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R_B < Part 5 (4/7) >
〈……ほら、生きてて良かっただろ〉
どこからか、懐かしい声がした……この声は。
(……まさか?)
統は焦った。姿を探す。急いで見つけないと、また……。
〈慌てんな。俺達、また絶対会えるからさ……〉
「敬っ!」
思わず叫ぶ。その声で統は目を覚ました。
「……え?」
視界に入ったのは、天井に向けて伸ばした己の左腕。
周りが妙に眩しい。
「夢?にしちゃぁリアルだったけど……て、うわー」
何気なく顔を触って気付いた。
両の瞼がパンパンに腫れている。眩しさの原因はこれか。
「そうだった……バカみてーに泣いたもんな。ホント」
昨夜の、生まれて初めての大泣きを思い出した。
「底抜けのバカだぜ、俺」
腹の底から笑いがこみあげて来る。だが自嘲とは違い、心は温かくふわふわしていた。何とも初めての感覚だが、これはこれで悪くない。
そこへ控えめなノックの音がした。
「……大丈夫か?統」
続いて芥の声。さっきの声は相当大きかったようだ。
「ああ。驚かせちまって悪ぃ、寝ぼけてた」
「そっか……悪い夢でも見た?」
「いや、寧ろ逆かな」
体を起こし、部屋に入ってきた彼に笑顔を向ける。
「芥、ゆうべはありがと。俺、あんな大泣きしたのって初めてでさ……これ見てくれよ」
自分でも驚く程、素直に言葉が出て来る。照れくささはあったが、腫れぼったい両瞼を見せるのに何の抵抗感も無かった。
「うわ、見事に腫れたな」
「だろ?こんな風になるって知らなかったぜ。初体験」
言ってケラケラ笑う。芥もつられるようにして笑った。
「それも良い経験さ。だけどそのまま霞先生の所に行くのはちょっとなー」
「あ、そうか」
両目を擦ろうとする彼を、芥は慌ててとめる。
「待った。擦っちゃダメだ、冷やした方が良い。顔を洗ったらリビングに来いよ。朝メシも出来てるし」
「サンキュ。すぐ行く」
直ちに着替え始める。それを確認して、芥は一足先にリビングへ向かった。
「どう?統クン」
先に食事を済ませた彩が、戻って来た芥に尋ねる。昨夜の件は既に聞いていた。
「うん、何か吹っ切れたって感じ」
「そっか。話せて良かったって事ね」
「ただ予想通り目がバンバンに腫れててさ」
「あらー、それは大変」
ころころと彩は笑った。
「でも先生の所に行くまで時間もあるし、冷やせば何とかなるでしょ。保冷剤なら沢山あるから」
「うん。もうじき来ると思うから渡してあげて……っと」
サイドボードに置いていた芥の携帯が鳴った。発信元を確認する。
「仕事の?」
「露草さんだ。ゴメン、後はよろしく」
露草は4ヶ月後に開催されるコンベンションの担当者だ。先週聞いた時には、特に問題無く準備は進んでいると言っていたが。
「山吹です」
〈露草です。お休みの日に申し訳ありません〉
「構いませんが。何かありましたか」
〈はあ……いや、あの、メインは滞りなく進んでいます〉
「では、スタッフの増員要請でも?」
〈あ、いえ。そこまでの事では無いの、ですが……〉
いつものテキパキとした様子が感じられず、歯切れが悪い。電話をかけたものの、やはり芥の手を煩わすのは申し訳ない……といったところだろうか。
「とりあえず、教えて頂けませんか?小さな事でも全然構いません」
芥に促され、露草はようやく話を切り出した。
〈すいません……エントランスホールのディスプレイの件でご相談したいと思いまして〉
「ああ。おもちゃ箱をコンセプトにしたっていう」
