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R_B < Part 6 (3/9) >


 陽が傾いてきた。
 窓から差し込む光が誠を起こさないようにと、敬はカーテンに手を掛ける。

 そこへノックの音がした。


「失礼します。桑染さんの点滴、交換します」


 振り返れば、自分よりも余裕で上背のある看護師が入り口にいた。


「お願いします」


 言葉を返す。
 夕陽に照らされた彼の姿に、看護師の動きが一瞬止まった。


「何か?」

「あ……いえ」


 少しきまりが悪そうな素振りを見せたが、すぐに『失礼しました』と詫びて名を名乗り、本来の業務に戻る。医療従事者としての分は弁えている。


「山吹って人、俺とそんなに似てます?」


 だから聞いても良いかと思った。自分の姿を見て狼狽える理由は他に無い。


「そうですね、確かに」


 点滴を繋ぎ替える水柿の横顔が、笑みを形取った。


「僕自身は数回姿を見かけた程度なんですが、それでも良く似ておられると思います。背格好も同じくらいで、だから余計にそう感じるのかもしれません」

「直接話をした事は」

「まあ、挨拶くらいですね」

「どんな人です?水柿さんから見て」

「そうですね、僕的には“穏やかな人”と言う印象です」

「へぇ……」


 誠も同じような事を言っていた。本当にパッと見では分からないのかもしれない……口さえ開かなければ。


[……容姿は仁よりもお前の方がよく似ている。相当しぶといし、負けん気の強さはお前以上だろう。俺達のような能力は無くても妙に勘が鋭い部分があって、何度も冷や冷やさせられたな。良くも悪くも]

[お前に冷や汗をかかせるたぁ、なかなかのヤツだな]

[あと、彼のほうが何倍も品が良くて]

[るせぇ。俺だって上品な振る舞いくらい出来らぁ]


「……終わりました。点滴は夜にもう一度交換します」


 処置を終えた水柿が、改めて敬に声をかけた。


「ありがとう」

「夕食はあと30分ほどで来ますが、桑染さんは無理に起こさなくても」

「分かりました。目が覚めてからにします」

「あと、汐さんのベッド、その位置で良いですか?移動しづらいとかは……」

「大丈夫です。色々と配慮してもらって助かります」

「お安い御用ですよ。では」


 赭と同じ言葉を残して、彼は部屋を出て行った。


「至れり尽くせりだなー」


 ふぅと一息ついて、誠の様子を確かめる。呼吸は落ち着いている、よく眠れているようだ……と、その目から涙がひとしずく、零れた。

 目尻から流れ落ちる涙が、敬の記憶を呼び起こす。


[押さえ込まれた時、誠が言ったんだ……『すまない』と]

「……」


 気づけば己の左肩に触れていた。
 皆が31の鎖に繋がれたあの日の涙は、悔恨と絶望……。


「……ホント、生きてて良かったぜ」


 彼へとも自分自身へともつかぬ言葉を、そっと呟く。


[お前が潜入前に『死なない』と言ってくれた……あの言葉があったから、俺は今までの時間を耐えられた。結果的に、お前の先読みは的中していたんだと思う。
 その上、お前ともこうして再会出来た……感謝している]


 再び彼の話を思い返し……どうも納得の行かない点が残った。


「良かったけど……やっぱ当たって無かったんじゃねぇの?俺の読み」


 “あの”先読みでは、作戦の結果が全く視えなかった。確かだったのは、誠が重傷を負いながらも、無事に生き存らえる事。
 『作戦後も彼は生きている』と言うヴィジョンだけで、敬は潜入任務が成功すると“予測”した。当時は報告を急かされ仕方なかったとは言え、それでもあまりに楽観的で無謀な判断だったと、今なら分かる。


「検証……やってみるか」


 時間は有り余っている。“過去”を振り返るには良い機会かもしれない……以前の先読みを再トレースした事など一度も無いが。


(まあ良いか、失敗して困るワケでも無ぇし……データ読み出しあたりのイメージで行きゃぁ、何か分かるかもな)


 物は試しと、敬は早速行動に移した。
 先読みと同じ手順で己の無意識へダイブすると、湖の最深から小舟を引き揚げるように、当時の先読みイメージの再現を試みる。

 ……あの国へ入り、作戦を開始する。2人で目的地へ向かい……イメージが一旦ブラックアウトした後に、負傷した誠がベッドに横たわる姿が少し遠目に見えた。
 重傷を負った彼は点滴を3種類を一気にやられ、そこかしこに包帯を巻かれている。左の頬にはガーゼ。爆風でも受けたのか、金髪は一部が熱にやられ、両脚も歩ける状態ではない……。


