R_B < Part 5 (1/7) >
「こちらの2機に戦闘意思は無い!即時攻撃の停止を要請する!繰り返す……」
統は必死に攻撃を止めようと叫ぶが、領空侵犯と判断した相手の戦闘機は手を緩めない。
と、誠が突然機体の進路を変え、彼の叫びが機内に響いた。
「死ぬな!!仁、芥ぁー!!!」
……敬と会うまでは死なないと決めていた。だがそれ以上に、芥を死なせたく無かった。
彼は、31に希望をくれたのだから。
だから、誠が起こした行動は正しい。統は、そう思った。
体当たりの直前、視界を夕日が掠め……その後は、覚えていない。
------------------
水音が耳を打ち、同時に皮膚感覚も蘇った。
(……冷てぇ)
胸から下が冷たい。脚に到っては冷えすぎているらしく、感覚が無い。
頬に当たる砂利も濡れていた。どうやら顔はギリギリ地表だが、首から下は水の中という事らしい。
(このままじゃヤベーな……って何で生きてんだ俺!)
どう言う事だ。
漸く我に返った統は焦って顔を上げようとするが、冷えた身体は軋むばかりでなかなか動いてくれない。やっとの事で両肘をついて周囲を見渡すと、彼は今度こそ絶句した。
(何だよ……コレ、絶対おかしいじゃねーか!)
視界に飛び込んで来たのは、生い茂る川辺の雑草。その向こうは整備された堤防。河川敷には思い思いに散歩する人々がいて、遠くには見たことの無い建物群。
のどかだ。緊迫感の欠片も無い。
(……どうなってんだー)
うーと唸って統は地面に突っ伏した。
頬に水しぶきがかかり、頭の中はぐるぐる回る。
「……ありえねー」
無意識に呟いていたらしい。
「あ、良かった」
直ぐ近くで応じる声があった。
「ぅえ?!」
統の心臓が跳ねた。慌てて顔を上げれば、いつの間にか目の前に黒髪の女性が一人。目が合えば、ニッコリと笑顔を見せる。
「どうしたの、大丈夫?」
この場合、何をもって大丈夫と言えば良いのかが分からない。
「まぁ……たぶん」
「溺れかけたの?」
「違う」
「じゃあ、落ちたとか?」
間髪入れずの質問攻めだが、緊張感の無さにこちらの気が抜ける。
「……そっちのが近い、と思う」
「でもどこから?橋も少し向こうだし、川沿いにビルも無いんだけど」
「わかんねーよ」
答えようが無い。聞きたいのはコッチだぜと、つい内心で毒づいた。
自分は今、どこにいる。何があった。
それに、どうして生きている。
(そもそも、あんた誰だ)
「川の水、まだ冷たいでしょ?もう少しガマンしてね。あ、このウインドブレーカー、少しはマシかもしれないから使ってちょうだい」
どう考えても初対面の彼女は、初対面とは思えない親しみの籠った笑顔を彼に向けながらそんな事を言う。
(困ってるヤツ見たら放っとけねータイプなんだろうけど……そんな無防備で大丈夫なのかよ)
却って統のほうが心配になってきた。しかし自分がこの状況から脱出するには、彼女に頼るしかない。
「サンキュ。けどその前に、ちっと手を貸してもらえねーか?」
「あ、そうよね。はい」
差し出された手を掴んで体勢を立て直すと、辛うじて残っていた力で川から這い上がった。草むらに腰を下ろしたところで、手渡されたウインドブレーカーを羽織る。
無事に統が水から上がったのを確認すると、彼女はどこかに電話をかけた。
「もう仕事終わった?すぐ迎えに来て欲しいの。そう、近所の河原……ううん、私じゃないの。男の子が川の中で倒れてるのを見つけて……あ、溺れてはいないみたい。でも半分水没してたから凍えちゃうわ。怪我もしてるし……うん」
オトコノコなんて久しぶりに言われたな、と妙なところで感動してしまう。そのまま聞くとはなしに彼女の会話を聞いていた統だったが、最後の一言で仰天した。
「うん。よろしくね、芥」
(……何だって?!)