今回のメインテーマは、子どもの遊びや情操教育。規模はそれほど大きくはないが見本市なども並行して開催されるため、親子連れにも気軽に来場して楽しんで貰えるようにしたいと露草は常々言っていた。
〈はい。それなんですが、実は暫く前にウチの若手……あ、名前は紫紺と言うのですが、彼がディスプレイの一部に絡繰り仕掛けを組み入れたいと提案してきまして〉
「それは楽しそうで良いじゃないですか。子ども達も喜びそうですし」
〈そうなんです。なので私も即座にその案を採用しました。更に彼自身がそのディスプレイを手掛けたいと言うので、良い機会かと彼に一任したんです。
ところが昨夜、当の本人が入院してしまいまして〉
「え……紫紺さんが、ですか」
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午後2時。芥は統と一緒に指定されたカフェに向かった。
「こちらです。お越し頂きありがとうございます。突然で本当にすいません」
露草は直ぐに2人の姿を見つけると席に案内した。
「そちらが、仰っていた“従弟”の方ですか?」
「そうです……ほら」
「あ、初めまして。薄鈍 統です」
芥に促されるままに挨拶すれば、露草が小型のカードを差し出しながら挨拶を返してきた。
「初めまして、露草と申します。山吹さんにはいつも大変お世話になっております。今日は突然にもかかわらずご足労頂き、ありがとうございます」
「あ、えーと……どうも」
芥に『ほら、受け取って』と小声で言われ、ぎこちなく名刺を受け取る。そこには“イベンター・露草 亞樹人”と名前があった。
……朝、統がリビングで目を冷やしていたら、入って来た芥に突然『手伝ってほしい事が出来たんだ』と言われた。
[手伝い?]
[そう。今、俺が一緒に仕事させてもらってる人から相談が来てさ]
[そりゃ俺に出来る事なら何でもするけどよ……良いのか?俺で]
[お前だから頼みたいんだ。少なくとも俺よりはずっと適任]
[適任?]
[製作物の依頼なんだ。設計図はある。一種の玩具みたいなモンだけど割と繊細な作りらしいし、時間的にも制限があるから、俺にはちょっと無理かなって]
[確かにあんたよりはマシ……あ、ゴメン]
[あははっ!謝るなよ、その通りなんだし。じゃあ霞先生のOKが出たら、午後から一緒にその人と会ってくれよな?設計図も持って来てもらうように頼んであるから、取り敢えず一度見てみてほしいんだ]
……促される侭に着席しドリンクオーダーが済むと、芥は早速本題に入った。
「それで、紫紺さんの具合は?」
「先ほど改めて聞いて来たんですが、幸い命に関わるようなものでは無いとは言え、それでも2~3ヶ月は入院、安静が必要だとかで」
「やはり、復帰は開催直前になりそうという事ですね」
「ええ。そう考えておかないといけないな、と」
露草の表情が曇る。
「パネル類は別の業者にお願いしてあるので、あの仕掛けが無くてもディスプレイとしては成立するんです。なのでこの件自体はキャンセルする事も出来るんですが……」
「仕掛けの作製を外注に出す事は?」
「そもそもが採算度外視の実験的な試みだったので、受けてもらえる所は無いでしょう。紫紺にも、社内で対応出来る範囲でという条件を出していたんです」
「成る程」
「ただ、彼が初めて出してきた企画でしたし、あっさりキャンセルするのも忍びないと言う気持ちもありまして……」
ぐ、と露草の腕に力が籠もった。
「それに私も、あの仕掛けで子ども達が喜ぶ顔を見たいんです。本人が完成させるのがベストなのは分かっているのですが、別の方に依頼してでもこの仕掛けをオープニングまでに完成させたい、あの設計図を形にしたいと」
迫力に圧され、統は狼狽えた。
(コレって、結構な一大ミッションじゃねーか?!)
