9月拝観法話「善悪、損得にとらわれない自由な心」
心なしか凌ぎやすい季節となってきましたが、皆様いかがお過ごしでしょうか。
本日は泰勝寺へお参り下さり、有難うございます。
コロナウイルスは五月に5類感染症へ移行したこともあり、話題になることが少なってきたと感じています。
ウイルス自体は大きく変化をしていないと思いますが、私達の受け止め方は、大きく変化してきているのではないでしょうか。
「迷生寂乱 悟無好悪」(迷えば寂(じゃく)乱(らん)を生じ、悟れば好悪(こうお)無し)という禅語(出典『信心(しんじん)銘(めい)』)があります。
私たち人間は迷えば、寂乱すなわち善悪などの対立する分別に陥ります。
それを脱却して悟れば、善悪や好き嫌いなどの分別もなくなり、一味平等・平穏に過ごすことができるという意味です。
「是非」や「損得」などの二見や、社会の価値観に捉われずに、自由自在に生きなさいという教えです。
例えばコロナはウイルスです。
ウイルスには意思がありません。
ゆえに人を傷つけようとする悪意も存在しません。
ウイルスの致死的感染は子孫を残そうとする中で偶発的に起こる悲劇です。
ウイルス感染症は人間社会にとっては脅威ですが、「悪」とみなすのは私たち人間の面から見た勝手な解釈とも考えられます。
コロナウイルスに限らず、例えば雨が降れば立場によって喜ぶ人もいれば、嫌がる人もいます。
雨が降るという事象に、勝手な解釈や分別をし、ある側面だけで物事を判断するのは、私たちの心です。
生じた出来事に意味はありません。
事柄をいかに解釈するかは、それぞれの心次第です。
出来事の意味をいかに見出すのか、表現を変えれば、いかに今、生きるかによって物事の意味合いを変えることはできます。
「日々是好日」同じ日はなく、かけがえのない日々です。
「今という今の、今なる時は無し。今の時くりゃ、今の時去る」
今日を迎えたくても、昨日亡くなってしまった人もいます。
生かされている命に感謝をし、分別や解釈によって物事に捉われるのではなく、かけがえのない今を存分に味わってお互いに生きていきたいものです。合掌
令和五年長月二日
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