『おくりびと』 ふぐの白子とチェロの暗喩。この映画のテーマ性は「セックス」にある。
評価 ☆☆☆☆
あらすじ
オーケストラが経営破綻して失業したチェロ奏者の大悟。彼は東京を離れて、妻と山形に戻ります。母の残した家で彼は就職先を探し始める。求人広告で「旅のお手伝い」と書かれた企業を目にして、彼はその会社へと向かった。
映画『おくりびと』をやっと観た。これは、あるひとから勧められた作品だが、中盤まで号泣ものでした。『おくりびと』は2008年公開の映画。監督は滝田洋二郎。出演は本木雅弘、広末涼子など。
僕の中で滝田洋二郎監督といえば『痴漢電車』シリーズで。特に『痴漢電車・ルミ子のお尻』は本当に面白かった。笑わずに観られるひとがいたら教えて欲しい。ただ、ピンク映画なのでいまは観られないかもしれないけれど。ピンク映画という枠組みを超えた面白さを感じたのも事実。
滝田洋二郎監督が好きかといわれると正直微妙だが、ピンク出身の監督だけあって女性をセクシーに撮影するのは上手い。『おくりびと』に登場する女性たちにはどことなく色気を感じさせる。広末涼子も、余貴美子も、吉行和子も、素人っぽいエキストラであっても、妙にセクシーである。
実は『おくりびと』はセックスをテーマにしている。映画はもちろん死を扱っている。生と死という二極、その真ん中に「ひとのつながり」が置かれている構造だ。ひととのつながりがセックスの延長だというのではない。生きること、死ぬことも含め、セックスが根底にあると監督なり、脚本家なりが考えているのではないか。
もっと言ってしまうと、この映画は、生=小山薫堂の脚本+彼の趣味、死=この映画の発案者の本木雅弘+彼の趣味、「ひととのつながり」=滝田洋二郎の演出+彼の趣味的演出になっている。
滝田はセクシーな女性と共にコミカルさによって死と生を捉えようとしている。彼の描く「人間の可笑しさ」は彼の映画によく出てくるテーマだが、この映画では秀逸である。
各々のお葬式のシーンはどれも笑いながら泣ける。小山薫堂の脚本は生きることを「食」に置き換えて構成している。タコ、鶏、干し柿、河豚の白子、フランスパンに載せられた刺身などが登場するが、どれも美味そうである。本木雅弘は荘厳な死を納棺師としての儀式とチェロを弾く姿の美しさで表現しようとしている。
それらが絶妙な調和で描かれている映画でもある。
もちろん、納棺師という死の間近にある職業のすごさが前提。この作品で思わず涙が出てくるのは、日本人の持つ死に対する厳粛な気持ちが滲み出ているからだ。ディテールが丁寧なのもいい。チェロの床の傷、お婆さんの手のささくれなど、滝田監督が細部にこだわっているのがわかる。
脇役のひとたちもいい。山田辰夫、峰岸徹、笹野高史、吉行和子などは、軽く演技を見せてくれてるのだが、胸にぐぐっと迫ってくる。特に山田辰夫の演技は本当に良かった。
ただし、後半からラストにかけての話は映画の嘘が並べすぎられている気がした。オチとしてどう? ありきたり過ぎない? とも思う。この最後の部分を差し引いても素晴らしくよくできた映画である。
ちなみにこの映画のプロデューサークレジットには、大学時代に参加していた映画サークルの先輩の名前がありました。面白かったですよ。Aさん!
初出 「西参道シネマブログ」 2012-07-28
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