「勿論、謝礼はお支払い致します。十分な額とは言い難いですが、弊社の出来る最大限で」
彼の動揺を見て取り、露草が慌てて言葉を継ぐ。
「いや、そー言う事じゃなくて……」
「ひとまず、設計図を見せて頂けませんか」
芥が横から助け船を出した。
「彼は確かにこうした事は得意だと思いますが、コンセプトが理解出来ない事には始まらないでしょうから」
「あ……はい。そうでした、すいません」
幾分か冷静さを取り戻した露草は、鞄から図面を取り出し、テーブルに広げる。
「……見ていただけますか?」
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露草に見送られ、芥は車を駐車場から出す。角を曲がったところで、統は漸くハァと大きく息をついた。
「お疲れ様。露草さん、喜んでくれてたな」
芥がねぎらいの言葉をかけた。1時間そこそこの打合せは短いほうだが、彼にとっては初めての事ばかりで疲れた筈。
「あんたのフォローのお陰さ。堅っ苦しい話とかはホンット、大の苦手だし。さっさと設計図出させてくれて助かったぜ」
「そう?そんなの全然分かんなかった。丁寧に対応してたしさ……でもやっぱり、統ってエンジニアなんだなーって実感した」
「え、そっかなー」
「そもそも、あの図をざっと見ただけで『だいたい分かった』って言えるってのがさ。マジかって思ったよ俺。しかも、あれだけの時間で紫紺さんの意図も読み取れちまうなんて」
露草から相談の電話を受けた時、芥はこの件を統に頼んでみようと思いついた。そろそろ傷も癒えて身体を動かしたくなってきたようだし、モノ作りなら彼の得意分野だと踏んだからでもある。
従弟だと紹介すれば露草にも怪しまれる事は無く、寧ろ歓迎された。一つ気になっていたのは、絡繰り仕掛けというものを彼に理解してもらえるかどうかと言う点だったが、それも結果的には杞憂に終わった。
統は設計図を見た瞬間に全体像を理解していた。
更には、紫紺がその絡繰りを試したがった理由までも。
「それほどでもねーけどさ」
芥の讃辞に、彼は照れ笑いを見せた。
「図面の記号は、俺が知ってるのと意味が違うのも結構あったんだ。でもソコが解れば後は同じ。だから助かったってのもある。材料に紙とか木とかも使うってのは驚いたけど、構造自体は言うほど複雑でもねーし」
「複雑じゃない?あれで?」
「偵察機とかの配線に比べりゃ……ま、比べる相手がアレだけどよ」
「そう言うモンなのかー」
「少なくとも俺にとっちゃあ、そんな感じかな。でも逆にスゲー繊細なトコがあって、ソッチの方が強敵だろーなって」
「例えばどんな?」
運転しながら尋ねれば、彼は軽く唸ってから答える。
「ぜんまいばね。俺、その事シツコク聞いてただろ?」
「うん」
「アレ、ホントに未知の世界。初耳だった。紫紺の試作品はあるって言ってたけど、当然そのままじゃ使えないし。どのみち自分で作らねーと駄目じゃん」
「完全に職人の世界だよなー」
「紫紺がバリバリの職人気質だ、ありゃ間違いねーって。糸とか正直やめてくれって思うぜ。ワイヤーじゃダメなのかよ、みたいな。和紙なんて今も全然見当ついてねーし」
言って大きく溜め息をつく。だがその口元は嬉しそうに弧を描いていた。
「……材料にこだわってるところも、伝統工芸の再現にチャレンジしたいって言う彼の想いが詰まってるよな。難度が上がる原因でもあるけどさ」
「ああ。但し完成すりゃぁ面白ぇ。何て言っても見た目が派手だし、絶対ウケる。敢えて仕掛けを見せるってのも子供が盛り上がるポイント。
300年以上前にあんな技術があったってのもスゲーけど、ソコに紫紺が目ぇつけたってのもスゲーなって思う」
彼の本気に火が点いたのが分かる。芥が提案した。
「図書館、寄っていこうか」
「図書館?」
「昔の資料がある筈だし、他にも先に調べたい事があれば検索も出来るから、イメージも膨らませられると思うよ」
「ソイツぁ助かる!」
統は目を輝かせる。好奇心でいっぱいなのが見てとれた。
「あと、それが済んだら和紙を扱ってる店も覗いてみよう。今日なら開いてる筈だし。実物、見てみたいだろ?」
「うん!」
束の間の穏やかな時間……彼は、いつまでここに居られるのだろうか。
(敬、元気でいてくれよ……皆でまた会えるように、絶対に……)
