LOMOってなんだよ

まえがき

 大変遅くなり申し訳ありません。いや、申し訳は……あります。気力が、出ていませんでした。気力あるある: ない。時間あるある: ない。お金あるある: ない。本稿は東京大学きらら同好会アドベントカレンダー 12月8日 分の記事です。

 LOMOってご存知ですか? きららの人ならどこかで見たことがあるかもしれませんね。爆優写真漫画ぎんしお少々関係で若鶏にこみ先生がツイートしていると思います。エッでもLOMOとかlomographyってあるけどなんなんだ? じつはLOMO、ソ連のカメラ工場だったんですねぇ~

ソ連のカメラ

 現在、カメラといえばスマホのいち機能に成り下がった画像記録装置と思われがちですが(実際FlickrでMost Popular BrandsとなっているのはAppleです まったくもって癪に障りますね)、日本が最も得意とする製品でもありました。日本製カメラは資本主義ならではの競争で磨きのかかった工作精度と品質の高さによって戦後世界の半分を席巻しました。特に戦前から戦後すぐまでのカメラ大国だったドイツですらカメラ産業が衰退していくことになります。東西両方でContaxディスコンしちゃった…..悲しいね……
 戦後世界の半分を席巻した日本カメラでしたが、もう半分へはイデオロギー的に立ち入ることがほとんどできませんでした。鉄のカーテンの向こう側、共産圏です。

 ここで、ソ連国内のカメラ事情についてお話することになります。ソ連の工業製品は国内各地にある「工場」がそれぞれ独自に設計製造したり、設計を共有したりしながら、国家に指示された量を生産し、各地の消費者に分配していくものでした。弛みきった西側の資本主義者風にいうなれば、国内にPENTAX, RICOH, Nikon, Canonのように「メーカー」があり、そこがそれぞれ製品を出しているようなものです。一部の製品に関しては生産効率化のために設計が共有されてそれを決められた数だけ生産するよう命令されたり、命名基準が統一されたりしていました。その生産数も西側とは比べ物にならないくらい多く、1機種でウン十万台と製造されるので、ソ連時代当時にどれだけ国内にいきわたったかはともかく、一部機種を除き現在ではほぼ無限にあるんではないかと思われるくらいには中古品、新品デッドストックがあります。
 ソ連国内には複数のカメラ、レンズ、光学機器工場が立地しています。その主なものがモスクワ近郊のクラスノゴルスクにあったKMZ、のちのZenit、リトカリノのLZOS、レニングラードのGOMZ、のちのLOMO、ウクライナはキエフのArsenalでした。HPを貼ってありますのでぜひ覗きに行ってあげてください。
 また命名基準に関しても、Юпитер-3, Гелиос-103, Индустар-69, Т-43 のように、レンズの構成と設計番号により決まっていました。そのため、同じГелиос-44でもValdai工場、後のJupiter optics製とLZOS製のものがいたりします。これはレンズに刻印された工場のマークから確認することができ、これがまたシンプルでかっこいいんですね。ちなみに、現在でもこの命名方式に則ったレンズがKMZで生産されており、それがГелиос 40-2 1,5/85です。85mmというまあまあの大きさに収まりそうな焦点距離のくせにずっしりと重く大きなレンズです。なお私は持っていません。いつか買いたいな……

そろそろLOMOの話するか

 LOMOの誕生はソヴィエトの誕生と時をほぼ同じくしています。当時は現在のように情報が氾濫していたわけでもなく、映像、映画は極めて珍しく、また情報としての力が強大でした。このため、ロシア帝国時代最末期に設立されていた工場を国有化し、映画用カメラから生産が始まりました。その後報道、民生用カメラ、各種軍事用/研究用光学機器(照準器や距離計、望遠鏡、顕微鏡など)を生産していくのでした。なかでも、世界初の35mm1眼レフカメラを開発し、望遠鏡では1986年のハレー彗星を最初に写真撮影した望遠鏡を製造、現在でも人工衛星に搭載する機器を製造するなど、これまでも現在もLOMOは世界有数の光学機器メーカーであり続けています。でも今ではカメラ事業から撤退しちゃった…………

