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R_B < Part 5 (2/7) >


 右腕が熱い。
 再び目が覚めたのは、その感覚のせいだった。


(マズいかな、コレ)


 状態を確かめようと身じろぎする……と、どこかから男女の言い合う声が聞こえてきた。


「でも送り迎えぐらいさせてくれよ。元々そのつもりで休み取ってたんだし」

「大丈夫だって!少しは歩いて運動もしなきゃ」


 喧嘩とは少し違うようだが。


「あんまり無理するなって」

「体重が増え過ぎても良くないの!芥も聞いたでしょ、過保護は禁物!」

(あ……俺!)


 一気に目が覚めた。あれは芥と彩の声。時計を見れば8時半。


「戻る時には連絡入れるから。あなたは統クンについててあげて」

(あちゃー……)


 芥は彼女をどこかに送っていこうとしている。でも自分が居るせいで、それが出来ないらしい。


「……おはよ」


 そろりとドアを開けて声を掛ければ、2人が同時に振り向いた。


「あ、おはよう」

「ほらぁ、起きちゃったじゃない。おはよう、統クン。うるさくしてごめんね」


 芥も彩も、少し決まり悪そうに笑いながら挨拶を返す。


「いや、俺のほうこそずっと寝こけちまって……芥、用事あンだろ?世話になっといてアレだけど、俺なら大丈夫だから」

「あ、別に……」

「統クンが気にする事じゃないわよ。私が病院に行ってくるだけだし」


 しどろもどろになる芥に代わって彩が簡単に説明した。だが病院と聞いた統は大慌てだ。


「ちょ、病院って、あんたどっか悪いのか?!」

「え?」

「すまねぇ!俺なんかのせいで昨日無理させちまったんじゃねーのか?やべーじゃん!芥、早く……」

「統くん、大丈夫。あのね、病気じゃないの」

「……?」


 事情が飲み込めない。他に病院へ行く用事などあるのだろうか。


(見舞い、とか?でもそれならそう言うよなー……)


 不躾なのも忘れ、彼女をまじまじと見つめてしまった。
 そこで漸く気付く。


「あ、オメデタってやつ……?」


 彩は頷き、少しだけ照れ臭そうに微笑んだ。


「そう。5ヶ月」

「そうなんだ。ならやっぱり送ってもらったほうが」

「ちーがーう!体調が落ち着いてれば、適当に運動したほうが良いのよ。せっかくのお天気だし、歩いて行きたいの。バスだってあるから、帰りも大丈夫」

「でも芥だって居るんだからさー」

「あら、キミまで彼の肩を持つ気?」

「いや、そーいうんじゃねーけど……」


 あっと言う間に今度は統がやり込められそうになり、芥がとうとう降参のポーズを取った。


「分かった、じゃあこうしよう。往きは彩一人で行く。終わったら二人で迎えに行くから、買い出しをして戻る」

「OK、それなら助かる」

「俺も行って良いのか?」

「来てくれると有り難いわ。男手があれば重たい物も買えるし」

「ああ、任せてくれよな」


 よっしゃと気合いを入れる彼に、芥が笑って付け足す。


「そんな重いものは買わないさ、気晴らしついでに一緒に出かけようって話。良ければこの周辺を案内したいんだ」


 統の瞳が輝いた。芥たちの世界を見たくない訳が無い。


「良いな、ソレ。楽しみだぜ」

「じゃあ、終わったら連絡するね。いつも結構待たされるから、今日もきっとお昼少し前くらいになると思うけど」

「了解。適当に見計らって出発する」

「うん。じゃあ統クン、また後で。よろしくね」

「ああ。気をつけて」


-------


 彩を見送った芥が『朝メシ食うか?』と統に声をかけた。


「腹減っただろ?昨日もほとんど食べてなかったし」

「あ……そうだった」


 確かに空腹感はあるが、そんなに食欲がある訳でもない。まだ気持ちが高揚しているせいもあるだろうが……。


「無理しなくて良いけど、入りそうなら少しでも食べろよ。体がもたない」

「ああ」


 言われるままにダイニングへ移動する。用意されていた朝食はどれも初めて目にするものだったが、まずはカラフルなオープンサンドが彼の興味をひいた。手を伸ばしてひとつ、口にする。