彼等が再会を待ち侘びている人物へ、芥は心の中でそっと語りかける。そして統が無事に元の世界へ戻れるように、皆が無事に再会出来るようにと願う。
“それ”がいつ実現するのか、芥が知る術は無い。統が本来の世界へ戻った時、どんな“現実”が待っているのか、それは誰にも分からない。
……芥に出来るのは、全てを信じて祈る事だけ。
-------
2人が帰宅した頃にはすっかり日も暮れていた。リビングへ入るなり、彩が駆け寄って来る。
「お帰りなさい!統クン、腕はどうだった?」
「バッチリ。次は1週間後。もう力仕事でも何でもやって良いってさ」
「そうなの、良かった!これで安心ね!」
両手で統の右手をしっかりと握りしめる。照れ臭かったが、感謝の意を込めて彼も握手を返した。
「それで、仕事のほうのお話は大丈夫だったの?随分長かったみたいだけど」
これには芥が答える。
「問題無いよ。話そのものは1時間くらいで終わったんだけど、その後で寄り道をね。図書館とか」
「早速調べ物ね?」
「そんなとこ。後でキチンと話すけど、露草さん関係の仕事を統に手伝ってもらう事が正式に決まったんだ。エントランスホールの展示物の作製」
「そうなの?凄いわ統クン!」
離しかけていた彼の手を、彩はまたぎゅっと握った。
「色んな人が喜んでくれるわ!大変な事もあるかもだし、面倒もかけちゃうと思うけど、よろしくね。芥に言いにくい事があったら遠慮無く私に言ってちょうだい。それと、絶対に無理しちゃ駄目よ?」
母親よろしく統にあれこれと助言する。俺そんなに人使い荒くないから、と笑って彼女に抗議してから、芥はリビングのドアを再び開けた。
「悪いけど、残りの打合せをしてくる。あとちょっとだけ、ごめん」
「ええ。あと10分もあればご飯も出来るから。終わったら来てね」
「了解」
芥の部屋へ向かう2人を見送りながらふふふと笑うと、彼女は腕まくりをしてキッチンへと向かった。
「さーて、私も頑張っちゃおうかな」
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「よし、行けるって。明日の午後、露草さんが会社と作業場を案内してくれる」
電話を終えた芥が、統に説明する。
「材料も大半は届いてるから、いつから作業開始してもらっても良いってさ」
「了解。ところでドコにあるんだ?その会社ってのは」
「D市。車なら30分くらいかな。明日は彼が迎えに来てくれる」
「迎えって……車で?」
「そう」
「……ナニ話しゃ良いんだ、車ン中で」
「統から無理に話す事は無いよ。彼なら会話も適当にリードしてくれるし、不躾な質問はしてこないから大丈夫」
それを聞いて、統が漸く安心した顔を見せた。
「帰りは俺が迎えに行く。それまで待っててくれよな」
「分かった」
「それから、これ。お前用だ。持っといてくれるかな」
「……携帯?」
手渡されたのは、品のあるメタリックレッド。芥と色違いだ。
「うん。あったほうが便利だと思ってさ。発信先は俺と彩の携帯と、霞先生のクリニックに限定してある。着信はフリーだけど、発信元が表示された時だけ出たら良い……まあ、他からかかってくる事なんて滅多に無いだろうけど」
「助かる。持ってるだけでも安心感がスゲーや」
明日からは芥と別行動になる。いつまでも彼にくっついている訳にはいかない事くらい分かっていたが、慣れない環境で単独行動をする不安は消しきれない。だから尚更、渡された携帯が頼もしく感じられた。
「あ、打ち合わせ終わった?」
リビングに戻れば、既にテーブルに食事が並んでいた。
「うん。お待たせ」
「大丈夫。丁度出来たとこだから……あら統クン、それ」
「ああ。俺のを用意してくれたんだ。良いだろー!」
彩が携帯に気付くと、統は得意気にそれを彼女に渡した。無邪気な彼の笑顔につられ、彩も微笑んだ。
「カッコイイじゃない」
「うん!」
「これで統クンとも、いつでも連絡がつくわね。安心だわ」
「後で彩のほうにも番号登録するよ」
「よろしく。じゃあ食べましょ!お仕事の話も聞かせてよね?芥」
「勿論。なかなか楽しい事になりそうだよ」
「わぁ、楽しみ!」
(もしかしたら……家族ってこんな感じなのかな……)
2人の会話を聞きながら、統は食事に箸をつけた。
心の裡に暖かな灯火を感じながら。
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