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【現代批評】 松ちゃんやジャニーさんに感謝してるか?

 キャンセルカルチャーやコールアウトカルチャーが社会で威張りイキリ倒しているのを野放しにしてどれくらい経つだろう?

必ずしも悪いことではないし、自分だって毎日散々誰かの悪口を吐いてるのでこの文化の流れを批判する立場ではないことは理解している。

が、最近の空気感は気持ち悪い。胸糞悪い。

どうも、おだやかじゃないよね。
世が冷たすぎる、そして実にくだらないことに世に沸きすぎている。

 罪が発覚すればワンパン、はい終わり、って流れが人間的な有機性を失った違和感たっぷりで実に気味が悪い。世の中の違和感は今に始まったことではないけども。

 例えば、全国民みな、ジャニーズの楽曲を一度も耳にしたことが無いのか?全国民みな、松本人志のお笑いで笑ったことがないのか?

そんな訳ない。

多くの方がジャニーズが発表した楽曲に心酔したことがあるし、アイドル達のパフォーマンス、存在に心を救われたはずだ。

多くの方がすべらない話で笑ったし、笑ってはいけないで笑ったし、IPPONグランプリで笑っただろう。

なぜ、その確かな過去ともらったものに対して、感謝をしない?

「俺はジャニーズなんてマジで聴いてこなかった」

「俺は松本人志のお笑いで笑ったことがない」

とクソどうでもいい個人の遍歴を引っ張り出す輩がいるが、

だとしても、ソイツが今の今まで経験した楽しいことや嬉しいことに間接的にジャニーズや松本人志が関わっている可能性は相当多くある。

君が笑って対面しているその人は実はつい昨日まで元気が無かったが、かねてよりファンであったジャニーズアイドルのライブDVDを昨夜寝る前に観て元気を取り戻したばかりかもしれない。

君が笑って対面しているその人は実はつい昨日の日中まで元気が無かったが、昨夜友人と飲みに行き楽しい時間を過ごして今元気、更にその友人も実は一昨日まで元気が無かったが、たまたまYouTubeで観たすべらない話の切り抜き動画で笑って元気を取り戻していたのかもしれない。

つまり、俺たちに関わっていないことなんてほぼ無くて、過去、何かしら自分にも恩恵があったであろうに罪を見つければボコボコに非難ってのは冷たすぎるぜ ということを書きたい。

対面同席五百生(たいめんどうせきごひゃくしょう)という言葉を調べてみなさい。

感謝が足りなさすぎ。

「手のひらひっくり返した様に」って言葉って、私のようなオッサンからすると実に「ダサイ」フレーズなのだけど、今、みんなソレ。悪いこと見つけりゃ餌でも放り投げられた鯉みたいにバシャバシャ、実にもっともない。

批判より文句より、一旦はまず感謝。

人ひとりで生きている訳はなく、何かしら全て関わっている世で己がふんぞり返って何か糾弾する資格なんて無いはずだよ。

こういう事書くと被害者の気持ちがどーのこーの言ってリング外から興醒め御免のギル共がまたバシャバシャ騒ぎ倒すが、ソレはソレ、コレはコレ。

100%感謝に振り切れと書いとるのではない。0か100で物ごとを捉えるな、AIか。

各々の人生でそれぞれが誰かに与えてもらってるものは皆それぞれ違うだろうということを書いている。誘惑と同調と評判で己の過去や意志を書き変えるなと書いている。

まぁ根源はメディアなんでしょうけどね、みっともないことをヤンヤ盛り上げるのが仕事ですから。

ただ、それにどう思うか、何を感じ取るかの選択支は間違いなく私たちある訳で、自主性がまるで無くなった蒟蒻頭の世の中に、もうちょい人情・仁義が蘇ってほしいと願うばかり




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