「抗体詩護符賽」ライアントレカーティンと私

空港に着陸したのは夕日が沈む少し前だった。遡ること1時間ほど前のこと。私は飛行機の窓から外の景色を眺めていた。夕日に照らされ山肌がオレンジ色に染まった神々しい山々が次々と姿を現し、流れていく。すごい、ここは一体何州の上空なのだろうか?真夏だというのに、見渡す限り雪に覆われているじゃあないか。そう私は思った(いや、そんなはずはない。少し雪が積もっていた程度だろう。遠い昔のことなので記憶が捏造されているのかもしれない)。その光景はとても美しく、旅の疲れで感傷的な気持ちになっていた私の涙を誘った。雪に覆われた荒野ではマウンテン・ライオンやグリズリーなど獰猛な獣たちが暮らし、日々獲物を追いかけ走り回っているのだろう。そんな光景を想像しながら私は内なる野生が反応し、活性化するのを感じていた。

程なくして、いつものように突如センス・オブ・ワンダーが沸き起こった。それまでにも日常生活の中で、突然発作的に世界全体が不思議に見えてくることが度々あったのだ。まるで世界の終わりの前日のような空気がすべてを覆い尽くしている。明らかにいつもの「世界」とは違う。いったい全てはどうなってしまったのだろうか?いや、もしかすると私がどうにかなってしまったのかもしれない。わからない。そもそも、なぜ全てのものはそれがそれであるような姿になっているのだろうか?椅子も雲も飛行機もどうしてこんな形をしているのだろう。眼下の荒野を眺めながら、遠くの人類が生息しているエリアのことを思い浮かべた。そこではむき出しの大地は全てコンクリートで覆われ、元々どんな姿だったか想像もつかない。元の姿を想像しようにも輝くネオンの看板や、人々のざわめき、道に漂うパンの香りと酒の香りとがそれに必要な集中力をすっかり奪い去ってしまい、気がつくと夢の国の中で無邪気に遊び回っているといった有様だ。そして、ふと扉や道路、家、食器に至るまで、そうした諸々が全て人間のスケールに合わせた大きさになっていることに気がつくのだ。それは驚愕すべき事実だ。そしてそれはすごく笑える。なぜだかわからないが、それはとても笑える事実だ。なんせ全てが人間サイズなのだから。たまにお寺の門などにあるバカでかい扉に出くわすと、サイズ感からして、これは鬼の為に作られた扉なのではないかと感じる事があるが、そうした時にもやはり扉以外のすべてが、つまり日常でくわすモノが殆ど全て人間サイズであることに改めて驚きを覚えるのだ。人間が作ったのだから当たり前だといえば当たり前だが、どうもそのことに不思議さ感じてしまう。なぜこんなに世界は異様なのだろうか。深い感動と笑いが私の内部で同時に生起し、私はその矛盾の中でしばらく過ごした。

そうこうしている内に飛行機は着陸した。

空港を出ると、まず気がついたのは植物が北のそれだということだ。そこに流れる空気は生まれてから三歳までを過ごした北海道の大地のそれとよく似ていた。そして何よりそこは「ツイン・ピークス」を思わせた。紛れもなくそこは西の北だったのだ。私はタバコに火をつけ、夕日に照らされる木々や建物を観察しながら彼の到着を待った。タバコの先から立ち上る煙と共についさっきまで三ヶ月弱もの時を過ごしていたNYでの日々が蘇ってきた。

