見出し画像

『クラッシュ』 アカデミー賞を授与した協会は本当に人種差別をしていないのか?

評価 ☆☆



あらすじ
クリスマスシーズンのロサンゼルス。ファハドと娘のドリが銃を購入していた。ところが、店主はファハドをアラブ系だと勘違いして差別的に扱い、ファハドを怒らせた。



今年のアカデミー賞は『それでも夜は明ける』が多くの賞に輝いた。黒人の監督による人種差別を前面に出した作品。司会のエレン・デジェネレスはオープニングで面白いことを言っていた。「今夜は2つの展開が予想されます。1、『それでも夜は明ける』が作品賞を受賞する。2、皆さん全員が人種差別主義者」。どっちに転んでも『それでも夜は明ける』が受賞しないと人種差別問題になる、という意味。アカデミー協会が人種差別を肯定していないことをアピールしているのかもしれない。



2005年のアカデミー賞作品賞に輝いた『クラッシュ』は、ポール・ハギス脚本・監督による人種差別に関する作品。交通事故をモチーフにして多人種間の衝突、偏見を描いている。表向きは人種差別の問題提起をした作品として知られている。



ちなみに、1996年に公開されたデビット・クローネンバーグ監督、J・G・バラード原作の『クラッシュ』とは関係ない。クローネンバーグの映画はそれなりに興味深いけれど、話が長くなるのでまた今度。



『クラッシュ』の中で描かれているアメリカ社会は、白人は黒人を馬鹿にし、黒人は白人たちに偏見を持っているという、昔からの対立がメインになっている。さらに、アラブ系のどんな人種もイラク人と勘違いされて、アジア系は中国人と日本人の区別もつかない。



各々のエピソードが連鎖的につながる構成の中で「この人は悪いんだな」と思っていると同じ登場人物が実は良い人だった、あるいは「悪いことしても仕方がない部分がある」というエピソードに絡む。逆に「いい人じゃないか」という登場人物が犯罪者になったりもする。



脚本がよくできているから面白く感じる。でも、構成自体が新しいわけでもない。ロバート・アルトマンの方が数段すごい。サンドラ・ブロック、ドン・チードル、マット・ディロンらが出演している。



本作品は、貧富の差つまり資本主義社会の問題点を提起している。勝者と敗者という構造での不満が人種差別にすり替えられていくのを上手く見せている。さらに、アメリカ社会のもうひとつの問題点である銃の氾濫にもスポットを当てている。



人種差別はひとびとの不機嫌さを増長させている。しかも、それを犯罪へとつなげているのは銃である。その銃社会と治安の問題が大きくなっているから、資本主義社会の問題点はいつのまにか人種差別問題のように見えてくる、というわけだ。




物語の構造は複雑ではない。誰でも読み解ける。ただし、この映画の問題なのは観客が『クラッシュ』を単なる人種差別問題を扱っているとみなす点だろう。観終わって各登場人物の結末を考えて欲しい。結果的に有利なのは誰だろうか。



つまり、アメリカ社会の現実と捉えるのではなく、結末自体を肯定しているのが『クラッシュ』という作品である。そう考えると、これほど人種差別的な映画はないんじゃないかな。



僕はこの映画がなぜ支持されるのかわからない。同年のアカデミー賞で本命とされたのは『ブロークバック・マウンテン』。アン・リー監督は台湾出身、『クラッシュ』のポール・ハギスはカナダ出身。一方は同性愛の話、もう一方は人種差別を装っている。扱っているのではなく、装っているということろがポイントだろう。



本当にアカデミー協会は差別主義ではないのか?



追記


このあと、ハービー・ワインスティーンがセクハラ問題でハリウッドで追放されるなど、アカデミー協会もセクハラ、性差別問題でゴタゴタしてますね。早く性差別などがない世界になってほしいものである。



初出 「西参道シネマブログ」 2014-03-27



ここから先は

0字

¥ 100

期間限定 PayPay支払いすると抽選でお得に!

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?