「抗体詩護符賽」迷子について(3−1)-あれのこと〈1〉−猫町あるいは遊歩者によるセカンドオーダー迷子の実践

はじめに

夢の論理、予期の撹乱、見立て、アスペクト知覚、世界の裏側、抑圧されたものの回帰、類似性、数寄、言葉の魂、特徴量の抽出、喩の機能、四次元旅行、萩原朔太郎、ウォルター・ベンヤミン、ルードヴィッヒ・ウィトゲンシュタイン。セカンドオーダー迷子。パリン!「あれ」によって引き寄せられたこれら諸々のキーワード達はそれぞれ互いに結びつき、様々な問いやパースペクティブをそこから生み出し得る一つの群を形成している。

しかし宇宙の間には、人間の知らない数々の秘密がある。ホレーシオが言うように、理智は何事をも知りはしない。理智は全てを常識化し、神話に通俗の解説をする。しかも宇宙の隠れた意味は、常に通俗以上である。だからすべての哲学者は、彼らの窮理の最後に来て、いつも詩人の前に兜を脱いでいる。詩人の直覚する超常識の宇宙だけが、真のメタフィジックの実在なのだ。萩原朔太郎『猫町』

私は長らく自分が「あれ」「あの世界」「あの現象」「向きが変わるやつ」などと様々な形で呼んできたある特殊な現れをどういうものと捉えればよいのかわからずもどかしさを感じていた。しかし最近になって急に「あれ」についての何かを掴みかけている感触がある。長い間、壺の中で眠らせていたこの問題がようやくポツポツと発酵し始め、生活空間の中へ異臭を放ち始めている。その香りは、目を開くとたちまちアチラへ逃げていく夢のように、いち早くこちらの世界へと記憶を移し替えなければ、消え去ってしまう。そう思い私は筆を走らせた。

幼少期、初めて家で「あれ」を体験してからというもの「あれ」は私の生活世界の少なくない部分を占めてきた。それは時間的に「あの世界」に長く居るという意味ではなく「あれ」が未解決事件の犯人のように長い間私を捜査に駆り立てているということである。私はこれまで折に触れて「あの世界」へと入りこみ人知れず捜査資料を溜め込んできた。しかし、これまでの人生の中で「あれ」については誰とも共感出来たためしがないのだ。それどころかそもそも「あれ」がどういう現象かという共通認識を他人との間で持つことさえ出来たことがないのだが、それはもっぱら私の説明能力の不足と、私自身が「あれ」を捉えきれていないことに起因するのだろう。一番の問題は「あれ」がいかなるものなのかが十分にハッキリしない事である。そもそも「あれ」は現象なのか、それとも行為なのか、感覚なのか、それとももっと複合的な出来事なのだろうか。「あれ」は一つの全く異なる世界を作り出す。「あれ」は普段意識していなかった何かの感覚の顕現の様でもある。ちょうど今、足の裏の感覚を感じようと努めることでたち現れる感覚のように。最初に「あれ」を経験してからずっと私は「あれ」を「あの現象」と呼ぶべきか、それとも「あの感覚」と呼ぶべきか、それとも「あの世界」と呼ぶべきかを判断できなかった。つまり「あれ」のカテゴリーを特定することも出来ずにいた。「あの現象」が起こることは即「あの世界」へ飛ぶことである。その時、生起する感覚に焦点をあてると「あの感覚」となる。私はそのどれもを「あれ」と呼んできた。しかし私はその時、一体なにに焦点を当てているのだろうか?それすらわからないのだ。むしろそれこそが私が突き止めたい犯人である。とにかく私は「あれ」の探求を進めるためまずは名前をつけなければいけないと思った。「あの」や「あれ」では漠然としすぎていてその内実が全くわからないので、決していいネーミングだとは言えない。そもそものカテゴリーが特定されないことにはとりあえずの名前をつけることも困難だ。そんなことでは捜査は前に進まないので、私は「あれ」をその都度色々な名前で呼んできた。他人と話す時は「あっあの世界なった」とか「いまアレきてる」とか「俺が猫町世界って呼んでるあれが〜」とか「いま向きが変わった世界にいて」などと表現していたが、もちろん誰とも「あれ」についての合意が取れた事はなく、私の口から出てくる言葉はいつもその意図とは違った形にまとめ上げられてしまう。あらゆる言語には手垢がついているのでどうしようもない。人間が言葉でコミュニケーションを取ることができるのは、歴史や生活形式など何かを互いに共しているからであるが、それについての言葉がいまだ存在しないような事柄について語る時われわれは少なからず詩人であることを要求される。何かを伝えるためには手持ちの言葉でどうにかするしかないのだ。何はともあれ「あれ」を神秘のヴェールで包み込みこんだり、同じ仕方で「あれ」に接触することを繰り返すのを終わらせるためにも、たとえ全ての観察や考察が「笑いが生起する、その一点」へ向かって吸い込まれて行くよう仕組まれているのだとしても、私は「あれ」の言語化へと足を踏み出さなければいけない。