通話を終えて振り向けば、呆けたような顔の統が目に入った。
彼女は不思議そうに首を傾げ、最初の言葉を繰り返す。
「……どうしたの、大丈夫?」
「あ、いや……あんた今、『あくた』って言ったよな?」
「うん。言ったけど?」
------------------
彼女…名前は彩だと教えてくれた…が連絡をしてから10分程で、堤防の上に1台の車が止まった。
そして車内からスーツ姿の人物が出て来るのを見た時。
「おいおい、マジで芥かよ」
本当に統の全身から力が抜けた。
「え……統?!」
芥も、まさかといった顔をしている。
「……あんたヨメさんいたのか」
「ちょ、第一声がそれ?」
「他に言いようがねーぜ……もう何がなんだか」
「なあに、知り合いなの?」
彩が間に入ってきた。興味津々といった風情だ。
------------------
芥に抱えられてずぶ濡れのまま車に乗りこみ、着いた先は彼の家。
中に通されるなり統はヒーターの前に座らされ、暫くすれば今度は風呂が沸いたからと案内され、風呂から上がればリビングで出来立てのホットコーヒーと、手足に出来た擦り傷の手当てが待っていた。
「すまねーな、こんな事まで」
「もう寒くない?大丈夫?」
「大丈夫。芯から暖まった」
「良かった!大きな怪我もしてないようだし。後はゆっくりしてね」
言いながら彩は芥の隣に腰を下ろすと、2人はどこで知り合ったの?と聞きたがった。
話しても大丈夫なのだろうか。
「えーっと……」
「良いよ、そのまま説明してあげてくれるかな」
視線で芥にお伺いを立てれば、ニッコリ笑って促された。それなら大丈夫かと31でしばらく一緒だった事を話せば、彼女は目を丸くして驚いたような、感心したような溜め息を一つ。
「じゃあ、芥のあの話って本当にホントだったのね?」
「……やっぱり信じてなかったのかー」
「まあ、普通無理だよな。俺だって今やっと実感し始めたとこだし」
「でも、そうしたら統クンて芥の恩人じゃない。ちゃんとお礼を言える機会が出来て良かった!」
「いや、そんな……」
恩人と言われる理由が全く分からず、統は戸惑う。そんな彼の困惑に気づいた芥が助け舟を出した。
「そうだ、彩。ちょっと早いけど夕食の用意を頼んでも良い?彼、腹減ってると思うし」
「あ、そうよね。待っててね」
出来たら呼ぶわねと言い残し、彩はキッチンへ向かった。ドアを閉めると、芥は小さく溜め息を一つ。
「……ゴメン、いきなりこっちのペースに巻き込んじまって。大丈夫か?」
「ああ。まだちっとボーッとしてるけど……でも芥がいてくれて、ホントに助かったぜ」
これ以上心配をかけたくなくて笑顔を見せようとしたが、その頬は引き攣ったように動かない。
「無理するな、混乱して当然さ。俺もそうだった」
「……悪ぃな」
「謝るなって」
頭をくしゃりと撫でられた。懐かしい、優しい感覚。
「……“あの時”から跳んで来たんだ?」
問いと言うより、確認のニュアンスだった。
確かに、芥ならひと目で判っただろう。さっきは彩が隣にいたから、敢えて触れなかった話。
「ああ、マジで驚いたぜ。芥を見てやっと、俺も跳んじまったのか?って考え始められたくらいでさ」
「うん」
「あんたの話を聞いてて良かった。知らなかったらホント、どうなっちまってたか分かんねーよ」
「うん」
「仁や誠ともはぐれちまったみてーだけど……あんたがこうして元気にしてるんだから、みんなきっと無事だよな?」
「ああ。必ず、どこかで生きてる」
力強い、芥の返事。それを聞いた統の肩が細かく震えた。目を閉じ、何かを耐えるように一つ大きく息をつく。
「……絶対、死んだと思った」
芥は静かに、彼の話を聞いている。
「けど、後悔はしてねーぜ」
「……」
「芥さえ生きていてくれりゃそれで良いって……そう思ったのもホントなんだ」
「……ありがとう」
次第に彼の体から力が抜けていく。漸く緊張が解けてきたのだろう。
「こうしてまた会えたなんて……奇跡だ。サイコー……」
涙が頬を伝い、そのまま統はコトリと眠りに落ちた。