「おい待て」


 思わず声が出た。目を開ければ、静かな寝息を立てている彼の姿が、たった今視たイメージと寸分の違いなく重なる。

 ……確か、内乱の現場から脱出した時は脇腹を撃たれたと言っていた。少なくとも脚のダメージは深刻ではなかった筈だ。そうでなければ徒歩で逃げ延びる事など叶わなかっただろう。


(……そー言う事か)


 これで分かった。
 やはり自分はあの時、作戦の結果など全く読めていなかったのだ。作戦途中で自分が異世界へ跳んでしまったのが原因だろう。つまり、時間軸の違う世界は読めないと言う事になる。
 そして、ブラックアウト後のヴィジョンは“この世界へ跳んで来た彼”だ。何故なら自分もこの世界に居て、同じ時間軸上に存在しているから……。


「一応スジは通る気もするけど、ややこしいな。読みと結果、どっちが先に存在してたんだか分かんなくなるぜ……相変わらず中途半端な能力だなー」


 自分で自分に呆れ、頭を掻いて苦笑いする。
 だが敬は同時に、微かな期待も抱き始めていた。あの時の先読みが、元から“戦果” ではなく “仲間の消息”を視た結果だとしたら……。


「……なら、もっと他の使い方も出来るんじゃねぇの?折角なら戦果予測なんて事以外に使えるようになりてぇや」


--------------


 夜も21時を回った頃、小振りの袋を片手に持って赭が再びやって来た。


「ああ、起きられてますね。調子はどうですか?」

「眠る度に楽になっている気がします」


 ちょうど食事を終えた誠が返事をした。声に活気が戻りつつある。


「やはり寝られるのが一番ですね。昼間より顔色も良いですし。敬君は?」

「大丈夫です。痛みも少しずつ引いてます」

「うん、2人とも順調ですね。そうしたら今、少しお時間を頂いても?」

「はい」

「どうぞ」


 2人の承諾を得てソファに腰を降ろすと、赭は早速持ってきた袋から冊子を取り出した。敬がそれを覗き込む。


「それは、アルバム?」

「はい。芥君の写真があったので持って来ました。ご覧になりますか」

「え、写真!?」

「……撮ってたんですか」


 異世界の人物が存在した証拠が残っているのも、何だか不思議な気がする。2人に驚きと戸惑いの表情が浮かんだ。


「ええ……これですね。私のラボで撮った集合写真です」


 一方の赭はあくまでもマイペース。付箋を付けていたページを広げて、アルバムを敬に手渡した。


「やべ……マジで激似じゃねぇか」


 敬はうーんと唸った。
 件の人物がどこに写っているかは聞くまでもない、それ程によく似ている……強いて言えばやはり、彼の笑顔の方が上品か。


(“上”が慌てるワケだぜ)


 黄丹はさておき、上層部は相当肝を冷やしただろう。誠のフォローがあっての事だろうが、それでもよく抹殺されずに済んだものだ。
 敬は再びうーんと小さく唸り、アルバムを誠に渡した。