誤解を防ぐために言っておくが「あれ」はしばしば対象が目の前で変化してしまったかの様に表現されるが、決して物理世界の変化ではない(もちろん「あれ」に連動するニューロンの発火パターンが脳内に存在するのなら、そういう意味では変化はあるだろうが)し、知覚の変化でもない。かといって何も神秘的な体験などではない。「あれ」はいつでも起こすことが出来るし、おそらく誰の身にも気づかずによく起きているほどありふれたものであるからだ。また、それは観念的な何かではなく生々しい現実感の変化として(つまり実際の体験として)現れるにも関わらず知覚しているものは全く変化しないような変化である。それは何かの役に立つかどうかという次元で見れば全く何の役にも立たないであろうが、何かとてつもなく重大な問題がそこに隠されているように私には思える。おそらく「あれ」は迷子とも関係しているし、私の中で夢の世界が十数種類に分類されていることとも関係しているし、盆栽にも関係しているし、言語の「意味」とも関係している。つまりそれは「記憶」と「全体性」というものと深く関係している現象だ。特に「あれ」は空間というものの体験に関わっている。空間について思考を巡らせる時、私はいつも「あれ」の事を思わずにはいられない。

「あれ」の訪れ

初めて「あれ」を経験したのはいつだったろうか?小学生の頃だったか。当時、私は千里ニュータウンのとある団地に住んでいた。玄関のドアを開けると目の前に部屋が一つあり、その部屋の前を横切る廊下を左に曲がるとリビングに出る、そしてさらにその奥に畳の部屋があった。ある日、家族で外食をして帰ってくるとそこはいつもの家ではなくなっていた。間取りや家に置いているものなど見た目には全く変化がないのだが、それらの入れ物としての空間全てが全く違うモノへと変わってしまっているではないか。これは一体なんなんだ?ここは本当に私の家だろうか?私はなにがなんだかわからなくなり激しい混乱を覚えた。しかし当時は子供であったのですぐに気持ちを切り替え、その違和感に満ち溢れる部屋で遊びだした。世界の変化は不思議ではあったが、当時はまだ不思議なことばかり起こっていたので特段それを重大な事としては捉えてはいなかったようだ。

その日の夜中、私は「あの世界」で目を覚ました。それは玄関の向かいの部屋への強烈な恐怖感とともに「私の家、家の向いにあるマンション、家の隣にある池、池を通り過ぎた先にある最寄りの駅」までをも変化させていた。そこは自分の住んでいる家には間違いないが、明らかにいつもの家ではなかった。この宇宙の延長線上にはない、パラレルワールドに存在する同様の部屋にワープしてしまったのではないか?数秒もしない内にいつもの部屋へと戻ったが、私は怖くなって母親を叩き起こし、今日帰ってきてから家がおかしかったこと、今また「あの世界」が現れたことを報告した。

「なんか変やねん。この家。起きたら変なのに変わってたねん」

母は不思議そうな顔をして沈黙している。

「向きが違うっていうかさ。。。ほらっ!また変わった!わかる?家帰ってきた時もこうなっててん。これ何なん?あ、戻った」

しかし母親の反応はそっけなかった。

「何変なこといってんの?なんも変わってないで」

変なこと言うモンだ、と不思議そうな顔をして私をなだめた。私は自分一人しかそれを体験していないことを悟り、何もない空間に一人取り残されたかのような孤独と恐怖を感じた。