「お前もな……本当に、無事で良かった」
そっと彼の寝顔に語りかけ、そのままソファに寝かせてやる。照明を落とすと、芥はキッチンへ向かった。
------------------
「あれ、統クンは?」
芥が1人でやってきた事に気づき、彩が尋ねる。
「眠ったよ」
「そうなの。確かにかなり疲れてたみたいだったし、怪我もしてたもんね……一体何があったのかしら?」
その問いかけに芥は唸った。
「あのさ……ちょっと、座ってくれるかな」
「ん?良いけど?」
手招きされ、彼女は料理の手を止めて芥の向かいに座る。
「……統が“彼の世界”から跳んで来たっていうのは、君にも何となく分かってもらえたのかなとは思ってるんだけど」
「ええ。軍隊にいたって言ってたわよね。あなたも一緒に」
「うん。それで……本当はこの話、君には黙っていようと思ってたんだけど……」
言い淀む。彩はそんな彼の手を取り、笑顔で返した。
「言って。すぐには理解出来ないかもしれないけど、あなたが必要だと思った事なら何でも教えてちょうだい」
彼女の笑顔と言葉に勇気づけられ、芥は“統の世界”で起きた事を伝えていった。
……もう覚えていない事も多い。それでも、思い出した事の全てを話してしまえば、彩には負担が大き過ぎる。せめて彼と接するのに必要な最低限の内容だけにしたかったが、“亡命”の件は話さざるを得なかった。
「……そう」
話を聞き終えた彩の両手に力が籠もる。
芥はそっとその手を握り返し、言葉を継いだ。
「ごめん、辛い話を聞かせちまって」
「大丈夫だけど……やっぱり想像しきれないね。私のほうこそごめんなさい」
「いや、それが当然だと思うよ」
「……統クンの支えになってあげられるかな?私」
「特別に考えなきゃいけない事は無いと思うんだ。普通に接してくれたら、それで十分さ」
「でも、今までの事を聞いたりはしない方が良いかもね」
「だと思う。ただ、彼の方が話したそうだったら聞いてあげて」
そこまで聞いて、彩の表情がやっと少し明るくなる。
「うん、それなら出来そう。分かったわ。他には?」
「そうだな……これは気に留めておいてほしいんだけど、恐らく彼はどこかでフラッシュバックを起こすと思うんだ」
フラッシュバックと聞いて、彼女も『そう言えば』と思い出した。
「芥も、あの頃何度か起こしてたわよね。いきなり何も言わなくなっちゃったり、私が目の前にいても見えてないようだったり……」
彼の異常に気付いた彩が医者に相談して初めて、彼女はその現象を知ったのだ。
「うん。でも俺自身は殆ど覚えてないんだ。あれって自分の意思で制御出来るモンじゃないんだよな」
「そうなのね。でも、あなたがずっとついていられるわけじゃないし……」
そこが芥の気がかりだった。もし彼がフラッシュバックを起こしたとして、その症状が芥と同じとは限らない。彩だけで対処するには危険な場合もあり得る。それに……特に今は、彼女に無理をさせたくない。
「うん。だから明日、霞先生に相談しようと思ってる」
「え、でも先生が居るのって総合病院なんじゃ……」
「それが、去年隣町に開業したそうなんだ。前に連絡をくれてさ。何か困った事があれば連絡しなさいって言ってもらったし、頼らせてもらおうかと」
霞は、芥があの事故に遭った時の担当医だ。芥のパラレルワールドの話を嫌な顔もせずに聞いてくれた、貴重な人物でもある。
「それだと私も安心だわ。実はさっきの怪我の手当ても、あれで大丈夫なのか気になってたし」
「じゃあ、早い内に診てもらえるように頼もう」
「ええ、お願い。明日の予定はそれで決まりね」
そうしたらご飯作っちゃうわね、と彼女は再び立ち上がった。
「ああ、それと。念のため、今夜は彼に付き添っておこうと思うんだ」
「是非そうしてあげて。そのままリビングで?」
「うん。適当に横に布団敷くよ」
「分かった。ご飯、もうじき出来るからね」
「ありがとう」
それまでに仕事の連絡を済ませてくるよ、と芥は書斎に向かった。
------------------
(……あれ?)
