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『刑務所の中』 アルフォートで仲間を裏切るとは、ある意味、斬新。小津安二郎的刑務所レポート。

評価 ☆☆



あらすじ
中年男性の花輪はサバイバルゲームと銃が大好きだった。仲間とサバゲーを本格的に楽しんでいる。数人の仲間とモデルガンを持ち寄って自慢合戦。花輪はダーティハリーで使われていた同じタイプの拳銃を披露。拳銃はモデルガンを改造した物で後に逮捕。実刑判決となり刑務所に。



2002年公開の『刑務所の中』は奇妙な映画である。監督は崔洋一、出演は山崎努、香川照之など。この映画には戸惑いを覚えた。映画ではあるものの、話の大半は「日本の刑務所の中はどうなっているか」のレポートに費やしているからだ。刑務所の中で朝何時に起きて、朝ごはんは何を食べるか、どんな会話をしているか、刑務所の中はどんなふうになっているかなど、些細なことが記されている。刑務所映画なのに、脱獄計画もなければ、大きな内輪もめもない。淡々とした刑務所の中の日々を丁寧に見せている。



登場人物たちの激しい感情の起伏もなく、規則正しい生活があるだけだ。刑務所の中での話と言えば東陽一監督の『サード』(これは少年院だけど)、深作欣二監督の『仁義なき戦い』などを思い出すが、『刑務所の中』にはそれらの作品に比べてまったくドラマがないように見える。



強いて言えば小津安二郎版「塀の中」。いや、まだ小津安二郎の作品の方がドラマがある。それでも映画として成立しているようにも思える。どうだろうか。監督の崔洋一は大きな賭けに出ている。ドラマを放棄してドラマを作ろうとしている。



崔監督が苦心したのは話を淡々にした分だけ、どこで人間の陰を出せるのかだろう。彼は細部にこだわること、クラシック音楽によって人間らしさを醸し出すという手法を取っている。「オンブラ・マイ・フ」「カヴァレリア・スルティカーナ」「ボロディンの弦楽四重奏曲第二番」など、初心者向けといったところだが、刑務所とクラシックの融合は予想以上に効果を発揮している。



もともと刑務所は社会から疎外された人間たちの集合体である。この映画ではコミカルな要素を盛り込んでいるが、その向こうにあるちょっとした人間の悲しみ、悲哀さがどうしても見え隠れする。それをクラシック音楽によって伝えようとしている。



同時に、この映画では刑務所の中での「自由のなさ」を伝えている。ドラマ性がないことは自由がないことでもある。廊下を歩く歩幅までが決められ、トイレに行くにも許可が必要な集団生活。大声で笑うと怒られ、ケンカなんて絶対に駄目。徹底された管理社会のデフォルメされたかたちで示される。



そんな受刑者たちの楽しみは定期的に出される食事だった。特に「甘いもの」に対する欲求が大きくなるという。映画でも食事に関する情報が多い。多すぎるくらいだ。まるで受刑者たちの食事レポートみたいでもある。それが妙なリアリティを生んでいる。不思議なものだ。



女性がひとりも出てこないのも変。まるで男子小学生たちの合宿みたいな感じだ。もちろんそこは完全管理された世界だ。こういう世界に憧れるひとも実は多いのではないのかな? だって楽でしょ。何も考えなくていいんだから。だからといって映画は管理社会の危機を提唱しているわけでもない。



なんとも奇妙な映画だった。この作品はミニマリストを目指しているひとにとっても、規律正しい生活をしたいひとにとっても興味深いはず。山崎努の演技もこれまでに見たことがないタイプのものだった。登場する俳優たちは誰もがどこか情けない感じがいい。ちょっと作り気味って感じがしないでもないが。



こういうのも映画。ある意味で斬新で意欲的な作品である。



初出 「西参道シネマブログ」 2014-02-11



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