次の日、私はまだ「余韻」を引きずっていた。昨夜突如襲ってきた「あの世界」の事を思い出すと、再び全てが「あの世界」へと変化してしまった。気を抜くとすぐに通常の状態に戻ったが、「あの世界」へ行こうとするや否やもうそこに居た。不思議でたまらなかった。「この世界」と「あの世界」二つの世界は互いに排他的であり、どちらかにいる時はもう片方を想像することすらできない。そしてそれらはいつも不意に現れる。今いる世界からはもう片方の世界がどんなものかと想像することはできないけれど、存在する事は確実だ。今まさにそこに居たのだから。私は何度も何度も「あの世界」へ行こうと試行錯誤を繰り返した。ん?おおっ!あれ?あっ!私はすぐにコツを覚えた。そしてそれ以来いつでも「あの世界」へと移行することができるようになった。想像はできないがそこに行くことは簡単だ。しかしどうやってそんな事ができているのか?それは現在でも全くわからないままである。コツがあるのだがそれは言語で説明できるようなものではない。ともあれ、何度も「あの世界」を訪れるにつれて段々と私の中で「あの世界」への恐怖はなくなっていった。この日以降、私は度々「あの世界」へ移行しそこでの記憶を貯めていった。

最初私は「あの現象」というものが自らの側の変化だとは気づかず、世界の側がなにかおかしくなってしまったと判断した。しかし今現に起こっていることが他者に感じ取られていない様子をみてすぐさま私の内部での変化が起きているのだと気づいた。しかしそうだとしても他人は一体どちらの世界を見ているのだろうか?という疑問が強烈に私に襲いかかってきた。皆もしかしたら「あの世界」で生きているのかもしれない。それでも何も問題ないのが「あれ」の不思議なところだ。もう一つ疑問がある。私以外の誰もが「あの世界」に生きていたとしても何も問題が起こらないのであれば「あれ」によって変わったのは一体なんなのだろう?まずはじめに私は「あれ」は単なる方角感覚の錯覚ではないかと思った。向きが変わるのだからそう考えて然るべきだ。方角の錯覚、例えばわかりやすい例として電車の進行方向が反転する体験を挙げる事ができる。

高校時代、私は大阪の地下鉄御堂筋線で通学していた。終点の駅は、北は「千里中央」南は「なかもず」である。当時私は電車の中で眠りにつくことが多く、終点から終点へ何度も往復を繰り返し起きた時には五時間の時が過ぎていることもあった。そんなある日、私は「千里中央」へ向かう電車の中で目が冷めた。一体何往復していたのだろう?寝ぼけた私は少しの間ぼーっとしていた。数分後「新大阪」へ到着し、「あと五駅かぁ」と現在地を確認し段々と覚醒へと移行していった。そしてまた数分後電車は「西中島南方」へと到着した。私は混乱した。「西中島南方」は「千里中央」方向とは逆の一個前の駅なのだ。その瞬間世界の方向は一気に逆転した。私は「なかもず」へ向かう電車に乗っていたのだ!向かい合う電車の席の一番右側に座っていた私は一瞬にして一歩も歩くことなく、丁度対角線上にある向かいの席の一番左の席へと移動した。この時私は「あの世界」に移行する時の感覚、世界が逆の「向き」に変化する現象を再び体験した。皆さんの中にもこういった体験をしたことのある人はいるだろう。私はこの反転を楽しむため南北の反転だけでなく、西から東に向かう電車や東から西に向かう電車に乗っている感覚にチューンインしようと何度か試みたことがある。それは北南よりは難しいが、できないことはない。御堂筋線と垂直に走っているモノレールに乗っている感覚を思い出そうとすればそれはより容易になる。そうだ、「あれ」が起きるときはいつも過去の記憶が引っ付いてくる。「あれ」が起こる時、私はその変化を「〜(場所)にいるみたいだ」と他の場所の記憶と照らし合わせて表現している。これは「〜(場所)として」今いる場所を体験するということだ。千里中央で向かっている電車を「なかもずへ向かっている電車にいるみたいに」認識し、高校の教室を「中学の教室として」認識する。大阪のクラブを「香港にあるクラブとして」体験する。(香港など行ったことがないのにもかかわらず)。この事は「あれ」が方角ではなく記憶と関係している現象なのかもしれないという疑惑を私に投げかけている。

