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R_B < Part 4 (4/7) >


「おぅ、聞いたぜ」


 翌朝、顔を合わせるなり白群が口を開いた。


「腕一本で操縦か。面白いな、あんた」

「殆ど俺の我が儘だがな」

「上等だ」


 そう言って仁の頭をぐしゃぐしゃとかき回す。


「我が儘でも何でも良いさ。こんなの、今まで誰も言わなかったし」

「いい加減止めろ、コラ」


 流石に鬱陶しくなった手を乱暴に振り払い睨み付ける……だが、そこにあった白群の眼差しに仁は黙り込んだ。


「実際、俺も今回初めて考えた。もし俺があんたみたいな状態になったら、と」

「……」


 何も返せない。戦後7年以上が経過したとは言え、白群でさえ……いや、彼だからこそ胸を抉られるような思いに襲われる事があるのが当たり前だろう。


「ビャク……アンタだって自分しか知らねぇ苦労があるだろ」


 後悔、慟哭、そして……懺悔。


「そんな事言うなら、誰だって苦労してるさ」


 白群が、一つ大きく息をついた。


「所詮、当事者しか分からん。仕方無ぇよ」

「まあな」


 暫しの沈黙。白群は天を仰いだ。


「……これ迄にも、やむなくパイロットをリタイアした奴等が少なからずいる。あんたの話が具体化すれば、何人かは復帰の可能性が出て来る。あいつらの浮かれる顔が見たいもんだ」

「なら、檜皮に頑張ってもらわねぇと。試作機が出来るかどうかは彼次第だ」

「作れりゃ檜皮も上司冥利に尽きるだろうよ」


 互いにニヤリと笑う。


「さて、準備に入るか」

「おう。アンタの真髄を見せてもらうぜ」

「一日じっくりやってやる。へばるなよ?」


 軽口をたたき合いながら、二人は格納庫へと歩き出した。


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 練習機の前で訓練内容を確認しあっていた鳶と浅葱は、右後方から響いてきたエンジン音に振り向いた。


「始まりましたね」


 そのまま、飛び立つブルーの機体を見送る……と、浅葱が『あれ?』と首を傾げた。


「テイクオフのパターンが、いつもと違っていたんです」


 どうしたかと問えば、そんな答えが返ってくる。


「気合いが入ってますからね、白群も」

「これまでも、指導官とはよく飛ばれてますが」

「全マヌーバ解禁だそうです」

「はあ……成る程」


 今ひとつピンと来ていないようだが、まあ良いかと鳶は更なる説明を避けた。浅葱が“それ”を感じ取れるようになるのは、もう少し先だ。


「あの様子だと、明日は相当ハードになりますよ。頑張りましょう」

「あ、はい。よろしくお願いします!」


 鳶に敬礼して一足先に練習機へと走り去る浅葱の背を見送る。その視界の端を白群の機体が掠めた。

 ……昨日の、仁との会話を思い出す。


[悲愴ぶる気はこれっぽっちも無ぇが……俺も必死なんだろうとは思う]


 檜皮のもとを辞してから、彼は半分独り言のように話し出した。


[俺はついこの間まで戦争の直中にいたし、ビャクも常に極限に挑みながら戦火をくぐり抜けてきた。俺達には“攻める意識”みたいなモンが根っから染み付いてる。
 対して他のヤツらは、本格的にパイロットとして活動し始めたのが終戦後だ。基礎から系統立てて教え込まれているから、質のバラつきは確かに少ねぇ。だが正直、どこか面白味に欠ける……俺はそう思っちまうんだ]


 大戦を生き延びたという点では鳶も同類だ。言わんとする事は解る。


[単なる世代の違いではありませんよね]

[世代って言うより、時代だな。無駄な殺し合いが無ぇのは有難いが、環境があまりにも違いすぎる……このズレは本当に、どうしようもねぇ]


 浅葱の熱意と必死さは嘘ではない。だが根本が違いすぎて、仁とは比較のしようも無い。


[そうしたギャップは自分もよく感じました。この7年でようやく馴染めたと思っています]

[それだけの時間は必要さ]


 檜皮も白群も、当初は相当戸惑っただろう。しかしSSが出来た事でつぶさに敗戦後の経過を見つめ、新しい時代に馴染もうと努め、己を納得させてきた。

 だが、仁にはその時間が一切無かった。それでも与えられた責務を果たすべく日々の任務に邁進している。
 類稀な彼の精神力。普通なら心の均衡を崩してもおかしくない状況……。


[何だ?]