一言で言えば、NYでの生活はすべてがグダグダだった。のにも関わらずすべてが最高であった。すべてが見切り発車で進み、常時私は食事の煩わしさや懐具合の勘定という煩わしさから逃げ回っていた。睡眠サイクルは乱れに乱れ、昼夜逆転というより、もはやめちゃくちゃだった。朝寝て、夕方起きる。もちろん夜は眠れず朝がくる。せっかく旅行に来ているのだからと次の日は頑張って起きているが夕方ごろに眠くなり、少し寝るが、夜中にKに起こされる。それも家の外から叫ばれてだ。なぜ彼はゲートの外から叫んでいるのだろう。そうだ、俺たちには鍵が一つしかないのだ。部屋のドアを開けるのにもその鍵は必要だが、一階のゲートを開けてこのマンションの敷地に入るのにもまたその鍵が必要なのだ。一つの鍵と二人の人間。フラストレーションを生み出すのにはこの条件だけで十分だ。昼間にマンハッタンなどに観光に行き、Kが帰ってくる前には家についているであろう私がよく鍵を持っていた。しかし蓋を開けてみると観光などには最初の数週間しか行かず、私はたいていの場合ねぐらに籠もって草を吸って過ごしていた。堕落した生活だった。今が何時かなど殆ど意識することもなくYouTubeでお笑い動画やエロ動画を観て過ごしている内に日々が過ぎていった。

しびれを切らしたKに「お前は何しにNYに来たん!?もっと活動的になれよ」と説教を食らった。は?そんなこと知ったこっちゃなかった。「なんでお前にそんな事言われなあかんねん。別に何もしなくてもいいやんけ」だがそう言われると不安になってくる。もう何週間も家の周辺を散歩する以外の外出をしていない。「俺は何をしにこんなところまで来たのだろうか?」という自己嫌悪や不安に苛まれはじめた。

また、滞在期間中お金の計算が面倒で随分杜撰なカネの使い方をしてしまっていた。そのこともまた自己嫌悪に陥る原因の一つであった。たまにマンハッタンのダウンタウンへ出ることがあっても大体帰りは面倒くささに負けてタクシーで帰ることになる。私たちの部屋があるクイーンズまでは結構距離があるのにも関わらず、その時は気が大きくなっていた。後から膨大な請求が来ることは知っていたが、「どうにかなるかー」と見て見ぬ振りをしていたのだ。また、食事のことを考えるのも億劫で、外食は高いと知っていても連日近くの韓国料理店へ行ってしまう。来た当初は自炊をする気満々だったのだが、家のキッチンの電気が壊れていること、調味料などを揃えること、買い出しにいく気力がないこと、など様々な障害が立ちはだかりその計画は一日目から粉砕した。結果外食続きで金欠バッドに陥り、破産の恐怖から露天の激安チキンライスを食べる日々が続いた。濃い味のソースがかかったザ・ジャンクフードだ。それは勿論すぐ飽きる。そうして私はだんだんと食から遠ざかっていった。上記のような不本意の禁欲生活を強いられた結果、エネルギー不足に陥り、何か食べないと死んでしまうという本能からの呼び声に駆られフラフラととした足取りで向かいの「1ドルピザ」へ駆け込むことになる。そこには魅力的な商品は一つもなく、ただ食わないと死ぬという本能からの呼びかけに脅される形で適当なピザを数切れ、入口横の冷蔵庫から持ってきたドクターペッパーを注文することになる。そういえば昨日も同じメニューだった。こんな生活もう嫌だ。そこで俺は決断した。お金のことなどどうでもいいじゃないか。と。日本に帰ってからうんと働けばいいし、今回は親に借りよう。そう決断してから再びレストラン生活が始まった。日本食を食い、中華を食い、インド料理を食い、韓国料理を食った。うまい!やっぱりアジア料理だ!何でもかんでもこのカード一枚ですんなりとことが進むじゃないか。最高だ。これ一枚で移動もし放題だ。軽躁状態に陥った私は後に来る請求のことは完全に無視していた。どうなってもいいや。と。なにせこのカードで運転手付きの車とシェフを雇ったような生活ができるのだ。それも物価の高いニューヨークで。金銭的に持たないのはわかっていた。しかしもう長期的な思考など全くできなくなっていた。おかげで乗ることのない飛行機を予約してはすっぽかすというお金をただ捨てただけでは?と思うようなこともしてしまった。ただキャンセルの手続きが煩わしかったというそれだけの理由でだ。そういうわけですべてがグダグダかつ、将来の請求と引き換えになんとか進んでいた。覚めるとわかっている夢だが、見ている間だけでも楽しんだほうがいいじゃないか。そう自分に言い聞かせ、気持ちよく遊んだ。しかしその後も部屋から出ることはめったになかった。

