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『おとうと』 映画的言語が満載。芸術とエンターテイメントが見事に融合。ちょっと怖い。

評価 ☆☆☆☆



あらすじ
小説家だが家族にあまり関心のない父親、世間体ばかりを気にする母。だが姉のげんと弟の碧郎は仲が良かった。ある日、百貨店へおつかいに向かったげんは、万引き犯と疑われて店員に捕まってしまた。別室で店員は高圧的に彼女を脅してきた。しかし、げんは母のメモと購入品、受取書を出して荷物を改めさせる。



1960年公開の映画『おとうと』の話をしよう。監督は市川崑。出演は岸恵子、川口浩など。代表作といわれている作品のひとつである。



市川監督はその作風が作品によって大きく分かれる監督としても知られている。エンターティメント性の高い映画を撮影するかと思えば、芸術性の高い作品も作り上げる。



また、あるテクニックをよく使うことでも知られている。ひとつは極端な陰影。『雪之丞変化』などが好例。舞台に近いライティングだ。もうひとつはフィルム処理。今回の『おとうと』では“銀残し”と呼ばれるフィルム処理が施されている。簡単に言えばセピア調にするための現像処理である。



『おとうと』はなんと暗い映画だろうか。家族の崩壊と再生を描いたこの映画には人間の本質的なエゴと幸福への希求が描かれている。原作の幸田文が恐るべしなのか、それを描ききった市川崑が恐るべしなのか。



俳優にも注目したい。岸恵子、川口浩もさることながら、田中絹代と森雅之の奇妙な演技も怖い。個人的には死神のような医者、浜村純が数カットながら印象に残る。ちょい役なのに本当に怖い。死神のようだ。



こういう映画を観ていると「最近の映画ばかり見ていると、ある感覚が衰弱する」のがよくわかる。特にハリウッド映画。その場限りの感覚では到底たどりつくことのできない領域である。



同時に、市川監督は二面性を兼ね備えた人だったと痛感する。そのせいだろうか。市川監督自身が自分の方向性を見失っている作品もある。芸術性が高ければ人が集まらず、かといって大衆性が高いと自分が納得しない。両方をとりまぜただけでは消化不良に終わってしまう。



そんな中、この『おとうと』は、このふたつがうまく融合できている傑作と言っていい。しかしテーマが重過ぎる。覚悟して見るべし。ラストのさりげなさは常人では思いつかない。いや、まいったね。



初出 「西参道シネマブログ」 2010-03-04



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