「……そうですね、彼です」


 誠も直ぐに芥を見つけ、目を細める。


「とても穏和な表情になっています。此処で良い時間を過ごしたんですね」

「嬉しい言葉です。ありがとう」


 赭が顔をほころばせる。そして手を伸ばしアルバムを数枚捲った。


「それで、こちらが昼に少しお話した、木賊 扇という少年です」

「ああ、例の……」


 今回、墜落現場から芥と同様に姿を消した、難病を患っていたと言う少年だ。
 赭が指差した写真を誠が眺める。その横から敬も待ちきれずに覗き込み、一気に盛り上がる。


「凄いですね!こりゃ、どう見ても兄弟だ」

「そうでしょう?最初は扇のお兄さんが来たと、ラボでも話題になったものです」

「これは、本当に兄弟としか……」


 そこで誠の言葉が突然、途切れた。


「……誠?」


 異常を感じた敬が振り向くと、誠がアルバムを凝視したまま硬直していた……いや、目の焦点が合っていない。

 意識が飛んでいる。


「おい、誠!」

「ひとまず横にしましょう」


 赭も異変に気付き、直ちにベッドをリクライニングさせた。
 手早く状態を確認する……ややあって彼はホッと息を吐いた。表情が緩む。


「呼吸、脈、血圧と全て正常です、安心して下さい。これは身体の異常ではなく、他の要因のような気がします。何か心当たりはありませんか?」


 フィジカル面ではないならば、後は一つしか無いだろう。


「それだったら、トランス状態に入っちまったんじゃないかと思います」

「成る程。これまでに同じような事は?」

「いや、少なくとも俺はコイツがこんな状態になったのを見るのは初めてで……」


 寧ろ彼は、相手をトランス状態に入れるプロだ。外からの暗示を跳ね返す技術だって持っている。そんな彼が何故この場で、いきなりこうなったのか……理由が分からない。


「恐らく自然に目が覚めるまで待っても大丈夫でしょうけど……やはり、早目に戻って来て貰いたいところですね」


 ふむと頷くと、赭は敬にニッコリと笑いかけた。


「敬君、“解除”してもらえますか」

「は……解除?」

「ええ」

「この状態を?」

「勿論です。実は、君達がこうした方面に明るいと言う事は芥君からお聞きしていまして」

「ちょ……ちょっと待って下さい。そんな詳しいワケじゃないです。そもそも俺は解除の方法は知らなくて、暗示とか解除とかはコイツの方が得意で……」

「でも、彼の活躍を誰よりも近くで見てきたのは、君ですよね?」


 含みのある物言い。冷静さを取り戻した敬の右目が、すっと細くなった。


「……そう言う先生こそ、他にも何か知っているのでは?」


 言葉には、微かな警戒心と猜疑心。だが赭は寂しそうに笑って首を横に振った。


「残念ながら、私はこの件に関しては無力です。世界が違います」

「世界、ねぇ……」


 専門外と言う事か、それとも言葉通りの意味か。


「……俺が出来るのは、先読みって言うのだけなんですが」

「充分役に立つのでは?何をどのように読むか。使い方次第でしょう。君なら出来る筈です」


 その言葉に、敬はふと閃いた。


(そうか……これも“他の使い方”を試すチャンスだと思えば……)


 自分は夕刻、ベッドに横たわる誠の姿を見ながら、この力を今までと違う事に活かしたいと望んだ。

 それならば、やるべきだ。


「分かりました」


 腹を決めた。次は手順をどう変えたら効果を出せるか、だ……戦果を読む方法と同じでは無理だと言う事くらいは分かる。


(そういや今、『何をどのように読むか』って言ってたよな……もしかして“式”の組み替えとか……出来るか?)


 軍での先読みは“プロセス”をインプットして“未来の結果”を読むものだったのに対し、今すべき事は“あるべき未来”から遡って“プロセス”を読むと言う、全く逆の方向だ。
 方程式としては単純極まりないが……さて、どうアプローチするか。


「……試してみます」


 赭にそれだけ言うと、敬は姿勢と呼吸を整えた。先読みに入るための指の動きは変えない。これは集中するための儀式のようなものだ。
 最も注意を払うべきは、イメージングの切り替え作業だろう。先ずは誠のトランス状態が解除されると言う“結果=未来”を出発点に、“現在”まで時間を巻き戻すイメージを作って読みに入る。


(よし、やってみるか)


 一気に集中し、ヴィジョンの奔流にダイブする。彼の意識を戻すために自分が為すべき事を探していく……。

 ……1分ほどで敬は目をパチリと開け、天を仰いだ。


(ソレかぁー……)


 視えたものは、随分前に知識として教えてもらったものの、結局一度も使っていない術。しかし今、自分が彼にしてやれるのはこれしか無いらしい。


「……しゃーないな。イチかバチか、だ」


 グズグズしていても埒は開かない。
 小さく呟くと、敬はすぐさま準備に入った。


--------------


 誠の瞳が本来の光を取り戻し、笑みを象る。
 ほぅ、と敬は息をついた。うろ覚えのぶっつけ本番だったが、ひとまず正解だったらしい。


「気分はいかがですか?」

「大丈夫です。痛みもありませんし……寧ろ、心地良い感じがしてます」


 赭の問いかけにも淀みなく応える。大丈夫だと分かったところで、敬は彼に確認してみた。


「聞こえたか?」

「ああ。2度目からはハッキリと。逆暗示、よく覚えてたな」


 “逆暗示”は、元とは逆の暗示を上から重ねてかける事で本来の暗示を“弾き飛ばす”方法であり、“解除”とは全く異なる手段だ。
 パターンは複数ある。以前誠から聞いたのは“聴覚から入り込む方法”だった。
 そしてまさに先程の読みで視えたのが、彼にその逆暗示をかけている自分の姿だったのだ。

