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コミュニティ・オーガナイジングの話を聴いて来ました

昨夜、 同志社大学大学院 総合政策科学研究科 の公開授業に行ってきました。コレ↓
『 市民の力で、社会は変わる! 』 ~ コミュニティ・オーガナイジング & ちゃぶ台返し女子アクション ~

私、 総合政策科学研究科 って何?(ソーシャル・イノベーションも?)というレベルですが。准教授の佐野先生にご縁があり、FB経由でこの講座開催の案内をいただいたのです。

上記イベントページにも記述の 「普通の市民が立ち上がり、それぞれが持っている力を結集して、コミュニティの力で社会の仕組みを変えていく」 というのが、実際のところどういうふうにやったのかな。・・というのが気になったんですよね。

どうも市民運動というと「目標達成出来なかった」という話を見聞きすることが多い印象があるんですよ。今回、「刑法性犯罪を変えよう!プロジェクト」Blieveをひとつの事例として、コミュニティ・オーガナイジングの話をお聞き出来ました。

Blieve について詳しくはサイトを見ていただきたいのですが、100年以上変わらぬ「性犯罪を受けても、被害者が訴えなければ犯罪として加害者を罪に問えない」という刑法を如何変えるか?というアクション。完全にとは言えないけれど、ある一定の成果を上げた理由として以下の分析が。

先ず刑法を変えたいのだから、この問題を扱っていて決定権のある国会議員は誰なのか? というのが分かって居ないと話をしにいけない。 これが日本の場合、実に分かりにくいらしい。ひたすら聞きまくって、 紹介紹介でつないでもらい、アジェンダを作る人にやっと辿り着いたとか(右上の方。画像切れてすみません・汗)。

話を進める中で共感を作り、対立ではなく「問題を突きつける」

ここが、非常に重要だと。
確かに何かの問題を解決する時の順番って、1そもそも、問題は何なのか?を知る→2全体の整理。状況把握とやれることを全部ひとつのテーブルに載せる→3具体的アクションプランを立てる→4実行→5結果の評価 というサイクルだと思うんですよ。

何だかこの最初の1・2の段階でつまづいていて、結局やらない事例があまりにも多いような気が・・「問題があることそのものを認識しようとしない」→問題放置→さらに問題が拡大。の最悪コースですね。。

最近思うのは、「こういうふうにしたい」とアクションを起こす前に諦める風潮って我々中年世代にあるな~と。

これって、どこでそうなったのかな?と思うんですよね。

・・個人的には、小学生時代なんじゃないかと勝手に思ってます。
自分で考えて、どうするかを考えて現実化していくという訓練が全くされていない。それよりか、よく分からんルールに従うという謎の訓練が徹底した結果でもあるんじゃないでしょうか。

今回のように、こういうふうにやったらこうなった、という事例の紹介はとても勉強になるな~ と思ったのでした。
時々、いろんな話聞きに行くのは本当に大事ですね。

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