ゆるりと意識が戻ってきた。記憶を手繰り寄せようとするが、なかなかうまく繋がらない。
(芥に……会った?俺、生きてて……っ!?)
途端に戦闘機が視界に飛び込んでくる。
「ぅわああっ!!」
統は思わず叫び、飛び起きた。反射的に周囲を伺う。
「……」
戦闘機のエンジン音が、自分の耳鳴りへと切り替わった……闇の中、左手方向にオレンジの小さな光。聞こえるのは、自分の荒い息づかいだけ。
「……大丈夫か?統」
少し経って、横から聞き覚えのある声がした。この声は。
「……芥?」
ゆっくりと首を巡らせば、見覚えのある顔がそこにあった。
「そう、俺」
「……ああ」
ほぅと深く息を吐く。
鼓動が少しずつ落ち着いてきた。芥の家のリビングに居るんだと思い出す。天井近くにあるガラス窓の向こうは、未だ暗い。
「……今?」
「4時過ぎってとこ。少し飲むか?」
言われて口の渇きを覚えた。カップを受け取る。
「……サンキュ」
ただの白湯がこの上なく美味しく感じた。温もりが心地良い。
「悪ぃな、起こしちまって」
「大丈夫。今日は俺、仕事も休みだし」
「……そっか。働いてんだよな」
戦争の無い、芥の世界。
「“いつ”戻れたんだ?芥は」
「“今”から3年くらい前だね」
「……そっかぁ」
半日と、3年。時間の流れが全く違う事に戸惑う。
違和感を少しでも減らしたくて、統は話を続けた。
「なあ」
「ん?」
「戻った直後って大変だったんじゃねーのか?コッチじゃ行方不明になってたんだろ?俺等と半年くらいは一緒にいたじゃねーか」
「いや、それが不思議なんだけど……実は俺、あの後また別の世界へ跳んじまったりしてさ。結局、戻るまでに1年くらいかかったんだ」
「1年も?」
「そう。だからこっちでも1年間行方不明扱いになってたって、普通なら思うよな?ところが俺が戻って来たのは、統たちの世界に跳ぶ直前に遭った“あの事故”のすぐ後だったんだ」
「じゃあ……タイムラグ無し?」
「そう。ほぼゼロ」
「何だよソレ。何でもアリかよ……」
もう溜め息しか出なかった。パラレルワールドにはお手上げ状態だ。だが一方で、芥に聞きたい事はどんどん増殖していく。
「……そしたら、あんた“あの後”はドコ行ったのさ?」
「うーん……」
何から話そうか、と独り言のように呟く。
「とりあえず、あれから二つの世界に跳んだんだ」
「ふたつ!?他に二つ?」
「そう」
仰天する統とは対象的に、芥はマイペースに言葉を返す。
「何か、ソレってもうパラレルワールド巡りじゃねーか」
「あ、上手い事言うな」
「そうじゃねーだろ」
「まあ落ち着けって」
ぽんぽんと頭を撫でられ、再びハァと溜め息が一つ。
「……兎に角、あんたが“跳んでた”1年は綺麗にリセットされちまった、と」
「まあ、そうだね。この世界では」
「で、3年経ってて……そしたら今、29?」
「そうだけど?」
「跳んでた1年も足しゃあ30だな」
「あーもう、そんな計算しなくて良いから」
苦笑しながら、芥は彼の布団をかけ直してやった。
「朝までまだ時間がある。もう一眠りしよう」
「……うん。そうだな」
「おやすみ」
芥と話して安心出来たのだろう、統はすぐ二度目の眠りについた。
20130401-20190320-20210810
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?