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間違いだらけの英語の勉強

本テキストは、ドリームラーナーズ内で活用している「英文法基礎テキスト」の書き出しです。有料マガジンとして項目・単元ごとにリリースしていきたいと思っています。

私がこのマガジンで解説していきたい「英文法」とは「英語の基本ルール」のことであり、それは必ずしも単元ごとの詳細な説明を意味しない。いわゆる「英文法」の学習を行うとき、君たちは単元別の学習ばかりを行うばかりであり、英文を読んでいく上でそれらの意味内容をどのように判断していくかという観点から学ぶことはほとんどない。

確かに、単元別の文法学習のように、ある表現がどういう意味なのかを、その形を確認しながら覚えていくことは意味のある学習であろう。しかし、そこで得た知識を、どんな場面でも当てはめられるスキルに昇華させていないことが問題なのだ。

上達の基本:ルールを覚えて、活用できるように練習する

大前提として、このマガジンの中で私が説明するような、英文法のルールに基づいた文型判断を、教えている側は自然にできている。

英語の指導者本人は英文を読んでいる中でかなりの労力を割いてやっているはずなのだが、指導者によっては、そのことにほとんど触れず、解釈した結論だけを生徒に与えているため、生徒たちは自力でその場で判断して英文解釈をしていくことができない。指導者から提示された形をただ鸚鵡(オウム)のように真似るだけだ。

その結果として、表現をたくさん覚えて、それを合うように当てはめる。意味が取れれば万歳、取れなければもうだめだ、ということをほとんどの受験生はやってしまう。

さらに悪いことに、大体の受験生は、前から順番に単語を目に入れて、知っている表現が出てくるとすぐにその訳語を当てはめてしまう。「わからない」状態を許容できないかのように、ほんのちょっとの部分でも、訳語をつけないと心配で次へ進めないのだ。

多くの場合、前から日本語の訳語を与えていく、そうした行為のことを「英文解釈」と呼んでいる。とても不誠実なことだ。

また、わからない表現は、それを推測する手段も持たないため、単語の意味を知らなければ「もうダメだ」と諦めて、わかっている部分だけで意味を捏造し始める。

こうした「前から順番に意味決定をしていく」「覚えた表現の日本語訳を貼り付ける」やり方の問題は「自分が思いついた日本語訳から離れられない」ことだ。

文の後半で明らかに違う解釈を必要とする表現が出てきた場合でも、そのことを覆せないのだ。

いや、そんなことはない、自分は間違ったことに気付いて修正できる、と言う人もいるだろうが、そういう人は自分というもの、つまり人間というものをよくわかっていない。自分の頭で考えられない人は、自分が一度決めた結論を覆すことができないのだ。君たちは、身をもってそのことを体験しているはずだ。

自分の頭を使って判断する練習を積んできた人たちだけが、そうした「自分の決断を覆す」スキルを身につけることができる。

少し考えたらわかる話だが、自分でものを考えられない人が、自分が間違っている、と認めることは大変な認知の変化を必要とする。

何しろ、本人の手元には、客観的に自分がタコであるという証拠ばかり集まっているというのに(具体的には、模試の点数。浪人生なら、不合格だった本番の点数。)、自分のやっていることや考えていること、そのやり方考え方自体が間違っているとすら思っていないのだ。何しろものを考えていない。学校の宿題など、偉い人から与えられるものをやりさえすれば、何か自分の目当てのものが得られると思っている。大きな認知の歪みがそこにはある。

繰り返すが、人間は、一度決めたことを覆すのはとても苦手だ。これは英文解釈という、試験の一場面で行うに過ぎない行為においても同様である。

*多くの人が英語学習だと思っていること
 単元ごとに英語の表現を日本語と結びつけて暗記する
 英文を見て知っている形があればとりあえず訳語を当てはめる
 断片的な訳語から全体を想像する
*このやり方の問題点
 知らない表現が出たら諦めるしかない
 頭を働かせないので自分の決定を覆すことができない

そしてまた、自分でものを考えられない人がやりがちな行動として「基本問題ばかりを解きまくる」という点だ。学校の先生は、薄っぺらい問題集に大量に載っている基本問題の集合体が大好きで、満足のいく解説もなしに、延々と基本問題を解かせていく先生もいるようだ。

確かに、基本は大事である。ただし、それを確認するために用意してある基本問題ほど恐ろしいものはない。

なぜなら、基本問題は本来ならば学習の初期に取り組むものであり、筆者ならびに編者はそこで挫折しない様に、なるべく正解しやすい様に工夫して作成されている。しかし、これが仇となる。

