見出し画像

033_ひとり温泉旅行 深夜のトンネル編

海にたどり着いた。時刻は午前2時。この海は観光用のビーチというより、貿易船や漁船が行き交う漁港だ。護岸工事の最中で、どこの道路も中途半端にキレイである。夏になれば、トライアスロンやマラソンなど、スポーツの催し物も盛んだ。

普段は渋滞ばかりしている国道も、まったく閑散としていた。そんなとき、一人でやることといったら、道路の写真をひたすら撮ることだ。

今回私が撮ったのは、横断歩道橋からだ。歩道橋の真ん中に立ち、東を向けば海が見え、西を向けば山と、路面が大きなタイヤでデコボコになったまっすぐな道路が見える。

普段の海と違うのは、護岸工事の最中なので、工事用照明が煌々としていたことだ。あの球体の照明器具はとんでもない大きさのルーメンで、工事の安全を支えている。モノタロウで調べてみると、バルーン投光器という代物で、お値段10万円から揃えている。威力はやはり桁違いで、家庭用照明が3,000から5,000ルーメンのところ、バルーン投光器は20,000ルーメンである。
作業の安全には欠かせないそんな太陽のような存在だ。

https://www.monotaro.com/k/store/バルーン投光機/

そんな投光器が3基、しかもノーマルな白色LEDと、珍しきかな緑色の照明もあった。あれはいったい何に効用があるのだろうか?

明るい工事現場を通り過ぎると、海岸は途中で切れ、山をくり抜いたトンネルが現れた。ここまで来ると、工事現場のバルーン投光器でも光は届かない。しかし、人工的な光が無ければ、ただの山中だ。ほとんど何も見えない。
余談だが、そのとき通ったトンネルの照明が緑色だったため、まともな呼吸ができないほど恐怖に慄いたことを覚えている。夏の肝試しでも絶対に通りたくないトンネルだ。霊がいないほうが不気味である。周囲の山中には街灯ひとつなかったのに、なぜにあんな緑色にしたのだろうか。トンネルの明るい照明は安全のためと納得できるが、緑色という色のチョイスだけは、不可解だ。

よく都会の人たちが、田舎は自然が豊かで星空がきれいに見える、などと言っているが、自然が豊かすぎて星空を覆うように常緑林が生い茂っているところを見たことがあるだろうか。私はまだ、観光地ではないが海岸エリアにいる。海岸には、潮風を防ぐための松が植えられている。松は、常緑樹だ。
いや、なにも松だけが悪いのではない。そもそも悪いのは、暗闇の中で使えない目を持った私が、自然界に適応していないだけなのだ。

これのなにが、まずいのかというと、この道路を通る車両の邪魔に、私がなってしまうのではないか。最悪接触してしまい、事故になってしまうのではないか。それはいくら何でも、迷惑な話である。道路は誰のものでもない。譲り合って使うものだ。

最近よく外国人学生が自転車で危険運転をしている。私も町中で、死角から車道に侵入してきた東南アジア系の留学生を轢きそうになった。自転車は信号無視である。
ほとんどスピードが出ていない状態でよかったが、その外国人留学生はスマートフォンを操作しながら、自転車を運転していた。
いくら自転車側に大きな過失があっても、裁かれるのは車両側なのだ。これが日本の法律なのだ。
それなのに、運転席の視界は狭い。嫌がらせかと思うほど狭いのだ。
だから、譲りあわなければならないのだ。面倒なことにならないように。
そもそも、一歩自宅から出れば、そこにあるものはすべて公共のもの、もしくはだれか他人の所有物だ。私が自分勝手にわがままに扱っていいものは、何一つない。

そんなわけで、めちゃくちゃに暗くうねる山道で、私はスマートフォンのライトと帽子に取り付ける人間用ヘッドライトを付けて歩いた。
時刻は夜中の3時をまわった。最初のコンビニを見つけるまで、私はいつの間にか凍えて震えていた。

(続きます)

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?