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心を開くのが苦手な方へ 殻を破るには

禅にはさまざまな教えがありますが、学ぶほど一つの教えの奥深さを感じます。

たとえば、「自分を開く」ことがあります。

あなたは今、心を開いていますか。心を閉じていますか。

私は以前、周りに合わせることがいいことだと思っていました。無理に笑ったり、話を合わせようとしたり、嫌われないように気を遣ったり。外側のことばかりが気になっていましたが、心は閉じていたのです。これはとても疲れます。

あるとき心が開いていることと、周りのことが気になることは違うことだと気づきました。本当に心が開いていれば、周りのことはあまり気になりません。無理に合わせようともしません。

私は無意識に「自分を閉じる癖」があるようです。

自分の内側に意識が向いていると、最初は楽です。周りと切り離されることで静けさが戻ってきます。しかし、時間が経つにつれて、他者や周りに対して敏感になってきて、嫌なことばかりが目につくようになります。これは自分に閉じこもっている状態なのでしょう。

そして不思議なことに、閉じこもっているときほど、周りのことや自分に対して安心感を失います。考えすぎて決断できなくなったり、評価へのこだわりが生まれたり。無理に笑っているときほど、自分が大嫌いでした。どんなに上手く立ち回っても孤独感が増していくのです。

先日、「坐禅は自分を開くこと」という教えをあらためて思い出しました。

考えてみると、小学生のころから何度も「心を開く」ことにトライしてきました。トライしていつしか忘れて、またしばらくして同じ課題を思い出すのです。まさに禅の円相のように、何度も同じ場所に戻るのです。


人には人生の中で何度もぶち当たる同じ課題があります。あなたはいかがでしょうか?


何度でも同じところに戻るというのは、一見進化していないようにも見えますが、実は見えないところで「深化」しています。

ここで、私の「心を開く」ことへの取り組みの歴史を振り返ってみます。

①本心を隠す→勇気を出して、少しずつ本心を伝えてみる。本心を伝えられたときの喜びを知る。正直でありたいと心から思う。表面で付き合う人間関係から本心で付き合える人間関係へのシフトがはじまる。たくさんの広く薄い出会いから、少数の深い出会いへと変わっていく。

②本心を正直に伝えることが誠実であり、良いことだと思い始める。一方で、正直でない人を偽善だとジャッジして切り捨てたり、正直に伝えることで、自分は心地よいが人を傷つけてしまったりした。やがて、1人よがりな正直さになり、また自分が閉じていく時期もあった。

③失敗を恐れている自分、上手くやりたいと思っている自分に気づく。これは自分を閉じている状態。そこから自分を開き、まずやってみるというあり方に挑戦しはじめる。コーチとしてフリーランスになるとき、アメリカに行くか悩んだとき、直感の声に導かれるという生き方が顕れてきた。

④裏切られることを恐れている自分に気づく。一方で、信じたいと思っている自分にも気づく。怖いけれど自分を開き、信じてみるというあり方に挑戦してみる。一番問題だったのは、裏切られたと感じたとき。それまでであれば、状況を否定し、相手を否定し、自分を否定していた。本当の課題は、起こることを受け入れ認めてあげられるかどうかだったことに後から気づく。否定したとしても、否定している自分にただ気づく。どこまでも受け入れ、起こっていることをただ気づき続けるという生き方が顕れてきた。

⑤以前は、人との関わりは話すことが中心だった。話すことでしか他人と繋がれなかった→コーチングに出会い、聴くという姿勢があることを知った。クライアントさんとのセッションでは、無意識に自分を開いている。聴くには、正しい間違いというジャッジを手放すことが必要。最初は不自然だったが、鍛錬を積み重ねる中で、自然になっていった。心を開いて聴く姿勢でいることで、言葉が浮かんできたときには自然に話すこともできる。一方向から双方向のコミュニケーションになっていく。今、一番自然体でいるのはセッションの時間。

⑥最初、坐禅に出会ったとき、呼吸が苦しくて仕方がなかった。いい坐り方をしよう。長く深い呼吸をしようと、内側に意識が向いていた。→周りの空気をただ感じ、身体を外に開く感覚が生まれてきた。すると、呼吸が楽になり、心も静かに落ち着いていく。

⑦求める心がある。人が持っているものがうらやましく感じ、自分にないものばかりが気になる。これは内向きに矢印が向いている状態。→与える心は自分の中にある。しかし「与えたら自分のものが減るのではないか」「そもそも自分ごときが与える資格などない」という声が聞こえる。与える場面になると、内向きの閉じた声が大きくなる。相手がどう思うかではなく、自分にできることをやってみようと思う。これは自分を開くこと。自分に矢印を向けるのではなく、相手に向けることで、少しずつ与えることができるようになってきた。すると、与えられていることにも気づけるようになった。

