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『ゴーン・ガール』 夫婦関係ではなく、格差社会の風景が描かれた社会派サスペンス。

評価 ☆☆



あらすじ
中年男性のニックと妻のエイミーは愛し合って結婚したはずだった。ところが今の関係は冷めきっている。ニックは妹マーゴが働いているバーで酒を飲んでいた。家に帰ると部屋の様子がどうもおかしい。エイミーがどこにもない。消えてしまったのだ。



「あなたは愛する人のことをどれだけ知っていますか?」 映画『ゴーン・ガール』のキャッチフレーズである。これを見て笑ってしまった。愛する人だからこそ知らない方がいいことが山のようにあることは誰もが知っている。



夫婦とはお互いの知ってはいけない部分を少しずつ知ってしまい、さらに互いに軽べつしたものを含めて納得、成立するものだ。



2014年公開の『ゴーン・ガール』は夫婦の関係や愛を描いた作品ではない。よくできた社会派映画である。監督はデヴィッド・フィンチャー。出演はベン・アフレック、ロザムンド・パイクなど。ブロンドヘアの白人女性はハーバード大の才女。殺人事件を追うのは女性刑事の黒人。誰もが請け負わないケースを担当する弁護士も黒人。底辺で生活している女性はヒスパニック。各階層を主要な登場人物たちが代表している。



彼らの生活している風景はどれも異なっている。同じアメリカという国なのに。この映画は同じ国土だが異なった「風景」を抱えているという社会格差がキーワードとなっている。その証拠はタイトルバックが風景カットであったことを思い出して欲しい。フィンチャー監督は意図的に風景を撮影しているはず。



映画は「ふたつの階層の人間たちが本当につながれるのか?」を描こうとする。ヒロインのエミリー(ロザムンド・パイク)はニューヨークに生まれの白人女性で、母親は児童文学のベストセラー「理想のエミリー」の著者。ハーバード大を卒業し、何でも完璧にこなそうとする。



夫のニック(ベン・アフレック)はミズーリ州ノース・カーサジ育ち。浮浪者たちが多くて、生活レベルも高いとはいえない場所の出身。父親は痴呆気味で施設に入り、母親はガンを患って最近死んだ。双子の妹は冴えないバーで働いている。



そんなふたりが結婚する。



ポイントはエミリーが根本的に自分がセレブであることを嫌っているという点だろう。理由は自分が誰かの理想とされることを嫌悪しているからだ。しかし、自分は相手を理想化しないと気がすまない。自己中心的な困ったちゃんである



なぜ、そんなことがわかる? 例えば、夫が嫌ならいつだって実家に戻ることができたはずだ。でもしない。夫だってそう。奥さんが嫌いなら離婚しちゃえばいい。でも、しない。不思議でしょ? セレブな彼女がなぜお金に見向きもしない? なぜそんなに子供が欲しい? この映画にはよく考えると不思議だと思うようなことがいっぱい出てくる。



答えは簡単にわかる。互いの階層に飽き飽きしているからである。どの登場人物たちも自分たちの現状に満足してる人たちはいない。



タイトル『gone girl』もちょっと象徴的だ。『gone woman』でもなければ『missing girl』でもない。このgirlってもちろんamazing Amyのことを意味している。この映画でgirlは彼女しか出てこない。つまりはgone=去ってしまった少女=理想と考えられる。果たして、理想が去った後の現実は? 個人的にはわかりやすいラストだと思う。



それにしてもデヴィット・フィンチャーは目が悪いのか。このルックでOKを出すとは。VFXバリバリの画面は見ていて疲れる。雪やパウダーが舞うシーンは全然綺麗じゃない。こういうのを綺麗だと思う感覚は問題がある(と思う)。彼のルックは『ゾディアック』以降、どんどん悪くなっている。そのことを指摘する評論家はいない。



初出 「西参道シネマブログ」 2015-06-24



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