なぜか。基本通りにやらなくても正解できる問題が多いからである。

それこそ、何も考えなくても単元に相当するものを当てはめればほとんどの基本問題は解けてしまう。単元名すら意識しなくても解ける時がある。

それぐらい基本問題は簡単なのだ。

簡単なので、すぐに正解できる。正解できるので、正解できることそのものにハマってしまう。ただし、それ以上のことになると、覚えてないからできない、とすぐに諦める。そのため、基本がまだ固まってないといって基本問題にだけ取り組む。

ひたすら基本問題をやることが、印象で解くことを止められない原因の1つになっているかもしれないのだ。本人だけがそのことに気づかないでいられるし、周囲から見ても真面目だから、で済ませられてしまう。こういう場合の真面目は間抜けと同じなのだが。

基本問題は、基本ルールを使わなくても正解できる恐ろしい麻薬

そして、このような話をすると決まって現れるのが「私は先生がダメとおっしゃる勉強法(基本問題の繰り返し)で英語ができるようになりましたよ」というヌケサクくんだ。

それは結構なことです。そういう人はこのテキストなぞ読まずに、どんどん先の勉強へ進んでいってもらいたい。

あなたが、延々と続く「表現の対応を覚える」学習で英語が読めるようになったのは、あなたがモノゴトを抽象化することに長けており、個別に学んだ英文法のルールを表現の特徴別に捉え直すことができた、ということを示すに過ぎない。

そして、目の前の英文に応じてそのことを考えるような発想がそもそもあったのだ。あったので、十分練習する時間が取れたのだ。

そのことと、学校で教わる多くの英文法が単元ごとの英語表現と日本語の意味を対応させるだけであることに何の矛盾もない。

もともと知的スキルが発達しており、そのことが英語に花開いたという事例を、さも「自分がしてきた英語の学習は間違っていない」という主張に結び付けるのは、自己正当化にすぎない。

もう一つの可能性として、君が受けてきた授業が「単なる表現の暗記」に見えて、そうではない可能性がある。

学習者にとっては区別がつかないかもしれないが、説明に必要な情報の提示の仕方といったごく単純なものも含めて、指導者には違いがあり、そのことが生徒の理解度から、科目の学習に対するやる気の醸成まで大きく影響する。

生徒側は「日本語で説明されると何かわかった気になる」ことの快感に誤魔化されてしまうので、指導者の良し悪しを図ることはとても難しい。

これが指導者側の怠慢を許すことにもつながる。

従来型の表現の場当たり的な暗記が中心の英語学習のやり方においてすら、(その指導を受けた「結果」なのか定かではないにしろ)英語ができている人がある程度の人数いる以上は、いくら指導者が注意したところで、英語の勉強を一度そのようにやってしまった人を、そこから脱却させるのは非常に難しい。「あの先輩だって学校の勉強で英語ができたと言っていますよ!」とくるので始末が悪い。

また、英語に限った話ではないが、ものごとを自力でまとめ上げ活用しやすいように並べ変えるといった知的スキルの修練は、もともとそれがあった人や既に別の科目などで練習してきた人と比べると、知的スキルの内容や考え方を1から学ぶ必要がある人は大変なのは当然である。

実際、高校入試で倍率が1倍前後の地方進学校では、熾烈な入試を潜り抜けてない場合も多く、それまでの人生ほとんどぼんやりして過ごしてきた人が多く、頭を使うエンジンはあっても、オイルが入ってなかったりそもそも動かしてなかったりするのだ。

単元ごとの理解と意味の対応の暗記は必要だが、それをどのように英文を見たときに活用するか、という練習をしなければ知的スキルは鍛えられない。

しかし、こうした知的スキルの醸成は、学習者本人の資質に委ねられていることがほとんどである。

ほとんどの生徒はそのことに関心がなく、慣れと根性で英語をやっている気分に浸るのが関の山なのだ。

このように、従来型の英語学習では、その修練(具体的にはリーディング・リスニング・ライティング・スピーキング能力の向上)において本人の頭脳に高度な知的スキルを要求するが、指導体系上そのような能力を育て上げることを考慮されていない。

生徒にそうした能力を期待するのは甚だ結構なことであるが、私はそこまで期待しない。

英語の合理的な捉え方、その活用までしっかりとお伝えする。頭を使うことになるが、しっかりついてきてほしい。

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