⑧大人数の場では、無意識に自分を閉じていることがある。これは今でも自分自身のテーマ。

以前は、閉じた中で、「自分とは」と問い続けていました。これでは自分という殻が固くなっていきます。自分を探すほど周りとの境界ができて、孤独感も深まっていきます。

まだまだ自分自身も知らない「もともとの自分」があります。

もともとの自分というのは、ご縁の中で顕れてくる自分です。周りとのご縁とは、聞こえてくる音、目に見えるものや、空気や重力などの見えないもの、人など。自分を閉じていては、周りとのご縁が交わっていきません。

もともとの自分とは、自分という殻が柔らかくなり、どこかで境目が消えたときに顕れてきます。そのためにも、自分を開くことが大切であるように思います。

自分を開く中で、発見しつつある、もともとの自分があります。私の場合は、思いやりのある自分など。人に無理に気を遣うということではなく、もともと人への関心が高いのだと思います。それが行動として顕れるとき、恐らく「思いやり」ということになっているのだと思います。

「恐らく」と書いたのは、自分では、あまりにも普通すぎて、「思いやりがありますね」と言われてもピンと来ないのです。本当の自分の核となる性格ほど、自分では気づきにくいのです。本来の自分というのは、探しても結局、目には見えないのだと思います。

本当の自分は、自分では分からない。

だから、本当の自分ほど、上手く言葉に出来ないのです。これはクライアントさんも同じです。

でも、もともとの自分が顕れてくる行動をとり続けることが人生の修行という感じがします。その一つが「自分を開く」こと。

セッションは、まさに「自分を開く」修行と言えます。これはクライアントさんにとっても、私にとっても、です。2人で自分を開いていきます。

2人で心を開いていると、そこに新たなご縁が生まれます。もともとの自分が顕れてくるのです。クライアントさんのもともとの自分や、見えてくる問題は、クライアントさん自身が問題だと思っていたものとは違うことがほとんどです。

禅の師匠は「人はつい問題に手をつけようとします。でも問題だと思っているものは、本当の問題ではありません。本当の問題は一番問題から遠いところにあったりします。」とおっしゃっていました。

大事なことは、問題を解決することではありません。本来の「あなたらしいあり方」を模索することなのです。問題とは、そこにいくための道の駅であり、あなたを浮かび上がらせるためのデッサンのようなものなのです。

ここまで読んでくださり、ありがとうございました。

昨夜、友人からメールをいただきました。内容に衝撃を受け、しばらく言葉が出ませんでしたが、しばらくしてあることが浮かんできました。浮かんできたのは、ずっと自分の中で封印していたこと。気がつくと、今まで他の人に伝えたことがないことを告白していました。

これは「自分を開く」という感覚ではありません。気持ちよいという感覚もありません。ただ、涙が出てきました。


なぜ、この友人がそのようなメールをくれたのか。理由は分かりません。ひょっとしたら、私に準備ができていたからかもしれません。

ちなみにセッションを受けに来られるクライアントさんは、その時点でもう大丈夫なのです。

それがどんなに大きな問題でも関係ありません。

なぜなら、もう自分を開く準備ができているから。

自分の心は自分だけでは開けません。
自分が開くときには、何かが、誰かが開けてくれているのです。

「なにかが開けてくれる」のです。

でも、準備が出来ていなければ、開けてはくれません。
自分ばかりが気になっていては、せっかくの外側の力に気づけません。

まさに「啐啄同時(そったくどうじ)」ですね。雛が卵から産まれようとするとき、内から殻をくちばしでつついて音をたてます。これを「啐」と言います。そのとき、親鳥が外から殻をついばんで破る。これは「啄」。そしてこの「啐」と「啄」が同時におこって、殻が破れて雛が産まれます。

卵から出ていない雛は、もうすでに親を知っているのです。まだ見ていないはずなのに、外側で待ってくれている誰かがいることを知っているのです。まだ体験していない親の愛を信じて生まれてくるのです。

このように人には見たことはないが、もう知っているものがあります。体験する前のゼロポイントがあるのです。それをあらためて知っていくことが禅の修行ではないかと思っています。

これは心の殻を破ることと同じではないでしょうか。開こうとする準備と開けてくれる力が相通じたときに自分の殻が破れる。そして、この好機は一瞬です。一瞬の好機を逃さないこと。心の殻を破るとは、常に現在進行形なのです。

ここまで心を開いて読んでくださり、ありがとうございました。あなたの中のなにかと触れているのだと思うと嬉しくなります。

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