萩原朔太郎の場合ー宇宙の逆空間ー

どこかに私と同じように「あの世界」に対して有る種の驚きを感じている人間はいないだろうかと、ネットや図書館で「あれ」に関連しそうなものを手当たり次第探ってみた。しかし驚くほど「あれ」について語っているモノが無い。まず「方向感覚 錯覚」や「電車 逆方向 錯覚」など様々な錯覚を当たってみたが、シルエット錯視、誘導運動といった視覚的な錯覚の例ばかりである。そう、そういえば「あれ」を他人に話す時、いつも視覚的な錯覚と誤解されてきた。しかし「あれ」においては見ているもの自体の様相は全く変化しないのだ。見ているものでは無く、「空間」の様相が変化するのだ。「方向定位連合野」が神秘体験と関係しているという研究を紹介している「脳はいかにして〈神〉を見るか」という本も発見した。方向定位連合野という名称に私はビビッときて、その本を覗いてみたが私の期待していた話ではなかった。方向定位連合野というものは物理的空間の中で自分を位置づける仕事をしているらしく、それによって我々は自己と万物の間にハッキリした境界線を引くことができるらしいのだ。そして瞑想状態の脳を調べるとその働きが明らかに低下していたという。勿論非常に興味深いし「あれ」と関連しないことはなさそうだ。しかし「あれ」は決して万物との自己同一感など生むような体験ではない。むしろ「自己と万物との境界がハッキリした世界」自体が複数あるように思えるような体験なのだ。言い換えると空間(ド・セルトーという人が主体による空間の実践について「結局そこにみてとるべきものは、様々なメタファーの形をとった、原初的で決定的な一つの体験の反復であり、幼児における母体との一体化からの分離のプロセスである」と言っている。まさに方向定位連合野がうまく働くことによって出現するのが空間というものだと言えるのではないか。)の「様相」が一つではないことが明らかにされる体験なのだ。

そうこうしている内に、20歳かそこらの頃、私は偶然全く関係のないところで友人から萩原朔太郎の「猫町」という短編小説を勧められた。読み始めるや否や驚きと興奮が私を襲った。「あれ」に言及している他者に初めて出会った瞬間であった。「あれ」は私にしか起こらない不思議な感覚で、個人的な妄想なのではないかという長年の不安が彼の出現によって解消した。私は激しい共感の眼を持って彼の文章を読んだ。

「一瞬間の中に、すっかり印象が変ってしまった。そしてこの魔法のような不思議の変化は、単に私が道に迷って、方位を錯覚したことにだけ原因している。いつも町の南はずれにあるポストが、反対の入口である北に見えた。いつもは左側にある街路の町家が、逆に右側の方へ移ってしまった。そしてただこの変化が、すべての町を珍しく新しい物に見せたのだった。 その時私は、未知の錯覚した町の中で、或る商店の看板を眺めていた。その全く同じ看板の絵を、かつて何所かで見たことがあると思った。そして記憶が回復された一瞬時に、すべての方角が逆転した。すぐ今まで、左側にあった往来が右側になり、北に向って歩いた自分が、南に向って歩いていることを発見した。その瞬間、磁石の針がくるりと廻って、東西南北の空間地位が、すっかり逆に変ってしまった。同時に、すべての宇宙が変化し、現象する町の情趣が、全く別の物になってしまった。つまり前に見た不思議の町は、磁石を反対に裏返した、宇宙の逆空間に実在したのであった」
「支那の哲人荘子は、かつて夢に胡蝶となり、醒めて自ら怪しみ言った。夢の胡蝶が自分であるか、今の自分が自分であるかと。この一つの古い謎は、千古にわたってだれも解けない。錯覚された宇宙は、狐に化かされた人が見るのか。理智の常識する目が見るのか。そもそも形而上の実在世界は、景色の裏側にあるのか表にあるのか。だれもまた、おそらくこの謎を解答できない」ー萩原朔太郎『猫町』ー