 振り向きざまに問われた。こちらの思考を読んだかのようなタイミング。


[……貴方はタイムリープしてここへ“来てしまいました”。白群や自分のような時間的猶予も与えられずに]


 仁は何も言わない。続けろと目で促す。


[自分などには想像出来ないストレスもあると思います。それでも貴方は前へ進み続ける。その強さの源は何だろうかと、考えていました]

[強さ……か]


 鳶の言葉を噛みしめるように、彼は暫く黙り込んだ。
 それから、ぽつりとひと言。


[……強くなんかねぇよ、俺は]


 その言葉に、鳶は底無しの孤独を感じ取る……だがそれも一瞬の事だった。


[補佐がアンタじゃなかったら、こうは行かなかっただろう……それと、俺には目標がある。だから頑張っていられる、それだけだ]

[……それを、お伺いしても?]

[31のヤツらと再会する事だ。いつになろうが、俺は待つ]


 微かに、だが明らかに仁の瞳が力強い輝きを放つ。
 鳶の肌が粟立った……この瞬間に感じた物を、なんと説明すれば良いのだろう。


[再会、ですか]

[そうだ。芥が、その目標をくれた]


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(山吹 芥、か)


 浅葱と仁が乗った訓練機が着陸態勢に入る。それを見守りながら、鳶は心中で独りごちた。

 異世界から跳んできたという人物が仁に与えた影響は多大だった……彼の生き方を大きく変えるほどに。


[芥は、元の世界に還る事を諦めちゃいなかった。全く方法なんざ解らねぇ、しかも戦時中のゴタゴタの中でも、だ。
 そんなアイツの影響で、俺も敬がどこか別の世界で生き延びてるのかもしれねぇと思うようになった……その時は100%信じてたワケじゃねぇがな。ところが俺までこうしてタイムリープしちまったんだ。
 こうなったらもう信じるしか無ぇだろ。俺がするべきなのは、皆を信じて待つ事だ。その為にも俺は生なきゃなんねぇ]


 それが、檜皮の要請を受諾した理由……ここで生きていく為に。


[だからって適当に済ませるつもりは無ぇよ。自分に出来る最大限の貢献をする覚悟だ]

(こんな訓練を見せられたら、嫌でも解りますって)


