お見舞いからの帰り道。
雨はまだ降っていたけど、かなり小降りだったから歩く事にした。
温かい春の雨の中、買ったばかりの花模様の傘を差せば気持ちは自然と弾んでくる。
「良かった、あの調子なら今月中には退院出来そうよね」
それなら退院祝いを考えなきゃ……そんな事を思いながら歩いていたら。
「あの、すみません」
交差点で声を掛けられた。
「はい」
「道をお尋ねしたいんですが」
まただ。
何でか知らないけど、私はよくこうして声をかけられる。いわゆる『道聞かれ顔』らしい。
だからこんな状況には慣れっこだったけども、さすがに次の一言を聞いて固まった。
「すみませんが、あの世への道を教えてもらえませんか?」
「え?」
咄嗟に周囲を見回す……でもこう言う時って大概、私一人なのよね。
「……えっとぉ」
とりあえず一つ、深呼吸。『あの世』への道を聞いて来た人は焦れる様子も無く、私の次の言葉を待っている。
……落ち着け、自分。まず状況を把握する事からよ。
「ごめんなさい、ちょっと確認なんですけど」
「はい」
「『あの世』って、『あの世』の事ですか?」
「そうです。『この世』に対する『あの世』です」
「じゃあ、あなたはもう生きてない?」
「はい」
背中を氷のカケラが滑り落ちる感触。つい相手の足下を見た……んだけど。
「……足、ちゃんとあるじゃない」
「ああ、そうらしいですね」
「“らしい”って、自分の姿くらい……」
見えるでしょ?と言おうとして、今度はその顔を真正面から見て……
違和感。
オシャレなサングラスを掛けている、その奥にあるはずのものが、無い。
「……」
人間、驚きすぎると本当に声が出ないモンなのね……そんな私の様子が伝わったんだろう、その人は少し寂しそうに笑って、自分自身にも言い聞かせるように、ゆっくりと説明してくれた。
「私は、暫く前に交通事故で人生を終えました。全身を強く打ったのが直接の原因だったそうなんですけど、その時に事故の衝撃で飛び散ったガラスの破片か何かで両目も潰れてしまったらしいんです」
「じゃあ……ひょっとして今も」
「はい。見えてないんです」
「そんな状態で、ずっとこの交差点に居たって言う事?」
「いえ、ついて来たんです」
どこから?
「実は、事故に遭った私が運び込まれたのが、貴女がさっき来ていらした病院だったんです。この状態になったのは2ヶ月くらい前なんですけども、私はあの病院からなかなか動けませんでした」
「どうして動けなかったの?」
「……怖くて」
「怖い?」
「はい。ずっと病院に居るわけにはいかないって分かってはいたんですけど、うっかり行き先を間違えてしまうほうが怖くて……私、元からすごく恐がりなんです」
そっか、怖い物は怖いのよね。見えなければ余計に……。
「でも見えなくなった代わりに、人の気配というのは何となく分かるようになったんです。それでさっき、病院で貴女の気配を感じた時にピンと来て」
「何を?」
「よく人に道を尋ねられるでしょう?」
どんな気配よ、ソレ。
「貴女は、色んな場所への行き方を知ってらっしゃるから」
「……確かに、自分でも道聞かれ顔だと思うけど」
「ああ、やっぱり!」
「でも、申し訳無いけど流石に『あの世』への道は分からないの」
肝心なのはソコでしょ。分からないモノは教えられない。がっかりさせちゃうけどどうしようも無いもの……でも予想に反して、相手の口はニッコリと笑みを象った。
「もちろん、そんな無茶は言えないと思ってます。でも貴女は私の存在を認めてくれて、こうして話もしてくれてる。それだけでもとても有難いんです」
「じゃあ、道そのものについては心当たりでも?」
「心当たりと言うほどでは無いかも、なんですけど……前に聞いた事があるんです。“雲の切れ間から差し込む陽の光を浴びれば『あの世』への道が通じる”って」
「あ、そう言う事」
その条件に当てはまりそうな場所へ連れていってほしいのね。
「試してみたいんです。分かって頂けますか?」
「何となくだけど。快晴でもダメなんでしょ?」
「たぶん、そうですね。『雲の切れ間』がポイントらしいので」
「なるほどねー」
だいたい分かった、うん。
振り仰げば、視界に入るのは高層ビルに切り取られた矩形の、今はどんよりとした灰色の空。ここら辺はこんな感じな場所ばかり。晴れていれば(時間帯にもよるけど)もちろん、此処でも日差しが届くけど……。
「ちょっと待ってね」
スマホで天気を確認。『昼過ぎから晴れ間が出る』って。ラッキー!
