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R_B < Part 6 (1/9) >


 いくつもの手榴弾が飛んでくるのを確かに見た。
 爆風と無数の金属片を全身に受けた筈だった。


(……誠!)


 彼だけは死なない。死なせてはならない……だが、守れたのだろうか。


「……分っかんねぇなぁ」


 意識を取り戻した敬の視界に入ってきたのは、鬱蒼とした森。
 見上げれば青空、そして見下ろせばヘリらしき機体の残骸。


「どー言う事だ、コレ」


 大樹の枝に引っ掛かったまま、敬は首を捻った。


--------------


「主に打撲、裂傷、擦過傷ですね。左脚は……骨折の疑いもあるので、明日にでも精密検査が出来るよう手配します」

「分かりました。ありがとうございます」


 丁寧な説明をしつつ診察と治療を施してくれた医者……『研修医 柚葉』と書かれたネームプレートを付けている……に、敬は素直に礼を述べた。


「ご気分は?」

「お陰様で。大丈夫ですよ」


 言って笑顔を返せば、彼女は小さく笑ったようだった。聡明な顔立ち。素直な育ちを感じさせる、嫌味の無い笑顔。


「少しお待ち下さい」


 断りを入れてから、彼女はカルテへの記録を始めた。会話が途切れ、手持ち無沙汰になった敬は辺りを見回す。

 分からない事は山積みだが、未だ問いは発しない。先に己の五感で現状を可能な限り把握する。幸い言葉は通じているのだから、質問はいつでも出来る。


(……監視も警戒もされて無ぇっぽいけど)


 彼が横になっているベッドのヘッドレストには『汐』と書かれた小さなネームプレート。救助された時、咄嗟に名乗った偽名だ。


(こんな設備の整った病院なんて、あの地域にあったっけか?)


