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『恋人たちの時刻』 何度も思い出す。そんな作品の奥底には何かが潜んでいる。
評価 ☆☆
あらすじ
東京から札幌の予備校に通いながら、北大医学部を目指す西江洸治。彼はサーフィンをしていた小樽市の銭函にある海岸で、乱暴されそうになるひとりの若い女性を助けた。その後、札幌の歯科医院でアルバイトをしているという女性とばったり会う。女性の名前は村上マリ子といった。
時折、思い出す女の子がいる。一度か二度デートをしただけで特別な関係にもならなかった。相手も僕もそんなに好きではなかったかもしれない。または、何かタイミングみたいなものが合わなかったのかもしれない。逆にディープな関係になった女性はあんまり思い出したりはしない。不思議なものだ。
映画にも同じようなタイプがある。観た当時はそんなに気にならなかったし、もう一度観たいとは思わなかった。でも後になって何度も思い出す。『恋人たちの時刻』もそんな作品。
1987年公開の『恋人たちの時刻』は、澤井信一郎監督、荒井晴彦脚本、久石譲音楽、テーマ曲は大貫妙子など、才能あるスタッフたちが集まっている。出演は野村宏伸と河合美智子。河合美智子のヌードでも有名だが、僕はヌードだけで映画を面白がるほど若くない。この映画の河合美智子の熱演は印象に残っている。
全然話は違うけど、大学の映画サークルのOB会に河合美智子が来ていた。彼女はOBなどではなくてOBの誰かと結婚したようだった。どうでもいいけれど、ちょっとだけ自慢したくなる。
話を戻そう。なぜこの映画が気になっているかというと、この作品に登場しているのが「だいたい誰とでもセックスする女性」だから。僕は基本的にこういう女性は苦手である。実際に僕の周囲にも何人かそういう女性たちがいた。彼女たちは自分の弱さに気づいていて、彼女たちなりに悩んでいたようだ。僕はそういう女性たちが投げるボールをうまく打ち返すことができなかったのかもしれない。ただし、ボールが投げられたことはわかっていた。
80年代にそのような女性が多くて、現代にそういう女性が少なくなったとは思えない。だから『恋人たちの時刻』が再評価されていいのではないかとも思う。ただし、この映画はストーリーが破綻している部分もある。それも映画の魅力のひとつとなっているけれど。
何度も思い返していると、ある真実が浮かび上がる。やっぱり、思い出すようなものにはそれなりの魅力があったのだろう。どこか真摯な想いがあったのだ。映画にしても、女の子にしても。それだけは間違いない。
初出 「西参道シネマブログ」 2012-04-15
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