「……うん、めちゃめちゃ美味い」

「それなら良かった。スープはどうかな、口に合うと良いけど」


 芥はマグカップを差し出すと、テーブルの向かい側に腰を下ろした。これが彼の日常なのだろうが、統としては何となく落ち着かない。


「……あのさ、芥」

「ん?」

「えっと……俺、大丈夫だから。何か準備とか、あんたもやる事あるんじゃねーのか?」


 こんな穏やかな空気の中で誰かと食卓を共にする事など、一度も無かったから。


「特に急ぎは……あ、そうだ。電話を一本入れておかないと」


 彼の戸惑いに気付いた芥は話を合わせ、立ち上がった。


「じゃあ、お言葉に甘えて。だけど何かあれば気にせず入って来いよ。玄関手前の右側が俺の部屋」

「うん」

「出かけるのは11時過ぎにしよう、それまでゆっくりしておきなよ。そっちのソファでも何でも使ったら良いから」

「サンキュ」


 芥の背中を見送り、統はまた一つオープンサンドをつまんだ。初めて目にする色とりどりの食材。それらは甘味や酸味、仄かな辛味など、実に様々な味わいで彼の味覚を刺激する……違う世界には違う食べ物があって当たり前ではあるが。


「軍のメシとか、施設のとか……アレ一体何だったんだろなー」


 ぽつりと、自分に問う。答えはすぐそこにあると分かってはいたが、言葉にしようとすると胸の奥がキンと疼いた。


-------


〈やあ、山吹君。久しぶりだね!〉


 自室に戻ると、芥はすぐに霞の診療所に電話を入れてみた。診療時間中ではあったが、次の患者の診察までなら大丈夫だと言ってもらえたので、手短に統の件を話す。


〈ああ、覚えてるよ。君のあの話は強烈だったし……ではその時の1人が、いきなりやって来たと言う訳だね?〉

「はい」

〈今、彼は?〉

「食事を」

〈しっかり食べられてる?〉

「しっかりとは言いづらいですが……必要最低限は、という感じです」

〈成る程。取り敢えず、水分だけは意識して摂るように。フラッシュバックについてはあまり神経質になりすぎない事。君が言った通りで大丈夫だ〉

「はい」

〈後は怪我だね。確かに一度診ておいた方が良さそうだ……夕方以降になるけど、往診に行っても?〉

「助かります。是非お願いします」


 早くに相談して良かったと、芥は胸を撫で下ろした。


〈他の往診を終わらせてから行くよ、18時ぐらいになっちゃうけど、良いかな?〉

「こちらは何時でも大丈夫です。よろしくお願いします」

〈OK。そうしたら受付に電話回すから、住所と君の名前を伝えておいてくれるかな。久しぶりに会えるのを楽しみにしてる〉


-------


「すっげーな、ホントに何でもあるんだな、芥のトコって」


 買い出しした荷物を車に積み込みながら、統は既に何度目かになる感嘆の声をあげていた。


「この辺りは人口が増えてる地域だからね、まだ色んなお店が出来ていくわよ」

「え、マジ?」

「うん。たとえば、さっき迎えに来てくれる途中で見たって言ってた図書館。あの裏手に、大きなショッピングモールが建つの。来年オープンなんだって」

「もうこんなに便利な店があるのに?」

「まだ足りないって事でしょ」

「そうなのか?俺の頭じゃ追いつけねー世界だな」


 戸惑いを隠せない彼に、芥がフォローを入れる。


「その内慣れるよ。次の休みには、また近場を回ってみよう」


 言いながら、最後の買い物袋を統に手渡した。その瞬間。


(……っ!)


