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R_B < Part 6 (2/9) >


 自由落下運動が始まる時のように緩やかに……しかし一瞬で、誠の意識はクリアに切り替わった。但し、自分の置かれた状況を把握するまでには至らない。

 理由の分からない微かな幸福感は消え去り、代わって控え目な機械音が耳に伝わってきた。視界に入るのは、明るいクリーム色の天井。


「……」


 大きく息をつく。胸が軽く痛むが、呼吸はしっかり出来ている。

 生きている。


(……どう言う事だ?)


 起き上がろうとしたところで腕に鋭い痛みが走り、脇で何かが音を立てた。視線を向ければ、点滴が吊り下げられている。


[しっかりして下さい。お名前は?]


 あの呼びかけは現実のものだったのか。
 それにしても、これはどこの病院なのだろう。亡命は果たせたのだろうか……。


(成功してても、これだと先が思いやられるな……)


 そこで、敵機に突撃を仕掛けた事を思い出した。


「……芥!?」


--------------


 機器のアラーム音を聞きつけてやって来た看護師は、室内の様子に目を疑った。


「ちょ、何してんですか!」


 点滴の針は抜かれ、薬液が床に水たまりを作っている。そしてこの状況を作り出した本人は、腕から血を滴らせたまま床に倒れ込んでいた。


「どうして動けたんだ……とんでもない人だな」


 思わず思考が声に出る。一呼吸して気を取り直すと、誠よりも上背のある看護師はあっさりと彼をベッドに戻し、枕元のインターフォンをオンにした。


「ヘルプお願いします」


 それだけ言って、直ぐさま腕の処置に取り掛かる。


「僕は担当の水柿と言います。よろしくお願いします」

「……はい」


 やっとの事で返事をした。ベッドから落ちた際の衝撃が漸く薄れ始めたようだ。


「失礼します」


 水柿に呼ばれたスタッフがやって来ると、彼は直ちに指示を出した。


「先にフロアを。その後に整備キットと、点滴の交換をお願いします」

「はい」

「あと、柚葉先生に連絡を入れといて下さい」

「分かりました」


 指示を出す間も彼の手は止まらない。腕の処置を終えると、彼はベッドを少しだけギャッジアップした。


「顔の保護シートも替えます。失礼します」


 言うなりシートを剥がされ、頬がヒヤリとする。続いて消毒の匂いが鼻をついた。誠は微かに顔を顰め、ついでに薄らと目を開き、初めて水柿の姿を確認する。
 格闘家並みの堂々とした体格……その彼が着ている白衣は、今までに見た事の無い素材だった。

 誠と目が合った水柿の目尻が少しだけ下がる。


「裂傷・打撲・骨折・火傷と派手にやってます。暫くは安静に」


 端的に状態を説明され、誠は無言で小さく頷く。


(……参ったな)


  そして観念した。これはかなりの重傷だ、自分1人では動けない。仲間の安否は気にかかるが、うっかり尋ねる訳にもいかない。


(長期戦を覚悟しないと)


 ……そう思っていたのだが。


「貴方の同僚の方も無事ですし、彼のほうが怪我は軽いそうなので、ご心配なく」

「え……」


 水柿の方から教えてくれた。
 だが“彼”と言う事は、助かったのは他に1人だけなのだろうか……。


「……彼?」


 つい尋ねれば、更に驚く事実を返される。


「汐さんです。昨日の夕方、此処にも一度来られたそうですよ」

(……汐、だって!?)


 思わず目を見開く。それは“あの時”、敬が使っていた偽名だ。


「何か?」


 動揺が伝わったか、水柿が怪訝な表情を見せた。


「いえ……それなら良かったです」


 下手に疑われるのは避けたい。辛うじて誠は安堵の表情を浮かべてみせた。


「大丈夫、また直ぐに会えます。今は安心して休んでください」

「ありがとう」


 処置を終えた水柿は、器具の片付けに入った。会話が途切れたのを契機に誠は目を再び閉じ、思考を巡らす作業に入る。


(敬が、此処にいる……本当に?)