 GOMZ/LOMOの製品のうち、カメラに関していえば、有名なものがいくつかあります。

 まず最初に特筆すべきは АЛМАЗ シリーズでしょう。これはLOMOの最末期に地元レニングラードの記者たちたっての要望から製造されたカメラでした。試作機的な立ち位置のАЛМАЗ-101, 102, 104と、量産機の-103がおり、前者は露出計付き、後者は露出計なしの一眼レフでした。かっこいいよね……
 当時の記者たちは東ドイツ、日本製のカメラを使っていましたが、ロシアも自国内でカメラ作ったほうがいいとしてLOMOに要望をだしました。しかし実際にできたものには目もくれず、全機種あわせても生産数1万台を超えませんでした。悲しいね……
 実は、私が所有するLZOS製超望遠ミラーレンズ 3M-5A-MC とほぼ同期にあたります。いつかLOMOのM42-K変換リングとАЛМАЗ-103を買ってつけてあげたいな……

 Ленинград はさきほどのАЛМАЗと同じようにプロ用の高級カメラとして、1956年から66年にかけて、GOMZがLOMOへと名称を変える時期に製造されました。ソヴィエト連邦が第二次大戦に勝利して復興を遂げ、同志フルシチョフの天才的指導により最も勢いづいていた時期です。この間にソ連は宇宙進出を成し遂げ、宇宙にもこのカメラを持ち出すことにもなります。基線長57mmはContaxコピーであるkiev-4のおよそ6割とちょっといただけませんが、本機にはそれを補って余りある魅力があります。
 それはゼンマイ巻き上げにより、がんばれば秒間3~4コマの連写が可能であること、ファインダー内に35~135mmまでの各焦点距離のフレームがあることです。この子がおそらく最も進化したL39マウントカメラであると私は信じています。コシナが21世紀に出したBESSA-Rでさえもゼンマイ自動巻き上げはありませんでした。でもBESSA-Rは露出計ある…… 同じくゼンマイ巻き上げのLOMO135あたりから巻き上げユニットぶんどって改造してみたいな……

↑Ленинградの動作がよくわかる動画です。L39マウントの分際でかなり主張が激しいタイプの子であるため、Юпитер-3なりCanonの50mmF1.2なりといった大口径レンズでもつけてあげないと気が済まなくなります。いいよね……ごついカメラにごついレンズ……

 СМЕНА-8Мはこれまでのプロ御用達カメラと違い、大衆向けの簡素なつくりのカメラです。どれくらい簡素かというとカメラというより シャッター付きのレンズがプラスチック箱についたやつ と形容したほうがわかりやすい存在です。レンズはトリプレット、ロシアではВолна Юпитер Индустарの下のランクに来るラインです。シャッターも巻き上げとチャージが連動せず、レバーを押し下げてチャージする、二眼レフからそのまま設計を持ってきたようなつくりです。しかしコイツは大真面目に作られた大衆向けカメラ。ピントも絞りもシャッタスピードも調整できますし、おまけに露出と距離指標までついています。レンズ付きフィルムたぁちがうんですよ。ゆえにちゃんと写真が撮れる。距離があってるか心配? でしたらば純正アクセサリー БЛИК 距離計を買えばもう安心です。個人的には正直西側の 写ルンです Kodakが最近出したハーフカメラ 昔の目測カメラ なんか買ってるよりこっちのほうが…… いや、これ以上立ち入らないようにしましょう。核戦争に勝者はいません。

 ところでСМЕНАはラテン文字転記するとSMENAになり、「すめな」と読めます。どこかで聞いたことありませんか? ぎんしお少々塩原家の飼い猫の名前は すめな。なるほど、つまり「そういうこと」なんですね。ちなみにまほろお姉さんがスズチャンと遭遇した際に使っていたカメラもまさにこのСМЕНА-8Мです。私はまほろお姉さんの青いすめはちをまだ魔境ebayでもみたことがないんですが…… なお、ネガを使ってればよほどの露出外しをやらかさない限りすめはちは「写り」ます。ひょっとしてまほろお姉さんポジぶち込んでる……!? あと、まほろお姉さんが家で自家現像自家焼き付けしてる概念が "降って" 来たんですが、これは書けという神の思し召し…….ですよね!?

