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運転が荒いのが悩みです してはならないことをしないことが本当に難しい


今日はお恥ずかしいお話をしたいと思います。

若いときは、運転が上手いと思っていました。
駐車はどこでも出来るし、狭い道も問題ない。

でも、もっと根本的な問題があったのです。

それは、運転していると気が荒くなるということです。


最近、「あおり運転」が問題になっています。
お恥ずかしい限りですが、あおり運転と同じ心の種は自分の中にあります。


高速道路を走っていて、追い越し車線の車が遅かったら、かなりイライラして、車間を詰めたりしていました。

また、一般道路でもウインカーを打たずに車線変更したりする車に遭遇すると、怒鳴りたくなります。


以前は、マナーが悪い相手の問題だと思っていました。

相手が悪い。自分は悪くない。なぜ、自分の運転を妨害するんだ。


では、私の運転マナーはどうかというと、決して褒められたものではありません。

とにかく、速度を出しすぎます。


なので、最近はかなり時間の余裕を持って出かけるようにしています。
大分マシになりましたが、それでも道が混んでいるとすぐにイライラします。

運転していると、普段の自分には見られない、さまざまな嫌な自分が出てきます。


以前は、人のせいだと思っていましたが、問題は自分ですね。

この数年は、呼吸法を試したり、いろいろ試みています。
最近は、遠くを見る、遠くの音を聞くという方法を試しています。

カッとなっているときは、視野がかなり近くなっています。
近くに意識が偏ると、無意識に肩やハンドルを握る手に力が入ります。
遠くの景色や音に意識を向けることで、ふっと力が抜けます。


以前に比べたらかなりマシにはなったと思います。
でも、頭に血が上ることが依然としてあります。

車に乗って不快な気持ちになるのが苦しい。
残念ながら、車の運転は向いていないと心から感じます。


車の運転はいろいろなエゴがぶつかりますね。
普段は抑えていても、運転すると出てしまいます。

相手より先にいきたい。
自分が優先。
スピードを出したい。
相手が悪い。自分は悪くない。
混んでいるとイライラする。
自分の運転を妨害されたらやり返したい。
マナー違反は許せない。
高級車で格好付けたい。
駐車スペースの少しでも近いところに止めたい。
相手を罵る汚い言葉が出てくる。


最近は、自分のエゴが分かるほど、運転が怖いと思うようになりました。
これはいい兆候かなと思っています。

怖いので、曲がり角や交差点などではスピードを落とすなど、注意して運転しています。また、極力相手に譲るように心がけています。

ただ、それでもスピードへの誘惑は断ち切れません。
分かってはいても、つい、スピードを出しすぎてしまう。

スピードは魅惑の罠のように思います。

誘惑に魅せられることから起こるエゴは、我を失わせますね。
気がつくと、アクセルを踏み込んでいます。


この世には、私たちを魅惑する罠が待ち受けています。
私の場合は、運転がかなり手強い魅惑です。
そして、危ない。


他にも、やりすぎてしまう、はまってしまう危険性のある魅惑がこの世にはたくさんあります。

ドラッグ、ギャンブル、お酒、ゲーム、食事、恋愛、仕事・・・

あなたには、はまってしまう魅惑はありませんか。


本当は、運転に近寄らないのが一番いいのだと思います。
ただ、それはなかなか難しい。

いかに隣り合わせの危険と付き合っていくか。
これも人生の課題といえるのではないでしょうか。


だから、警察の存在はありがたいですね。
姿を見るだけで悪いことをしていなくても心が引き締まる。アクセル踏み込むときも、警察が心の中に現れる。

自分の心が向こう側に行く前に、引き留めてくれます。


はまってしまう前に引き留めてくれる何かがあるということは、暴走を止めてくれる歯止めになります。

魅惑から自分の心を引き留めてくれるもの。
警察、ルール、家族、神様、仏様・・・

考えてみても、意外なほど少ないですね。


してはならないことをしないことは難しい。

つい、道を踏み外すのが人の性。それは避けられない。
だからこそ、どこで踏みとどまれるか。


一番は近寄らないこと。
それが出来なければ、エゴが加速しないように、慎重にゆっくりいく。


以前は、自転車でもスピードを出していたので、
よく人とぶつかりそうになっていました。
歩行者からすると、勢いよく自転車が横を通るだけで怖いですよね。


最近は、人の横を通るときにはスピードを落とし、
前から自転車がやってくるときは道を譲っています。
おかげさまで危ないと思うことは少なくなくなりました。


人は怖いと思うとき逃げようともしますが、攻撃的になる癖があります。
私の場合、特に運転にそれが出るようです。


別の見方をすれば、運転は自分の心を映し出しているといえます。


まずは、「怖い」という心に起こっている小さな種を感じられるか。
つい、目的地や時間などにかき消されてしまいます。

「運転が怖い」と感じられるようになって、安心している自分がいます。
怖いと感じられると、優しくなります。

人に優しい運転は、自分にも優しいですね。

この世には「注意」という言葉が溢れています。

「スピードの出し過ぎに注意」「歩行者に注意」
運転だけでもたくさんの注意があります。逆にたくさんありすぎて注意という意識が麻痺しているのかもしれません。

一番注意しなければいけないのは、自分の心。
油断してはならないことは、決して心を緩めてはいけない。

仏教では、やってはならないことに関して、「十六条の戒法」として説かれています。

人の心はいとも簡単に魅惑の罠にはまりやすい。油断しやすいものだということでしょう。

よりよく生きることも修行ですが、やってはいけないことをやらないということは本当に難しい。

私にとっては運転は、常に魅惑との境にいるようなもの。踏み外せば地獄です。しかし、そのことを分かってはいても運転中は忘れてしまう。これこそが本当に怖いことです。

いかに油断せず、注意を持ち続けられるか。

心の荒さ、未熟さというのは、いろいろ教えてくれますね。
まだまだ途中ですが、引き続き探求していきたいと思います。

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