 全く辻褄の合わない状況だ……それでも混乱せずに済んでいるのは、芥からパラレルワールドの存在を聞いていたからだろう。
 そうと仮定して、では“この世界”は何処なのか。敬と一緒に救出されたと言うのなら、潜入任務中に間近で手榴弾が爆発した“あの時”にまで、自分の時間が戻ってしまった可能性もある。

 だが、あの国に当時、これ程設備の整った医療機関は無かった筈。だとすれば、やはり全く違う世界に跳んだと考える方が妥当な気がした。
 そうなると今度は、そこに敬まで居るのが謎だが……。


(いや、未だ本人と確定した訳じゃない……会えるまで待つしか無いな)


 これ以上は考えても仕方無い。点滴が再開され、誠は一つ溜め息をつくと素直に眠りに落ちていった。


--------------


 そろそろ昼食の時間と言う頃にやってきた医者は、にこやかに敬に挨拶をした。


「担当医の赭と言います。初めまして」

「初めまして。助けて頂き有難うございます」

「当然の事をしたまでです。お元気そうで良かった。
 先に精密検査の結果をお伝えしますね。幸い、明らかな骨折は見つかりませんでした。それでも1週間くらいはアシストを使って下さい、無理はしないように」

「分かりました」


 相当なハードスケジュールなのだろう、赭の目元には隈が出来ている。


「そう言えば、今朝戻られたと聞きましたが」


 不在だった理由を尋ねてみれば、赭は嫌がる風も無く教えてくれた。


「ええ。隣の州から緊急オペの要請が入ったので、対応に行ってました」

「他の州まで行く事が?」

「流石に稀ですけどね。まあそれは追々ご説明します。
 それよりも、柚葉先生から君達の事を聞いた時は驚きました。まさか、こんなに早くお会い出来るとは」

「……え?」


 敬の眉根が寄った。パラレルワールドで、この話の流れは妙だ。


「どう言う意味ですか。俺達の事を知っているとでも?」

「そうですね。まず間違い無いかと」

「他人の空似では」

「どうでしょう?ちょっと、今から質問させてもらいますね」


 赭は笑顔でウインクすると、人差し指をピッと立てた。


「では一つ目。山吹 芥と言う人を、ご存知ですか?」

(……また、あの名前か)