 清潔で静かな空間だ。
 潜入前の情報には入っていなかった……治安が悪化し内乱まで勃発するような場所に、こんな施設があるだろうか。


「……お待たせしました。そうしたら、これを」


 カルテをサイドテーブルに置き、傍に置いてあった薄い冊子を手に取ると、柚葉はそれを敬に手渡した。


「これは?」

「入院される方へのガイドです」

「はぁ……必要ですか?」


 自分では骨折しているという感覚はない。だから出来れば今日の内に出て行きたいと思っていたのだが。


「今暫く経過を観察させて頂きたいのです。左脚もそうですけど、頭部へのダメージが心配なので。症状は時間を置いて出て来る事もありますし」

「うーん……」


 確かにこれは否定出来なかった。
 実際、自分の身に何が起こったのか一切覚えていないのだ……爆風を受けた筈だったのに……。


「あと、これはこちらの都合で申し訳ないのですが、今日は研修医の私しかおりませんので」


 彼女は説明を続けた。


「患者さんに関する最終判断が許可されていません。勿論、担当医には汐さんの様子を逐次連絡して必要な指示を仰いでいますが、これ以上の対応が明日までは出来ないんです」

「成る程」

「少なくとも担当医の診断を受けていただくまでは、ここに居て頂きたいのですが……」

「分かりました。そうさせてもらいます」


 これ以上粘っては不審がられる。彼女に従う事にした。


「すいません、ご不便をおかけします」

「いや。こっちこそ手間かけさせちまって」


 少し砕けた口調にシフトさせて他意は無い事を示せば、彼女は小さく安堵の溜め息をついた。そこに謀略を巡らせている様子は感じられない。


「ガイドは、後でゆっくり目を通していただければ結構です。院内の見取り図などもあるので、ご参考にしてください。食事は後ほどお持ちします」

「分かった。ありがとう」


 ひとまず、ここに留まって情報を集めるほうがベターだろう……少なくとも自分が今、ここに居る理由が分かるまでは。


「それから……すいません、ちょっと変な事をお聞きしますけども」


 記入を終えたカルテを抱えると、柚葉が少し遠慮がちに問いかけてきた。


「はい」

「あの……貴方は、山吹さんではないですよね?」

「は、山吹?」


 予想外の質問。しかも、全く聞き覚えの無い名前だ。


「いや、違うけども」

「そうですよね……失礼しました。汐さん、その方ととても似てらっしゃって」


 身元を疑われたのではなかった。彼女は大丈夫……敬は、最後まで残していた警戒を解いた。


「俺と、その、山吹って人が?」

「そうなんです。ここのスタッフが色々とお世話になって……でも急に居なくなられたようで、お礼すら言えてなかったもので」

「そうだったんだ……すまねぇな、人違いで」

「いえ。こちらこそ、いきなりすいませんでした」


 どうしても尋ねずにはいられなかったらしい。期待には添えられないが、これで話は一旦終わり……そう思ったのだが。


「では、同じヘリに乗っておられた方のお知り合いですか?」

「え……」


 あの場所に落ちていたヘリに、自分が乗っていた?……いや、今はそれよりも。


「ソイツ……無事なのか?」


--------------


 ふと、意識が活動を再開したのを感じた。


(……どうなってるんだ)


 自分は死んだ筈。試しに体を動かそうとしてみたが、反応は無い。
 と言う事は、体を亡くした自分が思考だけはしているらしい……これが意識体と呼ばれるものだろうか。

 意識だけになった自分を意識している。どう言う事だろう。

 いずれにせよ、もう“ヒト”ではなさそうだ。


(人ではない、か……)


 何故か笑いがこみ上げてきた。自嘲ではない。寧ろ幸福感に満ちている。無限の底から湧いてくるような、或いは天上から降り注いでくるような、そんな快い感覚の導くままに。

 こんな風に笑えるなんて、本来の自分ではあり得なかった事。


(こんな解放感が味わえるなら、それも悪くないか……)


 ……では今ここで思考しているのは誰だ。


『しっかりして下さい。お名前は?』


 遠くから声がした。最早死んだ者の名前など必要無いのに。


(五月蠅い)


 何度も問い掛けてくる声。職務に忠実なのか、或いは……いや、もうどうでも良い。

 俺は……“僕”は……もう、解放されたんだ。


--------------


『お名前は聞けてないそうですが』と前置きして、柚葉は救助隊員からの報告書を取り出し、説明をしてくれた。


「金髪で、瞳は……緑がかった青。身長は180前後。男性です」


 容姿は完全に誠のそれと合致している。


「あー、それだったら俺の“同僚”だ」


 仕事仲間くらいが無難だろう。あながち嘘でもないし。


「状態は?」 

「救出時、かなりの出血をされていて意識不明だったようです。墜落したヘリの陰になっていて発見が遅れたとの事で」

「だったら相当重傷だな……生きてます、よね?」

「ええ。まだ意識が戻られるまでには時間がかかりますが、命に別状はありません。ご安心ください」

「そうか、良かった……」


 彼が無事なのは何よりの朗報だ。
 だが、怪我の程度が気になる。状態をこの目で確かめたかった。


「あの、後で彼の所に行かせてもらう事は?」


 敬の気持ちを汲み取った柚葉は、ニッコリと頷いた。


「この後ご案内しますね。暫くお待ち下さい。ご本人さんは重傷者用の病棟におられるんですけど、そこでは面会に許可が要りますので」

「ありがとう」

「そうしたら、担当に許可を取ってきますね」


『30分後くらいにご案内します』と言い残し、柚葉は病室から出て行った。その間に入院ガイドでも読んでみるかと、敬はページを捲ってみたのだが。


「何だコレ……すっげぇ違和感」


 思わず呟く。一気に最後のページまで読み飛ばす。
 違和感の正体はすぐに分かった。


(ホントに病院か?コンセプトが全然違うじゃねぇか)


 確かに病院としての機能を備えている施設だが、その配置や建物の構造の考え方は、敬が知っているどの国のものとも全く違っていた。
 何が違うと問われれば……“何もかもがオープン過ぎる”としか言いようが無い。
 ここに載せていない機密事項が多々有るとしても、やはり異色だ。


