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『夕陽のガンマン』 作曲家エンニオ・モリコーネと監督セルジオ・レオーネは小学校の同級生だった。

評価 ☆☆



あらすじ
アメリカ南部の駅に立った男は1,000ドルの懸賞金がかかったお尋ね者の張り紙を目にする。彼の名はモーティマー。大佐と呼ばれる凄腕のガンマンだった。雨の中を現れた若いガンマンはモンコ。彼も賞金稼ぎだった。酒場でお尋ね者とその一味を瞬殺して2,000ドルを手にしていた。その頃、刑務所に何者かの集団が押し込み、ボスである凶悪殺人犯のインディオが脱獄した。



『夕陽のガンマン』を久しぶりに観る。僕は『続・夕陽のガンマン 地獄の決斗』が大好きなので『夕陽のガンマン』の印象が薄い。監督はもちろんセルジオ・レオーネ。出演はクリント・イーストウッド、リー・ヴァン・クリーフなど。1965年公開の映画である。



観直してみると『続・夕陽のガンマン 地獄の決斗』の元ネタとなっている部分があって興味深かったが、やはり全体的には物足りない。



一緒にセルジオ・レオーネのドキュメンタリー番組を観た。こっちの方が面白かった。リー・ヴァン・クリーフは仕事のない画家だった頃に、レオーネに俳優業を勧められたという。人間、どこでどう変わるかわからないですよね。



レオーネ監督と音楽のエンニオ・モリコーネが小学校時代の同級生だったというのもすごいエピソードだった。



映画監督だけでなく、アーティストたちの話にはそういうものが多い。有名になる前からいろんな人たちと知り合って、不思議とみんな有名になるみたい。そういう星回りなんだろうか。才能ある友人を持つことも有名になるキーワードかもしれない。僕の周りはどうでしょうか?



このドキュメンタリーには、クエンティン・タランティーノ監督も登場していて「僕は超クローズアップを撮影することを『ここはレオーネでいこう』と言っていたんだ」という話をしていた。『夕陽のガンマン』にも、そういう過剰とも言えるカットが山のようにある。



僕は過剰な表現というのが好きで、鈴木清順、初期の森田芳光、ヒッチコックの映画をこよなく愛している。過剰すぎて笑っちゃうくらいなのがいい。その方が何度も観たくなる。過剰な人間もわりと好きだし、ある意味、人間はそういう過剰さがないといけないんじゃないか、とさえ思う。



村上龍だって過剰、大江健三郎、村上春樹だって過剰な文章である。アートでこじんまりとまとまっているのはどうもいただけない。そう思いませんか?



初出 「西参道シネマブログ」 2006-10-12



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