 何気なく受け取った右腕に痛みが走り、彼は一瞬動きを止めた。その変化を見逃す芥ではない。


「大丈夫か?」


 支えようと手を伸ばしてきた。統は急いで自分の腕を引っ込める。


「ああ、気ぃ抜いてたからスジ捻りそうになっちまっただけ。何ともない」


 手をヒラヒラと振って見せた。大丈夫、これなら痛みは出ない。


「ほら、帰ろうぜ」


 2人を促し、統も車に乗り込む……視線を感じて顔を上げると、自分と同じ年頃の女性が3人、こちらを見ているのに気付いた。
 彼と目が合った途端、3人は黄色い歓声をあげてバタバタと走り去る。


「……何だ、あいつら」


 憮然として溜め息をつく彼に、一部始終を見ていた彩が意外な事を言い出した。


「気付いてなかった?買い物の間も、何人もの女の子達がキミの事振り返って見てたわよ」

「……何で?!」

「だってイケメンだもん。ね、芥?」

「イケメンって何?」

「ハンサム。美男子。統クンってめちゃめちゃ格好いいのよ。自覚無いの?」

「……ある訳ねーだろ」


 つい反論が小声になる。その間にも彼の顔は真っ赤になっていく。


「だいたい俺、こんな髪だぜ?ありえねーよ」

「何言ってんの、それが良いんじゃない!若い子達なんて、わざわざそういう色に染めるのよ。でもキミの髪、天然色でしょ?夕焼けみたいでとっても素敵。瞳もルビーみたいで、ホントに綺麗だし」

「うー……」


 彼女の素直な賞賛を浴びまくり、統は遂に撃沈した。

 以前、敬にこの色を褒められた事があったような気もする。だがそれを受け入れるには、やはり抵抗があったのだ。
 厄災の色……なのに、この世界では誰も何の頓着も無い。加えて、他人からこれ程に素敵だの格好良いだのと言われるなんて想像もしてなかったから。


「芥ぁ……」


 器用にシートの上で三角座りをして顔を膝の間に埋め、首まで真っ赤にして情けない声で助けを求める。成人男性には失礼かもしれないが、とにかくその姿が可愛くて仕方がない。
 必死に笑いを堪えていた芥が、遂にハンドルを握ったまま盛大にぶはっと吹き出した。


-------


 帰宅して遅い昼食となった。買い込んだ惣菜を温め直し、芥が飲み物を、彩がサラダを用意する。だが統は、やはり食欲が無いようだ。


「いきなり連れ回しちゃって疲れたかしら?ごめんね」


 彩の表情が曇る。そんな顔をさせたい訳じゃないのに。


「いや、大丈夫。あちこち見れて楽しかったし、ホント」

「そう?」

「ああ。単に俺が、この世界に慣れてねーだけさ」

「そっか。確かに、キミと会ったのって昨日の夕方だし……」

(右腕が……熱い)