 彼も面識があった人物なのだろう。だが自分には関係ない。


「知りませんね」

「おや、そうですか。そうしたら……」


 敬が素っ気無く返してもどこ吹く風。寧ろさっきよりも更に楽しそうに、彼は小さな手帳を取り出した。ページを捲る指が止まり、『ありました』と呟く。


「この方達はどうでしょうか。蘇芳 仁、桑染 誠、薄鈍 統」

「……何だってぇ?!」


 これには度肝を抜かれた。思わず素で叫ぶ。その様子を見て、赭は満面の笑みを浮かべた。


「ご存知ですね。では貴方は、蘇芳 敬さんですか」

「いや、その……そうだけど……なんでアンタが知ってんだ!?」


--------------


 誠が次に目覚めたのは昼前。水柿が昼食を持って来た音が刺激になったようだ。


「目が覚めましたか。丁度昼食の時間です」

「……もうそんな時間ですか」

「ええ。午前いっぱい熟睡されてましたね、良い事です」


 言われて初めて全身の疲労を感じた。久しぶりの感覚。


「点滴もしてますが、食べられそうなら少しでも」


 言ってベッドを起こしてくれる。出された食事は少量で、さらにその殆どが流動食のような状態だったが、味は良い。


「昨日の今日でそれだけ行けてたら上出来ですよ」


 全てを食べ切るまでは行かなかったが、水柿は満足そうに頷いた。


「経過も順調です。救助隊員からの第一報を受けた時は、正直ヒヤヒヤしましたけど」

「救助隊員?」

「はい……ああ、説明が未だでしたね」


 トレーを片付けながら、彼は“その時”の状況を解説してくれる。


「昨日の朝、国境近くの山林にヘリが墜落したんです。貴方はそのヘリの下から発見されました……下と言っても、運良く機体と地面の隙間におられたので」

「そうでしたか」

「貴方も相当な強運の持ち主ですね。まあ、汐さんの方が上みたいですが」


 悪いけどちょっと笑ってしまいました、と彼は軽く肩をすくめて見せた。


「何処で発見されたんですか?彼は」

「ヘリのすぐ脇の、木の枝だそうです」

「枝?まさか、引っ掛かっていたんですか」

「見事に上衣だけで。救助隊員も『器用すぎだろ』って驚いてました」


 器用すぎる。
 そのひと言で、誠は思い出した……何の衝撃音も発せず、唐突に血まみれの芥が目の前に現れた、あの時を。

 間違い無い、敬だ。根拠は無いが確信した。


「……あいつならでは、だな」


 大木の枝で宙ぶらりんになっている姿がありありと想像出来て、誠も思わず笑いを漏らした。


「元から身軽な方なんでしょうかね。怪我も奇跡的に軽かったですし」

「確かに器用な奴です。では、全員無事だったんですね?」


 チャンスを逃さず、鎌をかける。他にその現場で発見された人は……。


「ええ。パイロットも脱出装置が働いて無事でした」

「そうですか……良かったです、不幸中の幸いだ」


 他の3人は消息不明か。覚悟はしていたが、やはり残念な思いが残る。


「後で担当医が参りますので、その時にまた何でも聞いて下さい。汐さんも一緒に来られる予定です」

「分かりました。ありがとう」


 それでも希望はある。自分もこうして助かったし、敬も無事。他の仲間も必ずどこかで生きている……誠は自分に言い聞かせた。


--------------


 小1時間ほど経過し、柚葉が敬の病室にやって来た。


「先生、汐さんのお知り合いの方、意識が戻られたそうです。状態も落ち着かれて会話も問題無いと報告がありました」

「それは良かった。では行ってみましょう」

「はい」


 促されて敬も立ち上がる。柚葉に先導される形で2人は誠の病室へ向かった。


「彼にとっては、4~5年ぶりの再会になる筈ですよ。喜んでくれるでしょう」


 前を歩く彼女には聞こえない程度の小声で、赭が彼に話しかける。


「……だと良いんですが」


 返す敬の表情は硬い。未だ100%手放しでは喜べなかった。
 山吹 芥という人物……彼が話した内容は事実なのか。そもそも彼は実在したのか。誠との接触は本当にあったのか。

 そして、4年という空白の時間。


「大丈夫ですよ。さあ」


 赭は彼の不安を打ち消すように笑顔を向け、病室に入る。柚葉が続き、敬にも入室を促した。


「初めまして。担当医の赭です」

「……初めまして。お世話になります」


 赭の肩越しに、懐かしい声が聞こえる。


「研修医の柚葉です。ご無事で何よりです」

「ありがとうございます」


 2人の間から、ベッドに横たわる誠の姿が見えた。昨日よりは幾分顔色も良いようだ。

 彼も敬の姿を認めた。視線が合う。


〈誠だよな?〉


 赭たちの背後からそっと、気付かれぬように小さく指文字の暗号を送れば、彼は表情を緩めて頷いた。


「……おぅ、誠。お前も無事で良かったな」


 漸く最後の警戒を解き、ベッドサイドに歩み寄る。敢えて名前を呼び、正体を明かしても大丈夫だと知らせてやった。


「本当に。ヒヤヒヤしたぞ、敬」


 名を呼べば、記憶と寸分違わぬ笑顔。
 敬が拳骨で軽く誠の左肩を叩く。それで全てが通じる。


「では改めて、おふたりの状態を説明させて頂きますね。どうぞそちらに」


 椅子を敬に勧めると、赭も傍らの折りたたみ椅子に腰をかけながら、柚葉に指示を出した。


「柚葉先生、すいませんが回診予定の方達のファイルをまとめておくよう病棟スタッフに伝えて下さい」

「分かりました」

「それから、1時間後に呼びに来てもらえるように言っておいて下さい。後は私が。長時間ありがとうございました」

「いえ。では失礼します」


 柚葉が退室すると、赭は早速2人の怪我の状態について説明する。


「敬君は、2週間もあれば普通に動けるようになるでしょう。頭部も打ったような形跡はありません。ただ脚は念の為、1週間はアシストを使用して頂きます。
 誠君は全治約3カ月です、骨折もされているので。でも体力もありそうだし、もう少し早く落ち着かれると思っています。リハビリは状態を見ながら進めて行きましょう。何かご質問は?」


 特に無いと2人が答えれば、彼はニコリと笑った。

 

「気になる事があればいつでも聞いて下さい……さて、誠君」


 赭が改めて誠のほうに向き直る。本題だ。


「実は先ほど、君達の経緯について敬君から話を聞かせてもらっていました。ですが今ひとつハッキリしないところがあるので、君に教えて頂きたいのです。よろしいでしょうか?」

