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007_ひとりAWS騒動

 よんどころない事情なんかないのに、1年間棒に振った。HSKの勉強を始めて、中国語ができるような勘違いをし始めたころ、遊んでばかりはいられないと、仕事に関係する資格の準備を始めた。

 正直にいうと、今の仕事が嫌になり転職を考えていたのだ。サラリーマンになら誰にでもあるであろう転職活動だ。私にしてみれば、この活動への衝動は2・3年おきにやってくる。他業種へ興味が湧き、試しにその業界の常識となる資格を取ってみようとする。その結果、工事担任者やFP2級を取った。取ったはいいが、「この分野は難しいなぁ」と諦め、現職に戻るのである。

 先のパンデミックで業績が落ち込んだとき、会社の戦略や振る舞いに疑問が湧いた。理由や理屈が通らない目標、明らかに品質が落ちた製品、現場頼みのしわ寄せ業務……。市場はレガシーシステム対応のため、クラウドの需要が高まっていた。

「そうだ、今はクラウドだ」

 一念発起して、クラウドソリューション系の企業へ転職をしようと志した。そのためにAWSの基礎レベルであるクラウドプラクティショナーを受けたのだ。結果合格したが、その後が大変だった。
 会社指定の資格であり、取得すると報奨金が貰える。受験料とテキスト代を合わせても足りないくらいの雀の涙のような金額だが、もらえるものはもらっておきたい。
 申請した翌日、私は部長に呼び出された。

「今はクラウドだ」

 どこかで聞いたことがあることを部長は言った。そして、箝口令が敷かれているはずの人事や今後の会社の戦略を説明し始めた。してやられた。機密情報の共有は、安価な信頼と目先の将来性を与えた。
 例えば、「部長ー、そんな大事な情報を私だけに説明するなんて。私、信頼されてるんすね」とか、「え、もしかして私、次期課長候補だったり?プロジェクトマネージャーとか?やば、給料上がるかも」と言ったことを想起させる。
 疑い深い人間は、おそらくここで慎重に対応するだろう。しかし、私のような人間は、「なんだかおもしろいことになった。あのパワハラばかりの部長が危ない橋を渡っている」とウキウキしていた。折角転職支援のウェブサービスに登録したのに、毎日来るスカウトメールをろくに読まず、ゴミ箱に捨て、私は部長から、宛先のCCに直属の上司だけが入っているメールを開いた。
 内容は、簡単に云うとこうだ。
『チームメンバー全員に、AWSクラウドプラクティショナーを取らせろ』

それは無理だ。
理由は2つある。

 まずライセンス取得の目的が設定できない。私が就いている仕事というものは、電子・電気工学と情報学と接客で構成されている。だが、比率は圧倒的に、接客になる。日常業務を行っていてもITパスポートさえ、取得するのも難しい。それに、ITパスポートは国家資格であり、ライセンスの有効期限が無い。つまり合格してしまえば、ずっと保持できるのである。しかし、AWS資格の有効期限は3年間である。必死に勉強して合格しても、3年後更新のためにまた準備をしなければならないのだ。そこまでしてライセンスを保持するメリットが、今の仕事にはないのだ。ほかのクラウドならいざ知らず、AWSは日常業務では全く触れないのである。

 次にチームの年齢層が広すぎるという点だ。
 高校を卒業したばかりの少年は、まだ時間的余裕があるため、勉強をさせても苦にならない。苦にならないが、成果もなかなか出ない。しかし、「将来、何かの役に立つから」と説得させると、否が応でも勉強してくれる。
ネックになったのが、先輩社員だ。ほとんどが男性の先輩社員は、様々な理由で勉強を断る。「そんな資格を取って、今の仕事がどうなるっていうんだ」という目的を問う理由ならまだ理解できる。
「ごめん、俺、夕方になると目がかすんでさ。参考書読んでも全く頭に入らないんだよね」とか、「子どもが熱出して」とか、「3年だけなんだろ。また取るのめんどくせえ」という理由は、もはや反論の術がない。
「勉強のポイントは?」と言われても、私は独学でできてしまったから、ポイントも何もない。AWSのサービス内容の要点を抑えたパワーポイント資料を毎週作成していたが、開封率は0であろう。

 部長からは、1年間でチーム全員を合格させろ、という指示を受けた。読者の皆様にはお気づきかもしれないが、この部長と言う人は私と同様、思い付きで行動する計画性のない人間である。あっても、今年度3月までの間だけ。年度が変われば、業績も経営層もリセットされる。

 私の最終的な成果としては、チームメンバーである新卒さん(22才)の1人だけ合格した。そして、私は部門内で「強引な訳わかんねえ奴」の烙印を押された。
 世間様との関りが会社しかない人間にとって、チームに居づらくなってしまったのは、乗り越えられない負の経験だった。もう二度と、部長の誘いには乗るまい。

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