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『カンゾー先生』 麻生久美子の存在感がいい。悲しみの向うにある突き抜けた可笑しさ

評価 ☆☆



あらすじ
昭和20年、太平洋戦時下にあった岡山の海岸が舞台。中年医者である赤城はが奔走していた。彼はどんな患者にも「肝臓が悪い」という原因にするためにカンゾー先生と呼ばれていた。彼は父から「開業医は足。疲れても走れ。寝ても走れ」と教えられていた。今日も無償に近い給料で働いていた。



今村昌平監督の『カンゾー先生』を観る。1998年の公開。監督は今村昌平。彼の遺作である。出演は柄本明、麻生久美子など。麻生のヌードシーンなどでも有名な映画である。原作は坂口安吾。この映画はコメディなのか、それともシリアスなのか、それともエロなのか? ちょっと不安だった。



調べてみると、この作品はもともとは3時間以上あったらしい。エピソードもふんだんにあって、登場人物たちが多すぎたようだ。そこで泣く泣くカットしていった。確かに途中で「あれ?」と思うようなカットの繋ぎがあった。編集ミスではないだろうが、かなり危ういつなぎ方をしている。



それでも、さすが巨匠。その辺の監督たちは足元にも及ばない。特に柄本明演じる赤城風雨医師が面白い。僕は個人的に柄本明がそんなに好きではないが、この映画のカンゾー先生のキャラは良かった。脇役たちも良い。麻生久美子は頑張ってました。おしりが可愛かった。あの年齢ではあれが限界かもしれないね。



結局、全体のトーンとしてはコメディというか漫画に近い。僕は今村映画を観ている方ではないが『うなぎ』に似てる。でも、あれほど暗くない。むしろ黒澤明の『まぁだだよ』に近いというべきか。リアリティがないというか、突き抜けた可笑しさがある。



ひとは、悲しいことも、苦しいことも、荒々しいことも、美しいことも超える突き抜けた可笑しさにたどり着くらしい。ラストのエピソードはそんな感じだった。



黒澤明といい、今村昌平といい、晩年に共通項を持ち始めるというのも発見だった。原爆に対する感覚、名誉や金に関する感覚も似ている。違うのは性とか生に関するアプローチの仕方くらいだ。今村はとてもおおらかというか、自然なのに対して、黒澤は性に関する表現を前面に出さない。



いつか『カンゾー先生』の完全版をぜひ観たいものだ。ディレクターズカットとして観れないかな。あ、そうだ。もう監督は亡くなっていないんだっけ。



初出 「西参道シネマブログ」 2010-04-27



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