「そしたらP川に行くわよ」
「P川?」
「あれ、知らない?」
「すいません。私、出張でこっちに来ていたもので」
だから余計に動けなかったのかも。それは心細かっただろうな……これはなんとかしてあげたいわ。
「この辺りで一番大きな川。河川敷も広くて見晴らしが良いの」
「そうなんですね。はい、ついていきます」
「じゃあ行きましょうか」
「はい!」
P川の近くまで移動するなら地下鉄が便利。彼女には私のバッグの持ち手を握ってもらって、移動開始。
歩きにくいかなと思ったけど、そこは流石ね。足を動かさなくても地面を滑るように、すーっとついてくる……ま、私以外の人には見えてないみたいだし、電車賃も要らないでしょ。
このまま行っちゃえ。
++++++++
「そろそろ着くわよ」
「そうなんですね。確かに、空気が全然違うのが分かります」
駅から地上に出れば、雨はもうあがってた。川面には水蒸気が立ち籠めてて、河川敷は幻想的な雰囲気。
土手に生えてるものは花だろうが草だろうが、今伸びなくてどうするんだ!と言わんばかり。そんな自然の香りも心地良い。
「……故郷の匂いがする」
彼女はうっとりした様子で言葉を零した。
「こんな感じの所だったんだ?」
「はい。故郷にもやっぱり大きな川があって、自然がいっぱいでした。本当の田舎って感じで……大きな街なんて無くて、ずっと向こうの方まで田圃が続くような、そんな所でした。
就職してからずっと戻らないままだったから、今思えばもったいなかったような気もします」
「ご家族は、そっちに?」
「はい。今でもそこに住んでます。農業をしてますから色々と大変みたいですけど」
「そう……」
彼女の話を聞きながら、私は改めて空を見上げた。
雨はすっかり止んだ。雲も少しずつ薄くなり、空は明るさを増している。
ただ、雲の流れがかなり速いのよねー。日の差す地点に入り込むのはちょっと難しいかも。
「あ……」
何かに気付いたらしい彼女が、唐突に口を噤んだ。
「どうかしたの?」
「……誰かが、こっちに向かって来てる感じがするんです」
「え、そう?」
急いで周囲を見回してみたけど、それらしき人影は見当たらない。ジョギングしてる人や犬の散歩をしてる人はちらほら居るけど、こっちに来る人は無いし。
「気のせいじゃない?」
「いえ、確かに感じます」
控えめな印象の彼女が、でもこれはキッパリと言い切った。
それならきっと、彼女が正しい。
「方向、分かる?」
「ええ……向こうの方から」
言って彼女が指差した方角には、待望の雲の切れ間があった。
地上にひとすじの光。それがゆっくりとこちらに移動してくる。
……これって、ひょっとして。
「ねえ、その気配、こっちに近づいて来てるのよね?」
「はい」
「それに意識を集中出来る?」
「あ……ええ。貴女とよく似た感じがしますから」
あの光が、行き先を知っている。
「じゃあやってみて。あなたの言ってた道に繋がってるかもしれない。大丈夫、私はここに居るから」
「……はい!」
私には感じ取れない気配。
私と似ているという、その気配。
彼女の見えない視線が追う先に、ひとすじ、またひとすじと光の帯が現れ近づいて来た。
(……お迎えだ)
天から伸びて来る光の道。人は『天使の梯子』と呼んだりする。
あれ、本当の事だったのね。
「あ……何か、引っ張られる感じがします」
脅えの混ざった声で、彼女が私に告げる。よく見ると、確かに少しずつ彼女は移動していた。
でもその先にはきちんと光がある。だから私は安心してと声をかけた。
「そのままで大丈夫。楽にして」
「……はい」
ゆっくりと川面まで移動した彼女は、そこで空から差し込む光に照らされた。
その光景は、あたかもスポットライトを浴びてるようで……感動と嬉しさで胸がいっぱいになった。
「あ、見える!見えます!!とっても明るくて、キレイ……!!」
歌うように彼女は叫び、掛けていたサングラスをむしり取る勢いで外す。
そこには、涙に潤む綺麗な黒い瞳。
「貴女の事もよく見えます……良かった、最期にこうしてお顔を拝見する事が出来て」
「うん。私も何か、とっても嬉しい……良かったね」
「はい!本当に、どうも……ありがとう……」
彼女の言葉は光に溶け、川面に差す陽光が空に昇るように消え去ると、彼女の姿もすうっと消えていった。
「……さて、退院祝いを選びに行こ!」
ひとつ深呼吸をした私の目前に、新たなひとすじの光が差し込んだ。
誘われるように地面に目を落とせば……そこでは四つ葉のクローバーが春の風に揺れていた。
(20091120-20180322-20210127)
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?