 腕の熱感が増している。だが2人に気付かれてはいけない。


「少し横になるか?」


 芥も心配して休憩を勧める。これ幸いと彼は立ち上がった。


「そうだな。悪ぃけど、また休ませてもらうぜ」

「後で食事も持っていくから」

「すまねーな」


 寝室に案内すると、芥は手早く布団を整える。統が横になったところで、彼はインターフォンの子機を手渡した。


「これ、置いとくから。何かあれば遠慮無く呼べよ」

「わかった」

「それと、夕方になったら、前に俺の治療をしてくれた医者が往診に来てくれるから、一度きちんと診てもらっとこうな」

「え?!」


 心臓が跳ねた。それは困る、と言いかけ……辛うじて統は動揺を押し殺す。


「何?」

「あ……前に、って?」

「ここに“戻った”時、俺大怪我してたんだ。ほら、交通事故だったから。で、その時に治療をしてくれた先生。良い医者だと思うよ」

「そう、なんだ……そっか」


 統はそれ以上、何も返せなかった。


「おやすみ」


 彼の頭をぽんぽんと撫で、芥は部屋から出て行った。向こうから彩の声が微かに聞こえる。


「うわー……どうしよヤベーよ」


 布団の中で、統は文字通り頭を抱えた。


-------


 18時を少し過ぎた頃にインターホンが鳴った。霞だ。


「やあ、久しぶり。2人とも元気そうだね、安心した」

「お久しぶりです。来て下さってありがとうございます」

「いやいや。思い出してもらえて嬉しいよ」


 リビングへ案内された霞は、勧められたソファに腰を下ろすと即座に話に入った。


「ところで、例の彼は?」

「別の部屋で寝ています。昼の外出から戻って、じきに……」


 芥も彼の向かいに座りながら答える。


「外出したのかい?」

「気分転換になるかと思って。彼女の迎えと買い出しも兼ねて、車で近場を」

「その時の様子はどうだった?」

「出ている時は、結構楽しそうに見えました。特に気分が落ち込んだりする様子も無かったと思うんですが、帰ってから怠そうだったので、無理をさせちまったかなと……」


 ふむ、と霞は頷いた。


「今までの事もある。体力が落ちて疲れやすくなっているのは当然だから、いつでも“疲れたら休む”を心がければ良い。後で点滴をすれば回復も早いはずだよ」

「はい」

「他に、何か気になる事は?」


 聞かれた芥は暫く考える……そして思い出した。


「そう言えば……小さな事ですけど」

「構わないよ。何でも言ってくれるかな」

「買い出しで荷物を持ってもらった時なんですが、一瞬右腕が痛かったみたいで」

「痛みはその時だけ?」

「恐らく。でも、もし筋を傷めてたりしたらと気になって」


 そう、彼と誠は“あの時”、相手機に体当たりをかけたのだ。パラレルワールドに跳んでも身体に受けた衝撃は残る、それは芥自身も体験した事。


「昨日は彩に彼の手当てをしてもらったんですが、見えてる部分だけでしたし、もしも僕らでは分からないダメージを負っていたら……」

「わかった。それも診てみるとしよう」


 出された紅茶を飲み干し、霞はカバンを手にした。芥がすぐさま案内に立つ。


「お願いします。こっちです」


-------


「統?入るよ」


 ノックの後に芥の声。間も無くドアが開いて室内の灯りがつく。既に目が覚めていた統は、だが布団にくるまったまま黙っていた。


「統?」

「……おぅ」


 もそりと頭だけを出す。具合を心配する芥の視線を避けた先に見知らぬ姿。

 統の瞳に微かな怯えが走った。


「霞先生だ。心配しなくて良い、ちゃんと分かってくれている」

「初めまして。霞 正比古です」


 芥の紹介に続いて霞が名乗り、握手を求めて右手を差し出した。


「……どうも」


 統も小さくではあるが、挨拶を返す。左手がにゅっと出て来たのを見て、霞はさり気なく握手の手を変えた……体温が高い。


「調子はどうかな。少し熱が?」

「さあ、自分じゃ分かんねー。こんなんでへたばって情けねー話さ」


 自嘲めいた声。視線を合わそうとしない。


「自分で思っているよりも疲れが出てるんだと思うよ、焦らないで。点滴を持って来たんだ、これでかなり楽になるからね……ちょっと失礼」


 霞は統の右側に位置取り、掛け布団を捲った。


「悪いけど、両腕を見せてもらえるかな」


 一言断ってから統の両手首を持つ。


「……っ!」


 瞬間、彼は身を固くして右腕を引こうとした。ほんの微かな動きだったが、それで霞には十分だったらしい。そっと手を離し、何事も無かったように続ける。


「右利きだね?そうしたら点滴は左腕で……その前に着替えてしまおうか。そうすれば、このまま明日の朝まで眠れる」

「じゃあ俺、着替えを持って来ます」


 芥が立ち上がった。


「助かるよ。ついでに使って悪いが、お湯と身体を拭くタオルも」

「わかりました」


 芥が部屋を出て行く……少しの間を置いて、霞は静かに問い掛けた。


「右腕、見せてくれないかな?」

「……」


 統は黙ったまま動かない。


「怪我をしているね。ここへ来てから?」