『猫町』の冒頭で朔太郎は昔はイメージするだけでも心が踊った旅というものが退屈になってしまったと漏らす。旅というのはどこまでいっても「同一空間における同一事物の移動」に過ぎないと。そしてその退屈を乗り越えるためモルヒネ、コカインなどを用い、そのエクスタシイの夢の中で不思議な旅行を続けていたのだ。しかしそのせいで健康を害し、医者の勧めで散歩を始める事になる。そこで彼の風変わりな旅行癖を満足させる一つの新しい方法を発見したという。それは言うなれば「迷子になって」家の周辺を散歩するという特殊な技術を使った徘徊である。そうした散歩中に起きた不思議な出来事の報告がこの「猫町」という短いエッセイである。

実は猫のくだりには私は興味がない。おそらく幻覚だったのだろう。問題は方角が変わることによる宇宙の変化である。彼のこの報告には共感する言い回しがいくつもあった。そしてそれによって私は彼が私と同じ体験を共有する者だということを直感したのだった。まず第一に彼は旅をわざわざ「同一空間における同一事物の移動」と表現している。つまり別の仕方の旅があるということだ。「異空間における同一事物の移動」も「同一空間における分裂した主体の移動」も「異空間における分裂した主体の移動」もあり得るということだ。「あれ」や彼の特殊な散歩はまさにそういうものなのだ。第二に「そして記憶が回復された一瞬時に、すべての方角が逆転した」という箇所。「あれ」も猫町も記憶と連動して変化する何かだということだ。そして第三に「錯覚された宇宙は、狐に化かされた人が見るのか。理智の常識する目が見るのか。そもそも形而上の実在世界は、景色の裏側にあるのか表にあるのか」という問いかけである。これは幼い私が「あれ」を体験して「他の皆はどちらをみているのだろう」と思った事と同様の疑問だ。少なくとも私達には二つの世界が存在している。裏側の世界と表側の世界だ。しかしそのどちらであれ「この世界」の内部の様相は全く変化しないし日常生活に支障ををきたすこともない。変化したのは「この世界」の内部に存在する「何か」の様相ではなく「この世界」そのものの様相なのだから。

さて『猫町』を読んだことで、「あれ」が私一人に起こる現象ではないことが明らかにされたが、「あれ」がどういう現象なのかは謎のままである。あれは本当に方角の錯覚だけのことなのだろうか?そうであるなら私と朔太郎以外にも沢山の人が経験しているはずではないか?うむ、おそらく実際に沢山の人が経験してはいるだろう。しかしそれは意識に上る前の段階でエラーとして修正されたり無視されたりする何かなのだろう。「あれ」が迷子による方角の錯覚からくる空間認識なのであれば、正確な地図が頭の中に復元し強制的に「迷子をやめさせられた」時「あれ」は失われるはずである。しかし私の実感では「あれ」はそういうものではない。確かに迷子から復帰する時「あれ」は失われる。しかし「あの世界」の中での記憶を増やしていくことによって、「あの世界」の地図はどんどんと広がっていくように思えるのだ。実際に「あの世界」を維持したまま正確な方位を獲得し(多少の困難が伴うとはいえ)目的地へ到着することもできる。その時「あれ」は迷子=方角感覚の欠損というより世界のもう一つの見方という地位を獲得する。それは錯覚という言葉が持つ「外界の事物を、その客観的性質に相応しない形で知覚すること」という定義からもはや外れているのだ。これは私が「みんなあの世界に住んでいるんじゃないか」と不安になった理由でもある。

「あの世界」での地図を拡張する実験として「あの世界」を維持したまま家から最寄り駅まで行ってみたことがある。これまで自分の家や電車、教室といった閉鎖された空間でしか「あれ」になったことが無かったからだ。家の外に出ると急に「あの世界」を維持するのが困難になったが、慣れれば何の問題もない。駅までの道のりは想像がつく。その時、私は迷子でありながら迷子ではなかった。つまり道がわからないという事と迷子の知覚モードは切り離すことができる。迷子モードのまま、道に迷うこと無く目的地へ到着することは可能なのだ。「あれ」は単純な迷子ではない。それは「セカンドオーダー迷子」とでも名付けられるような特殊な技術である。


