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『羊たちの沈黙』 考察を加えるなら、クラリスの父性への希求と母性としての保護感覚。

評価 ☆☆☆



あらすじ
連続殺人事件が起こっていた。犯人はバッファロー・ビルと呼ばれ、若い女性だけ狙っていた。その皮を剥ぎ、最終的に川に流すという残虐的な犯行を繰り返していた。警察は総力を挙げて捜索しているが、何の成果もあげることができない。



映画よりも原作のほうが良いのが普通だ。原作を凌駕することは難しい。しかし、映画『羊たちの沈黙』は素晴らしい仕上がりになっている。 レクター博士のアンソニー・ホプキンスとクラリス捜査官のジョディー・フォスターの存在感に依るところが大きい。



残念な部分もある。原作では多いはずのスコット・グレンが演じているクラリスの上司役に関するエピソードは、映画でほとんどカットされている。本当はこういうのも丁寧に描いて欲しかった。でないと、なぜクラリスがレクター博士に会いに行くことになるかがいまいちわからない。



トマス・ハリス原作の同シリーズの前作にあたる「レッド・ドラゴン」は、映画『刑事グラハム/凍りついた欲望』(マイケル・マン監督。最近『刑事グラハム』というタイトルに変更になったらしい)として知られている。こっちの方も良く出来ていた。『羊たちの沈黙』はこの『刑事グラハム/凍りついた欲望』という映画の影響を大きく受けているのはよくわかる。



前作がなかったら『羊たちの沈黙』は全然違ったものになっていたはずだ。 例えばレクター博士のキャラクターがよく似ている。物語が淡々と進行する感じもマイケル・マン監督のテイストである。突入シーンなんてびっくりするくらい同じである。



小説の方は「レッドドラゴン」よりも「羊たちの沈黙」の方が完成度が高い。映画では詳しく描かれていないが、羊たちの叫び声に関するエピソードがあって、それがとてもいい。「秘すれば花、秘さざれば花にあらず」っていうのがあるが、それに似ている。



わかりにくいかな。ちょっと考察したい。主人公クラリスのトラウマは、父親の死と養子として出された農場での羊の屠殺にある。殺される運命にある子羊たちを救おうとして救えなかった自分への無力さ。それは小説「ライ麦畑でつかまえて」の主人公ホールデン・コーフィルドの持っている正義感に近い。



父性への希求と母性としての保護感覚は、羊たち=被害者の声のない(沈黙)叫びに対してだ。ただし、この考察は映画ではさほどの意味を持たない。重要ではあるが、映像上必要ではないのだ。その意味で「秘すれば花、秘さざれば花にあらず」。つまり匂わすだけでいい。



この映画で『羊たちの沈黙』というタイトルに関するエピソードは深くない。でも、映画はよくできている。人間の心の深淵を少しだけ見せつけられたような感じがする。



それにしても、料理の時に肝臓がないからといって、税務員の肝臓を使っちゃだめだよね。良い子は真似しちゃいけません。それとFAUCHONのいちじくジャムは美味です。お試しを。



初出 「西参道シネマブログ」 2004-12-12



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