「ヘイッ、ゼナーキー!」

脳内に広がる堕落したNY生活の光景が一気に消え去り、私はポートランドの空港にいることに気がついた。聞き慣れた声だ。Iは私を見つけるなりあの独特な笑顔で近寄ってきた。

「久しぶりー、元気?ニューヨークはどうだった?ちょっとcocoの家寄ってそれから我が家につれてくよ」

我々はハグをして再会を喜んだ。彼は私を車に乗せるとcocoの家へと直行した。何かはわからないが、彼女と約束事があるようだった。cocoは華やかで明るく、オープンな性格をしたふっくらした女性で、噂に聞くとかなり変人のようだ。Iからは彼女が細身の彼氏に首輪をつけて散歩しているいうフェティッシュなエピソードを聞いていた。90年代のダンスミュージックが好きで、ポートランドのクラブでとあるパーティを主催しているという。

cocoの家に付くと早速みんなで一服した。そしてすぐにIによるココの写真撮影が始まった。一体何のプロジェクトなんだろう。彼らの話す英語が聞き取れぬ私は一人取り残されたような孤独な気持ちで、ソファーに座って待っていた。するとcocoが私を呼び、その豊満な身体で押しつぶさんばかりの勢いでハグをしてきて、一緒に写真に映ろうと言いカメラに向かってポーズをとった。なぜ私も写されなければいけないのかと苦笑しながら私もまたポーズをキメた。撮影はすぐに終わり、Iと私はIの家族の待つ家へと向かった。

途中強烈なマンチーに入り静かな森の中に突如と現れたダイナーに入った。入った瞬間に気づいたことだが、そこは紛れもなく天国であった。床や椅子、窓ガラスや薄暗い照明に至るまで私が求めていたものがそこにはあった。私は瞬時に状況依存性の記憶喪失に陥り、昔からこの街に住んでいてよくこの店に食べに来ていると感じていた。店員はいつものメンバーで、こちらもいつメンだ。夜になるとこの店に集まり、哲学や宗教について語り合う。また今後の活動の戦略を練ったり、自らが見出している世界の陰謀についての考えを披露し合う。コーヒーを飲みながらひたすら語り合う。そしていつものように、そのうちの誰かの家へと移動し草を追い焚きする。レコードプレーヤーからはジャズが流れ気がつくと眠りに落ちている。そんな存在しない光景が「思い出された」。

我に返った私はハンバーガーを注文し、ジュークボックスへコインを投入しにいった。適当にボタンを押し、席に戻る。甘いメロディのオールディーズが店内に響き渡りダイナーは夢の中のような時空間へと変化した。

「最高だね」

「最高!」

Iの家に付くとIの5歳の娘と2歳の息子が出迎えてくれた。彼らはいつでも私を正気に戻してくれる。しかし彼らは言葉の牢獄に閉じ込められている世間からみれば狂気の世界の住人たちであった。ドタドタと走り回り、キャッキャキャッキャと叫びちらしていた。彼らとは言語を介さぬ遊びをよくしたものだ。旅の疲れが限界に達していた私は2階の階段を登ってすぐ左の物置のようなスペースに設置されたエアーベッドをあてがわれ、そこに倒れ込むと即寝した。

翌日はIと共にダウンタウンへ行くことになった。朝食を済ませると私はIの部屋に呼ばれた。彼は角砂糖がたくさん入ったビンを私に見せ、ニヤニヤと笑っている。なんだそれ、と尋ねた。彼によると少し前にレインボーチャイルドだかなんだか忘れたが、近くに住んでるヒッピー集団から大量のアシッドを入手したという。私達はそれを舐めながらダウンタウンへ向かうことにした。

ダウンタウンについてすぐ、私は猛烈にウンコがしたくなった。

ヤバい。のっけからピンチが始まってしまった。取り敢えず私達は目の前に展開しているファーマーズマーケットへ引き込まれ、果物を売る女性と立ち話をした。Iが「俺たちいまガンギマリなんだ。おまけに彼の肛門がとてもピンチに陥っていてヤバいのだ」と打ち明けると彼女は笑いながら