 彼はSSに留まるつもりは無い。だからこそ、己の全てをつぎ込んでいる。

 ……鳶の視線の先で訓練機が一際大きなエンジン音を響かせ、急制動がかかった。


「さて、浅葱の反応が見物だな」


 隣で同じく様子を見守っていた白群がそう言って笑う。


「荒療治にも程があります」


 それだけ返すと、鳶は停止した機体に向かって走り出した……たった一度だが、飛行中に仁はとんでもない事をやっていた。その影響を確かめねばならない。


「お疲れ様です。大丈夫ですか」


 先ずは後部シートのキャノピーを開け、仁に声をかけた。ヘルメットを外した彼の様子はいつもと全く変わらない。


「ああ。俺は良いから浅葱を見てやってくれ。かなりショックだったらしくてな」

「そりゃそうでしょう。あんなの、誰だって肝を冷やしますよ」


 急上昇から背面飛行の過程で、いきなり機体が予定外の錐揉降下をした。見ていたメンバーの中からも墜落かと叫び声が上がり、白群ですら一瞬身を固くした。

 だが鳶は気づいた。仁は乱気流の発生を察知し、そこへわざと機体を突っ込ませたのだ……あのような芸当は彼にしか出来ない。

 鳶は前部シート側へ移るとキャノピーを開けた。
 浅葱は微動だにしない……いや、よく見れば、全身が細かく震えている。


「……浅葱」


 静かに声を掛ければ両腕がゆっくりと動き始めた。漸くヘルメットを脱いだところで、再度声を掛けながら肩を軽く叩いてみる。


「大丈夫ですか?浅葱……」


 彼はビクッと体を震わせ、声の方へ顔を向ける。
 そこに鳶の姿を認めると、彼の腕を鷲掴みにして叫んだ。


「凄い……凄いです!補佐官!なぜあんな事が!」」


 声が上擦った。興奮状態だ。


「レーダーには映っていなかったんです、でも、指導官は……!」

「おー。やっと気付いたか?」


 白群が、鳶の後ろからひょいと顔を覗かせる。


「リーダー……」


 自分の顔を見て幾らか冷静さを取り戻した浅葱の頭をぐしゃぐしゃと撫でながら、白群は簡潔に説明してやった。


「スゲーだろ? “これ”が、こいつの本領だ」


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 興奮冷めやらぬ浅葱とその周りに群がるメンバーは白群に任せ、仁は鳶と共に再び訓練機で離陸した。


〈そう言や、一緒に飛ぶのはこれが初めてか?〉

〈そうですね。やはり白群との波長合わせが最優先でしたから〉

〈ああ。お陰でかなり感じ取れるようになったからな……海に向かってくれ〉

〈了解〉


 即座に鳶は旋回し、機首を海へと向けた。


(……成る程、似てる)


 ターン動作の一連の動きに、仁は密かに唸った。荒削りではあるが、妙に自分の感覚とシンクロする。


〈浅葱はどうでしたか〉


 自動操縦に切り替え、手が空いたところで鳶が尋ねてきた。


〈No.2なだけはある。基本はパーフェクトだし、メカの扱いも申し分無ぇ〉

〈そこで“あれ”ですか〉

〈そうだ〉


 急降下の件だ。


〈何とか行けるだろうとは思った。操縦桿は連動にしてたしな。あれであとコンマ数秒遅かったら手を出してたが、結局は触らず終いだ〉

〈指示は?〉

〈一度だけ。思ったよりも冷静に対処出来てたからな〉


 これは高い評価だ……当の本人は、それどころではなかったようだが。


〈では、あの動作は全て彼のものだったと〉

〈そうだ。あれならいずれVIP警護も行ける。アイツがその役を持てるようになればビャクの負担が減る。後は……そうだな、木欄あたりが伸びてくりゃ面白ぇか〉


 彼はSSに留まらない。だから今の内から……。


〈鳶〉


 すかさず声がかかった。


〈あ、はい〉

〈年単位で先の話だ。急かしてるワケじゃねぇ〉

〈……はい〉


 気持ちを切り替え、顔を上げる。視界に広がる海が眩しい。

 ……彼は、この海岸で発見されたと言っていた。


〈まだまだ苦労かけるがな〉

〈いえ。自分も努力します〉


 そう、今は目の前の事に全力を尽くす。それだけだ。


〈よし、そうしたら180°ターン。そこから先程のマヌーバを〉

〈了解〉


 即座に操作に入る。傾き始めた陽を受けて黄金色に輝き出した海を背に、機体は滑らかな動きで急上昇に入った。


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 翌日から5日間、仁はメンバーにマンツーマンでの現場指導を行った。
 訓練機に同乗し、文字通り体で個々の特性と問題点を改めて把握する。現場指導は1日に2人……それでも時間は足りないが、当面に必要な情報を得るのが先決だ。
 本人と白群を交えたミーティングには鳶をオブザーバーとして同席させ、意見の偏りや誤解が生じないように配慮した。