 それでは最後にLOMOとlomographyの結節点、LC-Aの話をしましょう。いや、つかれた……
 LC-Aは日本のコンパクトカメラ コシナ CX-1 のコピーとして生産された、ごくありふれた西側コピー&改良製品でした。先述のすめはちは戦後すぐから脈々と続くСМЕНАシリーズの末席だったわけですが、こちらはコンパクトカメラのコピー。すめはちと比較すればトイカメラとして遊ばれる素地はこちらにこそあったのではないかとも思えてきます。

じゃあlomographyってなんだよ

 lomographyが出しているこの辺の記事が詳しいです(丸投げ)

 ソ連製品は長い間西側世界から隔離されてきました。いや、日本にもソ連製品はたしかに流入していましたし、クラシックカメラブーム、通貨危機の際にデッドストックが放出されたり、それ以前にも西ドイツの通販会社にカメラがOEMされていたこともありましたが、それは相対量としては小さなものでした。
 1990年代の東欧はついこの間まで共産圏だったこともあり、旅行者とソ連製品の距離が近かったのでした。そこでオーストリアの学生に "発見" され、西側世界へ発信され、愛されていまのlomographyに至ります。つまり、LOMOとlomographyは大して関係ない……どころか、下手したら文化盗用とも言われかねなかった経緯の上に成立していると感じています。しかし世界から愛されたことで芸術運動、会社としてのlomographyは存続しているんだと思います。愛はだいじ。愛は世界を救えないが、世界からの離脱を押しとどめてくれる。
 Don’t think, just shoot.
 このモットーにはものすごく共感しています。撮らないと、作らないと、現像しないと、焼き付けしないと、写真は上手くならないと思っています。

結局おまえは何が言いたいんだよ

 ソヴィエト・ロシアンカメラ沼は楽しいよ みんなも СвемаやORWOの長巻フィルムを買って、りっぱな共産カメラマンとしてこの優れた体制と思想を西側に余すことなく伝えよう!エッデジタルがいい? そうでしたらZenitが出しているZenit-Mなんてどうでしょう。中身はデジタルM型Leicaと言われていますがほぼ値段据え置き、おまけに35mmF1.0(!)の超大口径レンズがついてきますよ!道でLeica出しているカメラオタクに、へぇ、Leicaなんだ、とでも言いたげな目線を投げかけることもできます!たのしいね

……という冗談はさておき、日本がカメラ大国であったのと同時に、ソヴィエト連邦もまたカメラ大国でした。レンズは戦前のZeissコピー、命名法はシステマティックですが無機的で冷たいものではありません。カメラ自体も、別にダメダメというわけではなく、叩けばだいたいは治りますし、ちゃんと整備されれば他のメーカーとも渡り合える。ポジを任せたいかは……その子の機嫌によりますがね。
 カメラの世界広しとは言われますが、その世界を2倍以上に広げてくれるソヴィエト・ロシアンカメラ、皆様もいかがですか?

 さて、明日(?)のきらら同好会アドベントカレンダーの記事は K.汝水先生の「アインシュタイン方程式が導く『まちカドまぞく』の宇宙観」です。本日も明日もそのまた次の日も、きらら同好会アドベントカレンダーは更新されていきます。皆様ぜひ楽しみにしておきましょう。それでは、良いお年とコミケを。コミケといえば私は2日目土曜東V45bにて 幻像狂感光協会 として出展いたします。お越しの際はぜひよろしくお願いいたします。


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