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034_ひとり温泉旅行 夜明けの低血糖

2月の海風は、案外冷たかった。海は凍らないため、内陸部の風と違い、温度も湿度もある。だから大丈夫だろうと、高を括っていた。
今は冬、そして太陽光線皆無の真夜中である。ずっと寒かった。それに、ずっと海風が吹いていた。海辺って、常時風が吹いているんだね。

私は寒さに耐えきれず、ファミリーマートでホッカイロを購入した。お菓子とか、温かい食べ物とか、もっとそういうものを購入すればよかった。当時の私は、身も心も訓練モードで、「菓子を買うなんて軟弱」と叫び、食品を買うことすら判断の中になかった。手袋の中のホッカイロは温かく、国道を歩く足に力が漲った。

温度というのは、気持ちまで変えてくれる。寒冷地に住む人間が、春を一等待ちわび、祝うのは、春が誰にでも温かく命を与え、温かく包んでくれるからだろう。私が温泉を待ちわびるのは、温泉が私を温かく包んでくれるからであろう。温泉は春と同じ優しさがある。

芯まで冷えていた。私の背に負ったリュックの中は、行動食が魚肉ソーセージのみであったため、基本的にエネルギーが足りなかった。歩くことは、大きなエネルギー消費行動である。その上、寒さで体温が奪われる事態を加味すると、行動食は準備した2倍ほど必要だったかもしれない。

折り返し地点を通過したのは、計画より少し早い午前6時だった。空が白んで、鳥が飛び始めた。
私はまだ海岸エリアにいる。目的地である海が見える温泉旅館まで、ずっと海の近くの国道を歩いていくのだ。急な山道を辿り、山を2つほど抜けると、漁村が見えた。山を抜ける途中、いたちが道端で死んでいた。真冬に死んだから、ぬいぐるみのように形を保ったまま転がっていた。人通りも車通りもないため、内臓物が飛び出ていることもなかった。せめて墓でも作ってあげたかったが、それは自然の摂理に反するため、大型猛禽類か冬眠を逃した動物たちの越冬の糧にした。

徹夜をすると、人間の感覚で最初に異変を発するのはどこか、おわかりだろうか?
それは視覚である。
二日酔いのときもそうだが、朝日やスマホの光がとても眩しく感じられるのだ。そのためまぶたは眼球を半分以上多う。光という刺激すらも、受け付けられないのだ。

もう6時間以上歩いた。それなのに、私の目には漁村の美しい朝日しか見えなかった。まるで、実家のトイレの壁にかかっているヤクルトのカレンダーの絵のような、そんな懐かしい景色だった。海を臨む浜の家々は平屋で、海女の寄り合い所なのだろうか、物干しざおに大きな布がかかっていた。漁で使う道具が整理整頓されていて、人がいないことだけが奇妙であった。

私は夜通し歩いたのだ。あまり休憩もしていない。疲れているはずなのに、曙の空は澄んでいて、肺いっぱいに入れた空気が清々しいほど清潔であった。体が軽くなったようだった。まだまだ続く山道の傾斜は大きくなっていくが、足の疲労は感じなかった。

意識がくらりと来たのは、海岸を抜け、山を下ったところにある大きな鉄橋を歩いて渡っていた時だった。頭上を航空自衛隊の訓練飛行機が飛んでいく。轟音とともに、何基も飛んでいく。
その光景に圧倒されたが、光とともに音の刺激、そして気を散らすことができない平坦なコンクートの道が、自分の健康状態をつぎつぎと意識の外へ表出していく。
眠い。
疲れた。
脱力感がある。
姿勢が正しく保てない。
手が震える。
寒さのせいだろうか?
そういえば、1時間に1回魚肉ソーセージを食べるはずだったのに、いつの間にか食べるのを忘れていた。
けだし、低血糖だ。

このままなにも食べないで歩けるわけがない。低血糖の重症化は命をも脅かす。橋の真ん中でふらりと倒れたら、下手したら10メートル下の川面へ真っ逆さまだ。

私は強く吹き付ける冬の風のなか、鉄橋の真ん中で魚肉ソーセージを食べ始めた。
低血糖の症状は軽いものだったようだ。胃に魚肉ソーセージを入れると、すぐに脱力感は無くなった。手の震えもいつの間にか治まっている。

ゴールまであと4時間から5時間ほどだ。ここで救急車など呼んでみろ。故郷まで笑いものになってしまう。私は歯を食いしばり、しょぼしょぼする目で前方を捉えた。ここからは標高が変わらない平坦な道ばかりだ。足はすでにむくんでおり、おおよそ足の裏の皮には水ぶくれができているだろう。足の、痛みの感覚が無くなっていてよかった。私はとにかく前を向き歩いた。心の底から愉快だった。

(続きます、次の回では旅館に着くと思います)

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