「いいねw楽しんでね!ブルーベリーあげるわ」

とブルーベリーを一掴みくれた。我々はそれをもぐもぐしながらトイレを探した。私のような我慢下手にとってアメリカのトイレ事情は大問題だ。NYでもトイレ問題に悩まされた。店でなにか買わないとトイレを使わせてもらえないのだ。それに公衆トイレはヘロイン中毒のオヤジが独占していていつまでたっても開かない。結局私達は近くの高級ホテルへ駆け込みドアマンに事情を説明してトイレを使わせてもらった。アシッドがキマってきて、勘ぐりが始まっていたが外国人だという立場がどうにか勘ぐりを抑えてくれていた。奇妙な振る舞いも、初めての外国で戸惑っているのだということにして乗り切れると思ったからだ。

便を出し切りホッとした私とIは今回の旅の目的を思い出した。Iの友人が最近オープンしたというアイソレーションタンクサロンへ顔を出しに行くのだった。私達はそのお店が23stにあるいう事実になにかの導きを感じていたのだ。私達はダウンタウンを北上していった。

途中でIがどうしても草が吸いたいと言い出し、しかし安心して吸える場所がないという問題が浮上してきた。私達は高架下に無造作に置かれたソファーに座りながら作戦を練った。

「ゼナーキー!お前のカメラがあるだろ。貸してくれ。俺たちは今映画を撮影してるんだ。いいか、道端で草を吸うシーンの撮影だ。俺がカウントダウンするからスタートと同時に吸ってくれよな。周りの人間は映画の撮影だと思って怪しがることはない」

なんとも不安な作戦だったが、私達はその戦法で堂々と道端で草を吸うことに成功した。もちろん私達が勘ぐっているほど、周囲は私達のことを気にしていなかった。アメリカのそれもポートランドなのだ。草など普通にみんなスパスパ吸ってるところだ。そもそも人通りの少ない高架下のソファに座っていただけなのに。

そうこうしている内に次はオシッコが漏れそうになってきた。私は便や尿を我慢できないことで有名で、尿意を感じて5分も我慢していられない人間なのだ。ヤバい。またピンチが始まってしまった。私達はビルの連なる中心街から住宅の立ち並ぶ静かなエリアへと来ており、騒がしさはなく、落ち着いた雰囲気で気分は良かったが、お店もあまりなかったのだ。こんな時に限って次から次へとトラブルが発生する。刻々と尿意は激しさを増していき、体内からの緊急アラートの音がだんだんと大きくなっていく。Iはそんな私に怒ることもなくトイレがありそうな場所を必死に探してくれている。

余裕のない精神状態で5分ほど歩いているとトイレを貸してくれそうなギャラリーを発見した。砂漠のオアシスを発見したかのような安堵感で私はそのお店に入った。私は急いで用を足し、彼の居る部屋へ向かった。

部屋に入るとそこは真っ白な壁に囲まれた空間で真っ白なソファーが部屋の真ん中においてあった。ソファーの向かいの壁には映像が投影され、映像の中で派手なメイクを施した女性たちが叫びながら真緑の廊下を走り回っていた。彼女たちを撮影するカメラも映像に映っており私はなにかミュージックビデオかファッション系のビデオ作品の舞台裏を映したドキュメンタリーだと直感した。しかし編集が普通ではない。音の使い方も常軌を逸しているし、宇宙人のようなメイクも普通ではない。アシッドがキマっているからだろうか。すべてが目まぐるしく感じる。私はIの方を見た。彼は瞳孔を開いて興奮した顔をしていた。

「コレヤヴァイね」

「コレ一体なんなの?」

「ワカラナイ。ヤヴァイね。今の私達のために作られたみたいだね」

この空間へ来ることがはじめから計画されていたような感覚が起こった。そうか、そのためにエージェントは私に尿意を催させたのだ。そう確信した。でなけりゃさっきホテルでトイレに行ったのに、あんなに早く二回目が来るはずがない。それになんだこの部屋は。住宅街にポツンと存在していて、いったい誰が来るというのだ。案の定俺たちしかいない。まるで俺たちのためだけに用意された部屋のようだ。オーナーは俺たちのために完璧な空間を用意してくれていた。ソファーに絨毯、視界を邪魔するものは一切なく、スピーカーの音質もいい。なにか飲み物まで持ってきてくれたではないか。