ベンヤミンの場合ーセカンドオーダー迷子ー

ウォルター・ベンヤミンの「一九〇〇年前後のベルリンにおける幼年時代」はこう始まる。

ある都会で道がわからないということは、たいしたことではない。だが、ちょうど森のなかをさまよい歩くときように、都会をさまよい歩くということには、習練が必要なのだ。そうなると、街の名は、枯れた小枝が折れてポキッと音をたてるように、さまようかれに語りかけてこなければならないし、都心の細い裏通りは、山あいの小さな沢をたどるときのように、一日の時刻の移ろいをあざやかに映し出してくれねばならない。こうした技術をわたしが身につけたのは、のちのちのことである。

私はこれを読んで「ベンヤミンもまた「あれ」を体験する者なのだな」と直感した。ここでベンヤミンは「まるで森のなかで迷うように都市を彷徨う技術」について書いているが、これが「セカンドオーダー迷子」にほかならない。私は朔太郎の『猫町』について調査をしている中で『ベンヤミンの迷宮都市−都市のモダニティと陶酔経験 』(近森高明 世界思想社)という一冊の本を見つけ、「はしがき」にこの文章をみつけた。この本はベンヤミンの「遊歩者」という概念を観察者ではなく陶酔者として捉えかえし、それを通じて都市が垣間見せる不気味な迷宮としての次元、都市そのものの無意識と存在を巡る問題を考察した本である。

この技術についてp151〜152でこう分析されている。

道が分からないというのは、街路の地図的な知識が欠けているということ、もしくは、一時的に場所や方角の感覚が乱れたということにすぎない。その場合、適切な知識が補充されたり、感覚を取り戻したりすれば、すぐに元の状態に復帰することができるだろう。他方、森で迷う者は、あたりに耳をすませ、わずかな枝の音にも何ごとかの予兆を感じ取る。谷筋にただよう影の色合いから、時の移ろいについてかすかな知らせを受け取る。あらゆるものごとに暗号や兆候をみてとり、謎めいたささやき声を聴きとろうとすること、それが、森に迷うように都市を歩く技術なのである。能力の欠損というよりもそれは、知覚のモードを切り替える技術と呼んだほうがふさわしいだろう。それは別のところ(「類似したものについての試論」および「模倣の能力について」)でベンヤミンが論じたように、さまざまな事物に非感性的な類似を読みとるミメーシスという太古の能力にもとずく知覚、子供や「古代の諸民族」に特徴的な知覚のモードにほかならない。

非感性的な類似とはなんだろうか。非感性的という言葉の意味がよくつかめない。しかし「あれ」は能力の欠損ではなく知覚のモードの変化だという箇所には大いに共感する。そしてもう一つ私はこの文章を読んで「類似」という言葉に何か重大なものが潜んでいると感じた。この本によれば類似という概念はベンヤミンの言語論の中心的な役割を果たしている。ベンヤミンは初期の魔術的な言語論「言語一般および人間の言語について」(一九一六年)の地点から、言語はそれが名指す事物への類似性をもつという独自のミメーシス的な言語観を示していたようである。後に「類似したものについての試論」および「模倣の能力について」において類似性の問題は中心的に検討されることになる。ベンヤミンによれば子供や太古の人々は万物を類似が支配する世界で生きているが、理性を獲得するにつれてそうした能力は失われていくのだという。そうしたミメーシス的能力の残滓が現在にも引き継がれ保存されている領域が言語の領域なのだという。p73にベンヤミンの言葉が引用されている。

「言語は模倣的な振るまいかたの最高の段階であり、非感性的な類似のもっとも完璧な記録保存庫であるといえるだろう。つまり、言語とは一つの媒体であり、模倣によって[類似を]生み出し理解する古き時代の力がこの媒体へと残りなく流れ込み、ついには、それらの力はそこで魔術の力を精算するに至るのだ」(Ⅱ:213)

類似を見出す能力、それは子供の遊び、神話や舞踏、礼拝儀式、ハシシ吸引者、言語、遊歩者の徘徊などの中で遺憾なく発揮されている。「あれ」もそうした能力によって引き起こされた現象の一つなのだろうか。おそらくそうであろう。私は長らく「あれ」が常に過去のある特定の記憶を伴って現れることを不思議に思っていた。しかしそれは類似を見る能力が過去の記憶から借りてきた対照物だと考えれば納得がいく。この顔は「あの人」のそれに似ている。その時の「あの人」が過去の様々な空間の記憶なのである。

ようやく「あれ」が尻尾を表したようだ。犯人はこの近くに潜んでいるに違いない。

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