「……違う」


 漸く、ポツリと言葉が返ってきた。


「では、“君の世界”で?」


 問いを重ねれば、今度は小さく頷く……そう言う事かと、霞は納得した。


「なら、怪我をしてから少なくとも丸一日は経っている事になるね。悪化したら後が辛くなるよ」

「応急処置はしてある」

「消毒とガーゼ交換だけでもしたほうが……」

「ダメだ、芥にバレる」


 つと、統が顔を上げた。


「あいつに知られちゃダメなんだ。直ぐに何があったかバレちまう!」


 青ざめた顔は必死の形相。泣きそうな顔で霞に懇願する。実際に何があったのか……だが、自分は聞かないほうが良いのだろう。


「……彼は君の事をとても心配している」


 それだけ言い、霞は点滴の準備を始めた。


「先生?入ります」


 芥の声。
 それまで石のように固まっていた統の肩が跳ね、目には恐怖にも似た色が浮かぶ。


「ああ、少しだけ待ってくれるかな……大丈夫。君はそのままで」


 一旦彼を横にならせてから、芥に入室してもらう。治療用のキットを整えながら、霞は芥に指示を出していった。


「それはこちらに置いてもらえるかな。着替えはそこで。うん、助かるよ」

「他には?」

「いや、これだけあれば十分。しっかり診ておくから、後は任せといて」


 そっと目配せをして、芥に退室を促す。


「わかりました。よろしくお願いします」


 意図を察し、芥は素直に部屋を出て行った。統が落ち着いたのを見計らい、霞は再び声をかけた。


「もう大丈夫。きちんと手当てをしよう。心配要らないから」

「……」


 返事は無い。だが今度は拒否する事無く、彼の言葉に従い起き上がった。次いで上衣を脱ぐ……緩慢な動作は、疲労や痛みよりも不安の表れなのだろう。
 右腕は、肩に近い部分に防水テープが貼られていた。


「背中から見せてもらうよ……打撲は軽いようだ、骨は無事。大きな傷も無いし大丈夫。首は捻挫をしているようだね」

「……どうって事ねーよ」

「そうかい?じゃあ、気休め程度だけど湿布をしておこう」


 湯に浸してあったタオルを固く絞り、背中を軽く拭いてやる。
 湿布を貼れば、統が一つ大きく息をついた。


「そうしたら左腕……うん、こっちはOK、手当ても完璧。そうしたら、先にこっち半分だけ着てしまおうか」


 言われるまま用意されたパジャマに左袖を通せば、次は仰向けに寝るように促された。上半身をバスタオルで覆い、右腕の下に支えを置く。


「これ、剥がすよ。いいね?」

「……」


 再度確認を取れば、観念したらしい統は無言で頷いた。後は目を閉じてじっとしている。治療を受け入れられた事に安堵し、霞は防水テープをゆっくりと剥がす……傷口が露わになるにつれ、流石に彼の表情が曇った。


「……これは」


 傷は明らかにここ1〜2日以内のものだ。確かに応急処置もしてあったし、傷そのものは大きくは無い。だが抉られている分、深かった。


(射創……)


「いつ、撃たれたんだい?」

「……コッチ来る、少し前」

「そう……」

[あいつに知られちゃダメなんだ]


 そう言う事か……だがそれなら尚のこと、早くこの傷を治してやりたかった。


「傷自体は軽いほうだけど、炎症を起こしてるし、化膿しかけてる。相当辛かっただろうに、よく我慢したね」

「……」


 労りの言葉に、統は思わず両目をきつく閉じた。耐えきれず、涙がひとしずく流れ落ちる……霞は黙って傷の治療を進め、続いて点滴を開始した。


「点滴にも化膿止めは入ってるけど、後で飲み薬も飲むように。炎症が収まれば治りも早くなるからね」

「……はい」

「せめて数日、毎日消毒とガーゼ交換をしたほうが良いね。通院してもらえると一番良いんだけど……」

「言わないでくれ。頼む」


 即座に懇願される。だが治療を拒否するニュアンスは無かった。


「どうして?」


 静かに聞き返す。押し込めている彼の言葉を、気持ちを、引き出す。


「……あいつを傷つけちまう」


 顔を背けたままの長い沈黙の後に、一言。絞り出すように。


「優しいんだね、君も。彼を悲しませたくないって一生懸命考えたんだろう」

「……」

「ただ、僕は少し気になる。君が彼の立場でも同じように思うのかな?もしも本当の事を聞いたとして、その時『知りたくなかった』と悲しむんだろうか」

「……」


 返事は無かった。だがその瞳は薬液が一定の早さで落ちる様をじっと見つめている。何かを懸命に考えている。或いは心の裡で葛藤しているのだろう。


「……点滴は40分くらいかかるけど、今だけだから頑張って」


 腕の治療を始めながら、霞は彼に再び話しかけた。


「通院の件は山吹君に相談するけど、君が撃たれた事は言わない。僕の診療所に来てくれたら、今日のように他の誰にも見せないようにして処置をする。勿論、うちのスタッフにもだ。これは約束する」

「……」


 統が微かに頷く。彼なら大丈夫だと、霞は確信した。


>>>Part 5 (3/7)


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