(それでもこんなのが成立してるって言うんなら、えらく平和なトコだな)


 フンと小さく鼻を鳴らして裏表紙を眺める。そこには最初から抱いていた疑問に対する答えが一つ、記載されていた。


「……へぇ。『入院日、2036年7月26日』……」


 日付は柚葉の手書き。これは“今日”の日付だ。
 ガイドを放り投げ、敬はベッドに仰向けに転がって溜め息を一つ。


「ドコなんだよ、ココは」


 妙な事になった。これはいよいよ、誠に早く目覚めてもらわねば。自分だけではどうにもならない。


--------------


「失礼します」


 軽いノックの後、再び柚葉が入って来た。持ってきた薄手の上着を敬に手渡す。


「許可が出ました。未だ意識は戻られてないですけど」

「顔を見るだけで十分だ。助かります」

「では行きましょうか。こちらをお使いください、歩行をアシストする機器です」


 左脚は骨折の可能性があるため、固定されていた。上着を羽織り、勧められた小ぶりの補助具を着け、敬は彼女の後について行く。


「あ、コレ良いね。松葉杖なんかより余程歩きやすい」

「それはどうも」


 時折雑談を交わしながら2人は移動する。途中で横切ったロビーは、天井がガラス張りで高級ラウンジのようだ。そこではベンチやソファで寛いだり談笑したりする人々の姿があった。


「こちらへ。もう少しです」


 渡り廊下を通って重傷者棟に入る。受付窓口が見えてきた。


「柚葉です。先程連絡させていただいた件で……」


 受付の横にあるスタッフルームに声を掛ければ、すぐに看護師らしき人物が顔をのぞかせた。敬を見て一瞬目を丸くする……が、すぐに柔和な笑顔に戻った。


「山吹さん?」


 また先程の、知らない人物の名前。
 柚葉がすぐに訂正する。


「いえ、汐さんと仰います。あの現場での……」

「あ、すいません。失礼しました」

「いや、別に」


 細かい事をとやかく言うつもりは無い。敬も笑顔を返し、再び柚葉の案内に従った。スタッフルームから3つ目の個室で足を止める。


「こちらです……すいませんが、お静かに」


 一言だけ念を押して、彼女はドアを開けた。
 室内から聞こえてきたのは、複数の機械が立てる小さな稼働音だけ。


「……」


 促され、敬は無言のままベッドに歩み寄った……間違いない、誠本人だ。
 だが怪我の度合いは想像以上だった。点滴も3種類を一気にやられているし、そこかしこに包帯を巻かれている。左の頬にはガーゼ。金色の髪は一部が熱にやられたらしく、縮れていた。


(……脚もやられてんなー)


 こんな大怪我でよく無事だったなと、敬は小さく息をついた。


「誠……」


 本人にしか聞こえない程の小声で名前を呼び、顔をのぞき込む。

 そして心底驚いた。叫ばなかったのは奇跡だろう。


(おい、コイツぁ一体どういう……)


 彼の顔つきが“さっきまで”と明らかに変わっていた。怪我のせいではない……それだけで、こうはならない……彼であるのは確実なのに。


(たった半日で?何なんだよコレ……)

「……汐さん?!」


 柚葉が敬の異変に気付くのと、彼がうーんと唸って床に崩れ落ちるのはほぼ同時だった。


--------------


「……30分てトコかな?俺が気絶してたの」


 気付けば元の病室にいた。ベッドサイドの時計に目をやり確認すれば、柚葉が軽く頷く。


「はい。ご自分で感じておられるよりも、かなりお疲れのようですね」

「そうなんだろうな。やっぱり、ここに居させてもらって正解だった」


 彼の無事な姿を見て気が緩んだのか、或いはその変わりように驚いたのか……いずれにせよ、流石の敬も少なからず混乱したようだ。


「後はゆっくり休んでください。お食事、持ってきますね」


 病室のドアが閉まり、足音が遠ざかる。ベッドサイドに置かれていた白湯を飲むと、敬は大きく溜め息をついた。


「ホントに、1950年じゃねぇのか……」


 そのまま思考の迷宮に入り込む。


(ココは、あの国でもねぇらしい。オマケに誠が明らかに老けてやがるし……半日で何があったってんだ……先読みが失敗だったとかの話じゃねぇぞ)


