている。それでも僕の生活がまともなものであるようには思えず、FLEAのように誰かに寄生して延命できればそれでもいいっちゃあいい。とかなんとか今、思いついた。

 それはそうと、最近の僕は貧乏根性極まり始め、「定額給付金がもらえるまでお金を節約してやるぞ!」と、そう息巻いて考えていたのだけれど、僕の血中ニコチン濃度が低下すれば、僕のパフォーマンスも著しく低下していく。一箱500円弱のあの箱はどうにも高い。奢侈が故に底をチラ見せし始めた預金残高が憎い。ならば僕がニコチンを摂取する手段はどうなる? そこで僕は閃いたのだ。
 灰皿に埋もれた燃えさしを掘り起こし、僕はティシュー・ペーパーの上に並ぶ死に体の彼らの内臓を取り出してやった。そして、集められたなんとかなりそうな屑煙草の葉っぱたち。さて、と考え巻紙を見繕う。辞書の紙が良質でいいらしいと聞いたことがあるが、僕のような不埒者がそんな高尚なものを持つ訳がない。仕様がないので、僕は部屋に転がっていた坂口安吾の文庫本からひと千切り。そいつで煙草をひと巻き拵えた。なんとなく、坂口安吾はこの行為を許してくれる気がしたのだ。火を点けて吸い込み始めれば、煙となった彼の知識が僕の肺胞へ、僕の大脳へ、その毛細血管へ滑り込んでくるような……。

 文庫本で作った煙草はマズい。
 いつだかに地元の駅で見た、シケモク漁るホームレスと同じになってしまったと、僕は悲しくなった。いや、そんなに悲しくもなかった。
 出掛けることが億劫だっただけで、明日になったら、コンビニエンス・ストアでちゃんとしたものを買ってこようと思った。

映画観ます。