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植え付けられた言葉遣い

ぼーっとしている幼少期を過ごした私、中学生の頃は友達と喧嘩をした。喧嘩というか、私の知らないうちに相手が怒っていた。
私が原因だったかもしれないし、友達を選んで付き合わなかった私と遊ぶ程度の人だから、相手が悪かったのかもしれない。

何をしたかは全く覚えていないけれど、次第に話すことも無くなりクラスが変わって、すれ違いざまに「○ね」と言われるようになった。「キモイよ〜」「帰れー!」とも直接言われるのはもちろんストレスだった。
言い返すのも馬鹿馬鹿しくて無視していたけど、いつしか心の中で自分も「お前が○ね」と呪うようになっていた。
これは本当に呪いの言葉で、いい大人になった今でも心の中で時々、膨大なストレスの中でそう思ってしまうのだ。

親バカで可愛い可愛いと育てられた私は、そんな言葉をもちろん聞いたことは無かった。
妹に初めて「バカ」と言ってしまった5歳くらいの頃、自分でも言ったあと凄く心が傷んだ。
それほどにナイーブな私は、この呪いの言葉が頭から離れずに一生を過ごしていくんだろう。早く忘れたいんだけどな。

去年、身内に不幸があって初めて『死』がなにか、身をもって理解したような気がする。
だから二度とこんな事は思わないようにしたいし、心の底から死にたいとは思わなくなった。

大人になって分かったHSP。
幼少期の頃に分かったらもっと対策方法もあったように思う。

『受容』と『共感』で育てられている今の子ども達。今は昔のようなイジメはないのかもしれないけど、人に気を使いながら自己表現をするのは大変だろうな。

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