 彼が自らトランス状態に入ったのでない限り、外部から何らかの働きかけ……催眠暗示やそれに近いもの……があった筈。そう考えれば、逆暗示のヴィジョンが視えたのも納得だ。


「あれは応用の幅が広い。キーワードの選定方法も教えておいて良かった」

「何でも知っといて損は無ぇな。実践は初めてだったけど」

「お前の記憶力と度胸に感謝しておく」

「そりゃどーも」


 あー良かったと笑って赭にピースサインをすれば、赭は賞賛の拍手で応じる。


「お見事です。素晴らしい能力ですね、先読みも逆暗示も」

「先生のヒントのお陰です。こういう使い方をしたのは本当に初めてで」

「おや、私が何か言いましたか?」


 赭がキョトンとした表情を見せる。とぼけている訳でも無いらしいが……。


「先生、しっかりして下さいよ。さっき俺に言ったじゃないですか、『何をどのように読むか、使い方次第だ』って」


 敬がそこまで言ったところで、彼は『ああ、成る程』と笑った。


「扇のリードが入りましたね。“使い方次第”と言うのは彼がよく言っていた言葉なんです。研究に行き詰まった時、私も何度も救われています」

「……本当に覚えてないんですか?」

「その前後はしっかり覚えていますよ。その一瞬だけ、彼が“入った”んでしょう」

「そんなサラッと言われても。そもそも彼は消息不明だって……」

「……確かに、居たのかもしれない」


 2人の会話に誠が割って入る。敬はギョッとして彼の方に振り向いた。


「おいおい、お前までどうしたってんだ?」


 詰め寄る敬の眼前に、先程のアルバムが差し出される。扇が写っているページだ。


「これなんだが」

「これが、どうした?」

「この写真の彼と“目が合った”と感じた直後に意識が飛んだ……“居た”と言うのとは違うかもしれないが、確かに彼の存在を感じたんだ。残留思念とかの可能性は考えられないか?」

「お前の口から残留思念なんて言葉が出る日が来るたぁな」

「ここまで来たら、どんな超常現象があっても不思議じゃない」

「……そりゃま、そうだけどよ」


 “以前”の誠だったら絶対に認めなかったジャンルだ。敬は彼の変わりように密かに驚いた。


「扇の事ですから、君達へ何かメッセージを伝えたかったのでしょう」


 2人の会話がひと段落したところで赭が所見を述べれば、2人は揃って小さく肩を竦めた。


「どうやら、彼は相当不思議な能力を持っていたようですね。他にもエピソードがありそうですが?」

「ええ、実に不思議な少年でした。別の世界で何十年もの時を過ごしてきた、なんて事もありましたし」

「え?」

「それも、此処で意識不明に陥っていた半日ほどの間の話です」 

「意識不明……では、身体はずっと此処にあったんですか」

「そうです。意識だけで、別の世界へ跳んだと言ってましたね」

(意識だけ……)


 誠の中で何かが反応した。
 つい最近、自分もそれを感じたのではなかったか……。


「身体が置き去りなのに、どうやって別世界で生きてたんですか」

「本人が言うには、全く他人の身体に入り込んでしまったそうで」

「はぁ……」


 もう驚く事すら忘れてしまう。これに比べれば、暗示や先読みなんて子供のお遊びレベルだ。


「高次元の扉が開けば、案外簡単なのかもしれませんね。君達も時空を超えて再会している訳ですし」

「簡単だって言うなら“俺達の世界”で再会したかったぜ。トシもズレちまったし……こんな気紛れな扉じゃコッチの身が持たねぇ」

「まあそう言わずに」


 ボヤく敬を赭は笑って宥めた。


「単なる気紛れでもないでしょう。扇が芥君と会い、その後に君達が来てくれました。ここまでは、全て彼の“預言”通りに進んでいますので」

「は?」

「え……?」


 再び呆気に取られる2人に構わず、赭は言葉を続ける。


「そして君達は“いずれ元の世界へ還る”……これが、彼が私に遺してくれた最後の預言です。まだ方法までは分かりませんが、君達なら実現出来るでしょう」


 そう言って、彼は右手を差し出した。


「と言う事で、先ずは体をしっかり治して下さいね。後は時間の許す限り“この世界”を楽しんでいってもらえたらと思います。それまでどうぞ、よろしく」


>>>Part 6 (4/9)


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