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温泉の開湯伝説について

温泉の開湯伝説というと、多くはフィクションでありコマーシャリズムによるところが多いのであろうと察するが、一概にそれで片づけてしまうには私にはどうしても引っかかるものがある。

神話の神様であると、大国主命と少彦名命あたりが上がるが、
道後温泉を始めとして、西日本に大国主命と少彦名命の開湯伝説が多い。
それは、大国主命が西日本で勢力をふるっていた裏付けとも取れる。

日本武尊の開湯伝説は草津温泉を筆頭に、武尊温泉、飯坂温泉などなど、みごとに日本武尊の東国征伐と合致する。

神功皇后も開湯伝説は多く、これは熊襲征伐などの西国統一の過程で実際にその足跡があり、温泉開湯伝説にその足跡を利用したと考えられないだろうか。

中部地方から奥羽山脈に掛けては圧倒的に坂上田村麻呂。
こちらの足跡もまた東北平定と一致する。

空海や行基さんも全国津々浦々。
宗教が伝播する過程での副産物的な要素があるのではないか。
そういう意味では、温泉の開湯伝説は国内統一や仏教伝播の足跡と関係深い。

戦国武将も温泉を発見し隠し持って傷を癒すのに使っていたことは、開湯伝説とは違ってもっと実質的なことで、野戦で各地の山河をめぐっていた時に見つけたということが多かったろう。

武田信玄、豊臣秀吉、徳川家康、真田昌幸初め、戦国の主だった武将はお気に入りの温泉を持っていたし、平和な徳川時代に入って後、温泉は武将たちの癒しであり、余暇であったろうことは想像に難くない。

だけど、何といっても一番は、熊、鶴、猿、鹿さんあたりが傷を癒していたというのが多い。ということは地元の人が見つけたってことですね。
どこぞの「熊五郎が見つけた」より熊が浸かってたって方がインパクト強いのはなんだかおもしろい。

古くは万葉の時代から歌にも詠まれていた。

相当な山奥の温泉地など、狩猟採取時代から人々は獲物を求めてかなりの山奥まで入っていたはずで、そこで温泉を見つけた時の喜びといったら、どれほどのものだったろうと想像する。当然、武士の時代に武士のみが入湯することを許される以前から、その温泉を利用していたことだろう。
そうして猟師や一部の地元の人に守られてきた温泉というのもまた一つの開湯伝説であり、長い歴史の中で守られてきた温泉の効力と癒しに今私たちが接することができるのも、ありがたいことである。

温泉は、国内統一の過程や宗教の伝播、武将の隠し湯、庶民の発見と様々な立場の中で発見されていった。
現代のボーリングによる開湯とは違って、自然湧出の温泉はそのバックグランドを考えることも、また一つの楽しみではないかと感じる。

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