「はあ……」


 この医者は何を分かっているのか。敬は何を、どこまで話したのか。
 ちらと敬の方を見るが、降参のポーズで困ったように笑うだけ……自分ではこれ以上は無理、ひとまず話をしてみてくれと言う事らしい。


「分かりました……それで、お聞きになりたい事とは?」


 誠からの承諾を得ると、赭は改めて口を開いた。


「では一つ。君は、山吹 芥という人をご存知ですね?」

「な……!」


 想定外の人物の名を出され、誠は驚愕した。
 しかもこれは問いかけではない、確認だ。


「何故、貴方が彼を……」

「此処でお会いしました。3〜4ヶ月前の事です」

「じゃあお前、やっぱトシ食っちまってんのか。“今”いくつなんだ?」

「……25」


 返せば、敬が大袈裟に溜め息をついて見せた。


「あーあ、ホントに4年ズレたのかよ!俺、未だ21だし。お前と会ってねぇ期間も無ぇし」

「そうか……時間はそれぞれで前後してしまっているんですね」

「はい、しかも相当ランダムに。こちらの意思でコントロール出来るものでは無いようです」


[……同じように、敬も“別の世界”に跳んだ可能性がある]


 芥の推理は当たっていた。
 敬の姿があの時と全く変わっていないのも納得が行く。


「君達の事はある程度、芥君から聞いていました。まずはお2人が再会出来て良かったです。積もる話もあるでしょうから、後で此処を2人部屋仕様に変えます」

「良いんですか?」

「お安い御用ですよ」


 ふっと、呼吸が楽になった気がする……これ程すんなりと自分達を受け入れてもらえるとは思いも寄らなかった。


「ところで、先生」


 納得出来たところで、敬がもう一つの問いを発した。


「その芥ってヤツは今、此処には居ないんですか?昨日、柚葉先生が『急に居なくなったらしい』とか言ってたんですが」

「ああ、そうですね。残念ながら、入れ違いだったようです」

「入れ違い?」


 誠が聞き返す。赭の笑顔が少しだけ寂しそうな、懐かしむようなそれになった。


「実は、彼は“あのヘリ”に乗っていました。ですが墜落現場から彼のものは何も、それこそ髪の毛一本すら見つかっていません」

「と言う事は……」

「そうです。また他の世界へ跳んだのでしょう。ただ、それで彼が本来居るべき世界に戻れたのか、そうで無いのか……それを知る術は、最早私達にはありません」


--------------


 きっかり1時間経ったところで、病棟スタッフが赭を呼びに来た。


「では、そう言う事で。また夜に寄らせてもらいます」


 去り際に軽く一礼する赭に、敬は反射的に立ち上がり敬礼を返しそうになり、危うく踏みとどまる。全く、癖というものは恐ろしい。


「何か凄ぇ事になったなー」


 病室のドアが閉まり足音が遠ざかると、彼は再びどかっと椅子に腰を降ろした。ついでに天井を見上げて溜め息をひとつ。だがそれは困ったというよりも、気が抜けたといった風だ。


「まあな。だが本当に、無事で良かった」 

「お前もな、誠」


 よっ、とひと声かけて敬は再び立ち上がり、ベッドのリモコンを手に取った。


「疲れただろ」

「少し」


 顔には出さないが辛いはずだ。上体を倒し、楽な体勢に戻してやる。


「まだ話してても大丈夫か?」

「ああ。別に眠い訳でもない」

「そっか……じゃあ、聞きてぇんだが」


 椅子をベッド脇に寄せて座り直すと、敬は改めて尋ねた。


「俺がいない間に、31で何があった?」


 先程、赭を交えて話していた時は、芥絡みの内容がメイン。彼が31に入る以前の話は2人とも敢えて話題に挙げなかったし、赭も詮索しなかった。


「全然楽しい話じゃないぞ?」

「ンな事ぁ重々承知だ」


 黄丹は死んだと、さっき聞いた。ならば、もう彼を抑圧するものは無い。


「話せるトコからで良いし。怠くなったら遠慮なく言えよ」

「ああ」


 彼が今まで裡に隠してきた物。押し殺してきた感情。それらを少しずつでも吐き出させてやりたかった。

 階級も規律も無い。純粋に、対等な仲間でいられる時が来たのだから。


>>>Part 6 (3/9)


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