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『悪魔の手毬歌』 わらべうたの歌詞に絡めての連続殺人。石坂金田一シリーズ最高傑作。

評価 ☆☆☆☆



あらすじ
昭和30年、岡山の山奥にある鬼首村(おにこべむら)にやってきた探偵の金田一耕助は、村に古くから伝わる手毬唄に見立てた連続殺人に遭遇する。村を二分する由良家と仁礼家の確執、背後に見え隠れする謎の男、23年前に起こったある殺人事件との関連をめぐり、金田一耕助は推理を巡らせる。



市川崑監督の金田一耕助シリーズを久しぶりに観た。仕事で『獄門島』(意外と面白い)を何度も観ていたけれど、『悪魔の手毬歌』の方は本当に何年かぶりだった。この映画は1977年公開。出演は石坂浩二、岸恵子など。『犬神家の一族』のヒットを受けて製作された石坂金田一の第二弾である。



素晴らしい。カメラマンは長谷川清。金田一シリーズの最高傑作と呼ばれるだけのことはある。カメラは『犬神家の一族』よりも数段良い。



『悪魔の手毬歌』がこれほど素晴らしい出来だとは思わなかった。以前、テレビで何度か見て「こんなものかな」なんて思っていた。だってさ。金田一耕助探偵はほとんど「しまった!」と言いながら事件が終わってから謎解きをするし(そんなことしたら犯人の思うつぼじゃん)、犯人たちも殺した後にいろんな飾り付けをするんだけど、それって実際には面倒くさい。そんなことならバババと殺しちゃった方がいいかな、なんてね。そう思いませんか?



ところが『悪魔の手毬歌』は小賢しい理屈なんて吹っ飛ぶくらいの衝撃。確かに犯人の動機がいま一歩踏み込めていないところはあるけれど、映画としての面白さが随所にある。



ヒッチコックのいうところのサスペンス演出が随所に見える。サプライズになってないところも好感が持てる(「ヒッチコック映画術」を参考に)。映像としてのクオリティも高い。こんなふうに日本の風景を美しく、独特のセンスで描ける監督もカメラマンも現在はいない。『春の雪』のリー・ビンビンとか、『2046』のクリストファー・ドイルすら足元にも及ばないクオリティの高さである。



かつての日本映画業界の質がいかに高かったか、最近のハリウッド映画を観ていると本ツオに痛感する。映像とは何かという質問を良くされるが、結果的にはカメラマンのセンスなのだ。




申し訳ないけど、ハリウッド映画、世界中の映画を含めて『悪魔の手毬歌』レベルの映像を作り上げることができる撮影監督はほとんどいない。最近の映画はカメラマンと照明そしてフィルムに対する感覚が特別鈍っている。僕もスクリーンではなくDVDとか衛星放送で観てるから、デジタルがすべて悪いとは思わないけれど、それにしても酷い。



衝撃的というか、背筋がピンと張るというか、「このくらいのクオリティがないと作品とは呼べないんだよ」と言われたような気がした。完成度が高いというのは、こういうことを言うんですね。



初出 「西参道シネマブログ」 2007-05-01



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