私は映像を見ながら不思議な感覚に襲われた。まるでテレビゲームが世の中に出てきてその世界に熱中し、話しかけても返事もしない子どもたちがどこか自分たちとは違う異星人のようで、恐怖を感じている80年代か90年代か、そこら辺の時代に生きる子供を持つ親のような気分になった。一体子供たちに何が起こってるのか?このままでは人類はどうなってしまうのか?子供たちに「不気味さ」を感じ恐怖に襲われている旧世代の大人たち同様私は映像から「不気味さ」を感じ、彼らのことを理解しようと頭を働かせた。

まず、撮影場所の散らかり具合。コーンのようなものやトイレの便器。なぜか馬もいる。小道具や大戸具がしまい込まれている倉庫のような雰囲気の空間と映像に映り込むカメラの存在、そしてYou TubeやTik Tokでどこの誰だか知らないやつが撮ったようなブレブレのカメラワークによって、私はこの映像を「投稿映像」として観るように仕向けられた。ここで映っていることは彼らの日常の延長線にあり、つまりただこの時は偶然カメラを回していただけで、毎日こうした生活をしているのではないか?普段もこのようなメイクをしてこのような話し方をしているのじゃないか?そうに違いない。にしても演技がかった振る舞いだし、なんといってもこの宇宙人みたいな見てくれは一体何なんだ!本当に普段もこんな感じなのか?いや、実際にはそんなことはないかもしれないが、そうした方がいい。是非そうするべきだ。そう思った。彼女らは新しい「生活形式」を生み出した。そしてその「生活形式」が生み出すリアリティが次の人類のデフォルトとなっている。そういったリアリティに入り込んだ。

どうしてこうなった?カメラに映っていないとき、彼らはどんな生活を送っているのだろうか。とにかくこれは映像表現の新しい次元には違いない。いや人類の新たな形態なのだ。壮大な人類の歴史が頭の中に展開した。森に住む猿が畑を耕しだし農民となる。農民や漁民が工場を立て、都市へ移り住む。そしてやがてテレビの中に住み、それは今やSNSの中に住むようになった。そして文字の世界からも移動し、You TubeやTik Tokなどのテレビとは違った映像世界に住処を移した人類の最新の感覚秩序がこの映像を生み出したのだと直感した。聖なる散らかり。バカ騒ぎ。もちろん、私は英語を解さないので純粋な映像から受け取った印象だが。英語が聞けていたらまた違ったリアリティへ入っていたかもしれない。とにかく様々なカメラの切り替わり(人物を正面から撮っているカメラ、その撮影風景を横から撮っているカメラ、部屋の住みからすべてを隠し撮りしているカメラ、など様々なカメラの映像が目まぐるしく転換していく)やボイスチェンジャー、切り刻まれたコラージュのような音楽を駆使して新たな「質感」を生み出すことに成功しているのは間違いない。

茫然自失状態で音と映像のカオスに巻き込まれていた私達はアイソレーションタンクのサロンに行くという当初の目的をまたもや失っていた。映像が終わりまた最初から流れ出したところで我に返り、そろそろ行くかということになり私達は立ち上がった。ギャラリーを出る前に店主にコレは誰の作品なのかと聞くと「Ryan Trecartin」という作家の作品だという。私はすぐさまメモをとり店をでた。

その後、私達は無事にアイソレーションタンクにたどりついたが、私の入ったタンクが故障しており、蓋が閉まらなくて落ち着かない体験となった。そしてIの友人である統合失調症ぎみの男イーサンと合流し、Powell's City of Booksへ行ったりMicrocosm Publishingへ行ったりダウンタウンをあるき回り、暗くなるとレストランでクイズ大会に参加した。私はイーサンのウザ絡みに耐え忍びながらも夜のポートランドを満喫した。そしてマクドナルドへ寄り、三人でIの実家へと帰った。長い一日であった。23歳もあと一週間で終わろうという夏の暑い日の出来事だった。




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