 勿論、先読みで全てが“見える”訳ではないが、訓練を重ねてきた事で要所要所のイメージは明確に取れるようになっていた。
 ヴィジョンが断片的なものであっても、それらを繋ぎ合わせて総合的に見る事で作戦の成功率は十分予測出来ていたのだ。的中率は、直近の6カ月間で95%を超えていた筈。

 但し今回は、これまでに無かった現象が起きていたのも事実だった。帰還に関する情報が、すっぽりと抜け落ちて一切読み取れなかったのだ。
 それでも、誠が負傷しながらも生還するヴィジョンは見た。だから戻れない訳ではない、任務は果たせると判断した敬は作戦の成功率を9割と黄丹に報告した。
 即座に任務実行の命が下され、2人はあの国に赴き、想定外の内乱に遭遇し……そこから、何がどうしてこうなった。


「失礼します」


 ノックに続いて柚葉の声が聞こえ、敬は一旦考えるのを止めた。


「夕食どうぞ。冷めないうちに」

「うわスゲェ!ココ、本当に病院?」


 敬のリアクションに、柚葉はクスクス笑って返す。


「ええ、勿論。看護体制もしっかりしていますから、ご心配なく。私も当直で明日まで居ますから、何かあれば」

「そりゃ助かる。色々ありがとう」

「お大事に」


 彼女が立ち去ると、室内に静寂が戻って来た。折角なので先に夕食をもらう事にする。温かい食事など、本当に久しぶりだ。


「コイツぁ好待遇だな」


 食事をしながらテレビのスイッチを入れた。丁度流れていたニュース番組で、キャスターがその日の出来事を順番に伝えている。


「……」


 いつしか食事の手が止まり、敬は画面を食い入るように見つめていた。

 初めて聞く地名。
 聞き覚えはあるのに、全く政治情勢が異なる国。
 同じようで少しずつ違う、国際関係や貿易事情。


「……マジで別世界に来ちまったか。パラレルワールド、ってヤツかなー」


 呟きは即座に確信へと変わる。そう考えないとどうにも納得出来なかった。


「……ま、いっか。先にメシだ」


 気を取り直して、ニュースはそのままで食事に戻る。どんな状況下でも息をするように情報収集している、もう職業病だぜと1人で笑った。


--------------


 翌朝、敬は左脚の痛みで目を覚ました。


「昨日より痛ぇじゃん……マジか……」


 しっかり処置をしてもらった筈なのに、この有様。


「俺もよくこんなんで、誠のトコまで行ったなぁ、昨日」


 何だかんだ言って、緊張が抜けきっていなかったのだろう。それでも全体としては昨日より楽になっている。であれば、じっとし過ぎて身体が鈍るほうが、敬としては嫌だった。


「失礼します。おはようございます、汐さ……」


 部屋に入るなり目に飛び込んできた光景に、柚葉は絶句した。


「……何してらっしゃるんですか」

「トレーニング。お陰で良く眠れたし」


 彼は窓枠を使って懸垂をしていた。ありがとな、と笑顔を返されて怒るタイミングを逸する。


「……取り敢えず、左脚はまだアシストを使って下さい。お昼前に精密検査をさせていただきますから」

「了解」

「朝食が済んだらリハビリテーションルームにご案内しますので、また呼んで下さいね」


 これは、安全に身体を動かせる場所を教えたほうが得策だと判断したらしい。


「リハビリテーションルーム?使っても良いんですか」

「無茶をされるよりは良いですからね。専門スタッフも居ますし。それと……」


 柚葉は言葉を続けた。


「担当医から、午前中に戻ると連絡がありました。検査が終わられたら伺います、との事です」


>>>Part 6 (2/9)


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