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行き違い

「……はい?」


 ノックの音でドアを開けてみれば、そこに立っていたのはおばあちゃん。

 見覚えの無い顔だわ。


「あの……」


 少なくとも私のおばあちゃんじゃない……っていうか、私のおばあちゃんはもうこの世にいないし。


「おや、珊瑚ちゃんじゃないのかね?」


 目の前のおばあちゃんは、私をまじまじと見てからそう言った。


「いえ、違います」

「おや、おかしいねぇ。確かにこの住所なんだけど……」


 懐から取り出した、ちょっと黄ばみがかった一葉のハガキを何度も読み返している。

 見えてるのかしら。心配。


「ちょっと、見せてもらって良いですか?」

「ええ、ええ、頼みますよ。どうにも目がくしゃくしゃしてねえ」


 怪しいわね、これじゃ。


「えっと……」


 差出人住所を見れば、確かに所番地は一緒。でも部屋番号が無い。

 これだけじゃ、よく分かんないわね。


(おばあちゃんは、どこの人なのかしら)


 心の中でゴメンナサイをして宛名を拝見。


「……え?おばあちゃん、ひょっとしてイギリスに住んでらっしゃるんですか」

「そうねぇ、住んでたわね」


 おばあちゃん、ニッコリ笑って。


「だからなかなか娘にも会いに来られなかったの。今回やっと戻って来れたから、顔を見るだけでもって思ったんだけどねえ」

「そうなんですかー……」


 相槌を打ちながらまた葉書を眺める。今度は消印に目が行った、んだけど。


「あの」

「なあに?」

「日本へは、何年ぶりに?」

「そうねぇ、かれこれ30年くらいじゃないかね」


 消印は31年前。このマンションが建つずっと前。

 そりゃあ様変わりしちゃってるはずよねー。


「あの」

「なあに?」

「言いづらいんですが……このマンション、建てられたのが7年前なんです。だから、娘さんが住んでらっしゃったっていう家は無くなってるんだと思います」

「あらぁ、そうなの」

「はい」

「じゃあ引っ越したのね。確かにそれなら合点が行きますよ、実はさっき思ったの。『あの子、何でこんな大きなお屋敷に建て替えたんだろう』って」


 うーん……これ、一軒家じゃないんだけどな。


「じゃあ失礼しますね。夜遅くにごめんなさいねえ」


 それでも納得したらしいおばあちゃんは、あっさりそう言って踵を返す。


「いえ、私は別に……でもおばあちゃんは、今夜はどうされるんです?」

「ああ、ちゃんと近くに居場所はあるから大丈夫よ。ありがとう」

「そうですか。じゃあ、お気をつけて」

「ええ、ええ。ありがとうね」


 そのおばあちゃんは、何度も私の方を振り返り頭を下げてくれながら、すっかり涼しくなった秋風の吹く中を帰っていった。


 ……って、そんな事なんかすっかり忘れてた、翌年のお盆。
 実家に帰省しようと荷物を纏めてたらインタフォンが鳴った。


「はい?」

『あ、夜分にすいません』


 聞こえてきたのは女の人の声。


「何でしょうか」

『あの……以前、こちらに私の母が来たと他から聞きまして…』

「え?」


 それだけではピンと来なかったけど、次の言葉でやっと思い出した。


『私、珊瑚と言います。以前ここに住んでたんです。随分前に引っ越したんですが、母はその前から何十年も海外に住んでいたんです。
 その間の手違いでお互いの連絡先が分からなくなってしまってて……』

「あ、珊瑚さん!思い出しました」

『じゃあ、やっぱり来たんですね?』

「はい、去年の秋頃に来られてましたよ」

『……秋?』

「ええ」


 暫しの沈黙。

 どうしたんだろうと訝っていたら、またそろそろとインタフォン越しに珊瑚さんの声が聞こえてきた。


『あの、それっていつ頃でしょうか』

「そうですね、ええと……」


 手帳を持ち出して朧な記憶を引き戻す。
 あの日は残業で……そうそう、月末恒例の事務処理があったのよ。


「確か、10月31日です」


 そう伝えれば、珊瑚さんは『ああ』と納得したようだった。


『ありがとう。これで行き違いになった理由が分かりました』

「行き違い?」

『ええ。母も、すっかり向こうの風習に慣れちゃってたんでしょうね。あの人も元々はこの土地の人間なので、代々のお墓がこの近くにあるんですよ』


 ……だから《最後はお墓で会おうね》って約束してたのに。

 母ったら、ハロウィンの時にこっちに来ちゃってたんだわ。きっと。


(2008-20210126)

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