 現場指導が終われば、翌日から直ちに3晩連続の夜間訓練だ。だが……。


「本当に大丈夫ですか?」


 夜間訓練の初日が終了し解散となったところで遂に耐え切れず、鳶は仁の体調を気遣う言葉を発した。


「大丈夫だ。他のヤツらだって問題無ぇだろ」

「彼らは適宜に休憩を取れています。貴方はこの1週間、碌に休んでもいない」

「睡眠は取ってる。コレが済んだらゆっくりさせてもらうさ」

「ですが……」

「言うな」


 他に聞こえない程に小さな声で、しかしこれ以上にない程の厳しさで、仁が鳶を咎める。


「蒼が後ろにいる。迂闊に話すんじゃねぇ」


 脚に相当の負担がかかっている……それは彼自身が一番解っていた。
 疲労は弱っている部分を容赦なく攻撃してくる。痺れが増強し、気を抜くと脚を引き摺りそうになる。

 鳶には気付かれていると思っていたが、他のメンバーに知られたくはない。


「申し訳ありません」


 白群に一声掛け、2人は先にミーティングルームを出た。


「……あと2日だ。それで第1段階は完了する」


 周囲に誰も居ないのを確認して、仁が話を再開させる。


「心配は分かるが、これもリハビリだと思っといてくれ。アイツらに今、余計な気兼ねをさせるワケにゃいかねぇんだ。訓練には全力で取り組んでもらわねぇと」

「確かにそうですが、既にかなりの無理が……」

「だとしても、こればっかりは脇で眺めてたら意味が無ぇ」


 皆まで言わせず、切り返した。彼がこうなると、最早とりつく島もない。


「……あまりご自身を過信されないように」


 軽く溜息をつき、鳶はそれだけ言った。彼の体調を本気で心配しているが故の言葉だ、それは分かっている。


「ああ。これが済めばビャクが暫く中心になるから、そこで2・3日休ませてもらう」

「是非そうして下さい。後で自分が手配しておきます。ちょうど檜皮にも呼ばれていますので依頼を出します」

「任せる」


 話しながら2人は管理棟に向かった。鳶は仁を気遣い、半歩前を行く。深夜の静寂が通路を支配し、彼らの足音と仁の杖の音だけが響いた。

 程なくして渡り廊下に差し掛かる……と、鳶がこちらへ早足に向かってくる人影を認め、立ち止まった。


「珍しいですね、こんな時間に」


 渡り廊下は建物内の通路よりは格段に狭く、照明も暗いので直ぐに人物の特定が出来ない。帽子も被っていれば尚更だ……だが、着ているのは設備管理部門の作業服だった。


「今夜中に直さなきゃなんねぇトコでもあるんだろ」


 確かにその人物の腕には、小振りの工具箱。現場に急ぐところかもしれない。


「待っといてやろう」


 渡り廊下の手前で2人は壁際に寄り、彼に道を譲る。相手は近づいたところで帽子を取り、目礼の仕草を見せながらも急ぎ足で彼らの横を通り過ぎた……その瞬間。


(なに……!?)


 相手からの強烈な気配……殺気だ。

 狙いは彼しか無い。


「……常磐!」


 背後からの不意打ち。鳶のガードが遅れる。
 仁は身を躱そうとしたが、痺れた脚が枷となり意思に身体がついていかない。


(……畜生!)


 咄嗟に杖で防御するが、相手はそれを掻い潜り体当たりしてきた。


「……っ!」


 杖が吹き飛び、仁は壁に叩き付けられる。
 同時に左肩に走る激痛。


「貴様っ!」


 鳶が相手にタックルをかけ引き剥がす。反動で仁はその場に倒れ込んだ。
 その肩には大型のナイフが深々と突き刺さっている。


「鳶……」


 目の前で、鳶と男が揉み合いになった。加勢したくとも身体が動かない。
 仁は歯噛みする……そこへ唐突に銃声が響き、相手はギャッと喚いて自分の大腿を抱え転げ回った。
 すかさず鳶が体勢を立て直し、相手を後ろから羽交い締めにする。


