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『汚れた女(マリア)』 ポストモダン的傑作。この映画は必ず再評価される。
評価 ☆☆☆☆
あらすじ
美容室で経理と雑用の仕事をする城島文子。彼女は夫と幼い息子の3人暮らしをしていた。ところが彼女は同じ美容室で働く美容師の沢井秀二と不倫していた。また沢井は、同僚の村上真由美との噂も立っていた。
ピンク映画に関して造詣の深い友人がいる。20代の頃、彼のアドバイスを聞いて何本かピンク映画を観た。周防正行、米田彰、水谷俊之、磯村一路、福岡芳穂はユニット・ファイブという同じ事務所にいて興味深い作品を次々と発表していた。
当時はディレクターズ・カンパニー(石井聰亙、井筒和幸、池田敏春、大森一樹、黒沢清、相米慎二、高橋伴明、根岸吉太郎、長谷川和彦、長谷部安春)たちも意欲的な作品を作り続けていた。監督たちが元気だった時代である。他にも森田芳光、阪本順治などが活躍していた(ちなみに森田監督の『ときめきに死す』の助監督たちはユニット・ファイブである)。
そんな中で「ちょっとすごい新人監督がいる」と耳にしたのが瀬々敬久だった。低予算で量産された「にっかつロマンポルノ」よりもさらに制作費の少ないピンク映画を撮っていた。
ピンク映画の制作費は極めて安い(300~400万円)。けれど何シーンかの濡れ場を入れればあとは何をしても構わない、というもの。そのせいか、作家性の高い作品も多かった。学生の自主制作映画にもよく似ていた。僕はその友人ほど熱心なピンク映画ファンではなかったので瀬々の作品を見る機会がほとんどなかった。
10年以上前だが、やっと『高級ソープテクニック4 悶絶秘戯』(原題は『迦楼羅の夢』(かるらのゆめ))や『雷魚 黒い下着の女』(原題は『雷魚』)を観ることができた。こいつはすごい。まるでフランスのフィルム・ノワールとシュールレアリズムを足したような作品だ。
その頃、瀬々敬久はピンク四天王のひとりと称されていた。ちなみにピンク四天王とは、佐藤寿保、サトウトシキ、瀬々敬久、佐野和宏。この辺りの作品群も面白いが、他の作品は瀬々ほどの衝撃は受けなかった。
年月は経ち、ネットを検索していて、瀬々敬久の初期の傑作として知られる『雷魚 黒い下着の女』、『汚(けが)れた女(マリア)』に遭遇。すごい時代ですね。『雷魚 黒い下着の女』は再見だが、中上健次的な影響が随所に見られる。かつてのATG作品を意識している作品だと改めて感動した。登場人物各々に物語が用意され、それらがうまく絡んでいく。緻密にできているし、撮影手法も面白かった。ラストも驚愕だった。
しかし、それ以上に素晴らしいと思ったのが『汚れた女』だった。1998年に公開されている。監督は瀬々敬久。出演は吉野晶、諏訪太朗など。『雷魚』のような物語性はない。もちろん大まかなストーリーはある。福岡の美容師バラバラ殺人事件をベースにしているが、なぜ殺したのか、なぜ逃亡したのか、理由も動機も定かではない。
いつのまにか寒々とした雪景色と不思議な関係の男女の逃亡劇が展開される。「物語のカタルシスなんていいじゃないか」と言われている気がする。「そんなものはこの世にあふれている。そうじゃない感動だってあるだろう? 」と挑発される前半。さらに驚くべき日常との決別のシーンが続く風景が物語を内包する後半。
雪の中に立ち並ぶ電信柱たちはどことなく十字架の列にようにも見え、罪を犯した女性を引きずりながら歩く男の姿は宗教画のようだ。素晴らしい風景カットが延々と続く。意味をこえたシニカルな笑いと物語性を完全に拒絶したラストシーン。奇跡のような作品だった。風景が意味を持ち、映像が意味をこえていく瞬間が間違いなく捉えられる。風景のモチーフが成瀬巳喜男的だったのも好感が持てた。
この映画はなんと6日間で撮影されたと言う。信じられない。同じようなクオリティの作品である『サクリファイス』をアンドレイ・タルコフスキーは確か2年近くかけている。結局、映画は製作時間ではないのだ。才能と熱意があれば、いくらでも良い作品を短期間で作れる。ピンク映画の作品群はそれを教えてくれた。
確かに商業主義映画に面白いものはたくさんある。しかし、熱意がなければ面白い作品など作れるはずがない。瀬々敬久監督は商業映画を取るようになり、どのように変化したのかは定かではない。少なくともピンク映画時代のきらめくようなカットにお目にかかることはない。水谷俊之監督も同じである。
ところで、自主制作で映画を作っている人たちがいる。学生で映画を撮影している人たちだ。かつて僕もそのひとりだった。商業映画と戦ったとしても予算と技術では勝てるはずがない。だが、十数億円をかけた大作よりも観客の心に刻むことができる個人的な映画はいっぱいあった。
映像の衝撃。それこそが僕は映画の本質だと思っている。そのことを圧倒的な力で証明してくれた作品が『汚れた女』だ。同時に、ポストモダン的な感動にあふれている類まれな映画でもある。多分、いつか再発掘されることは間違いない。
追記
この映画は『汚(けが)れた女(マリア)・背徳の日々』というタイトルでもリリースされているようだ。
初出 「西参道シネマブログ」 2014-03-02
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