「常磐!鳶!」


 続いて2人の名を呼ぶ声と駆け寄ってくる足音。


「……ビャク!」

「大丈夫か、鳶」


 彼が組み敷いている相手に銃口を向けたまま、白群が声を掛けた。


「自分は大丈夫です。それよりも常磐が、刺されて……」


 全てを聞き終える前に彼は仁の状態の確認に入った。上体を抱えて起こし、壁に凭せかけるようにして座らせる。ナイフは敢えて残した。


「側頭部も打ったな、血が出てる。そのまま動くなよ」

「ああ」


 軽傷とは言えないが、命に別状は無い。ホッと息を吐くと、白群は改めて彼を襲った男に向き直った。

 そこで、鳶の表情が強張っている事に気付く。


「どうした、鳶」


 白群が相手を縛り上げながら問えば、鳶は抑えつけていた腕をゆっくり離し、ポツリと答えた……悔恨の色を滲ませて。


「饗庭です。この男、情報部所属だった……」

「情報部……海軍のか?」


 聞いた白群は眉を顰めた。


「それは後で聞こう。先ずは応援を呼んでくる。もう暫くこいつを抑えて……」

「手前ぇ、蘇芳!この野郎!!」


 2人の話を遮って罵声が響いた。止めを刺せなかった悔しさからだろうか、男が歯を剥き出しにして喚き散らす。


「この悪魔め!お前等のせいで負けたんだ、この国は!!お前が大尉を殺してあの情報を売ったりしなけりゃな!31なんざ国賊だ!くたばりやがれ、畜生!!」

「なに……」


 仁の頬が引き攣った……記憶が一気に蘇る。


[芥がヤバい、黄丹が何か手を下したかもしれねーって]


 あの時……統が血相を変えてやって来た。


[誠が救出に行ったけど、早く追いかけねーとマズイ。芥を助けてここを出るってアイツが言った。俺も賛成した。だから……すぐ来てくれ、仁!]


 芥の身が危険に曝された事だけは理解したが、実際に何があったのか……それは今でも分からないまま。
 だが統を追って黄丹の部屋に入った時、彼は右肩を撃たれ、誠は黄丹に殺られる寸前だった。


(もう、止めてくれ……!)


 思った時には彼の頭を撃ち抜いていた。
 後悔は無い。それよりも、これ以上誰も失いたくなかった……その思いだけが頭を占めていた、あの時。

 自分が潔白だと言う気など毛頭無い。
 だがここまで来てなぜ、仲間が貶められなければならないのか。


「……何て言いやがった?」


 仁の影が動いた。ず、と這いずるようにして饗庭に近寄る。
 先程己に向けられたものとは比べ物にならない程の殺気を放ちながら。


「常磐……」


 鬼気迫る姿に、鳶だけではなく白群すらも言葉を失った。今まで耳にした事の無い程に低く唸る、猛獣のようなその声音。饗庭でさえも彼の本気を嗅ぎ取り、一気に顔から血の気が失せる。


「何だ、っつってんだよテメェ」

「……」


 饗庭は声も無い。今しがたの勢いは完全にどこかへ吹き飛んでいた。
 確実に近づく、彼の姿。視線。見えない糸に拘束されたように、饗庭は全く動けない。


「おい……聞こえねぇのか、ああ?」


 仁の瞳が狂気を帯びる。


「もう一度言えってんだ……この野郎がっ!!」


 闇を揺るがす怒声に、白群が先に我に返った。


「仁、よせっ!」


 彼の行動を察知した白群が叫ぶ。鳶は動けない……その目前で仁は刺さっていたナイフを一気に引き抜いた。
 刃先はそのまま弧を描いて饗庭の喉元を狙う。


「ひっ……」


 ナイフが床に刺さる音を耳元で聞き、彼は悲鳴すらまともにあげられずに失神した。漸く自分を取り戻した鳶が、急いで確認する……ナイフは饗庭の首の皮一枚を切り裂き、床に突き立っていた。


(何て、事だ……)


「鳶、立て!医療班を即刻連れて来い!出血が酷い!」

「あ……はい!」


 白群の叱咤を受け、鳶は弾かれたように立ち上がり医療棟に向かって走り出す。


「おい!しっかりしろ、仁!」


 白群が止血を試みるが血は容赦なく流れ、仁の顔から急速に色が失われていく。
 怒りの波動が消えた瞳は、今は虚ろに澱んでいた。


「け、い……」


 無意識の内に弟の名を呟く……そのまま、仁は気を失った。


>>>Part 4 (5/7)


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