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分かり合えない世界を言葉で繋げられるのか

本当に何気ない日常の会話の中で、100人が聞いたら99人がスルーしてしまう、なんでもない一言が、自分だけには矢のように刺さるという体験ってありませんか?

言った本人にとっては日常会話レベルのなんでもないはずの一言も、受け手に取ってはズキューンとくるような大切な一言になることがあります。

その一方で、言った本人に全く悪気がないけれど、受け手にとっては木のベンチに座った時に刺さる無数のトゲのように、やたらと突き刺さってくることもあるかもしれません。

この記事では、私がズキューンときた一言と、私だけに刺さるトゲの一言を紹介してみます。

正直なところ、自分だけ感じるトゲが刺さったためこの記事を書こうと思ったのですが、単なる愚痴のような記事は書きたくありません。

ですので、あえてズキューンときた大切な一言も紹介することで記事としてのバランスを取ります。

私がズキューンときた大切な一言

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好きの反対は無関心とはよく言ったもので、時には厳しくても、数年後の自分のためになる良いフィードバックをもらえた時は、ズキューンときます。

仕事でもプライベートでも未熟な私は、しょっちゅうやらかしてしまいます。そんな弱い自分と数十年共にしている私自身は、自己正当化のために意識的にせよ無意識的にせよ「これで良いんだ」と言い訳することがあります。

ありがたいことに、そういうフィードバックをくださる人間に囲まれていることは幸せなことです。(あれ、フィードバックもらってるのに結局やらかしてんのかい)

具体的な諸々を挙げることはしませんが、時には優しく、時には厳しい、そんな昭和のドラマにあるような関係性が私にとって理想なのかもしれません。

「人に頼っている」と言われればそれまでですが、そのありがたさがわかるため、反対にフィードバックを与える側の立場になることがあれば、はっきりと良いところは良い、悪いところは悪いと言える、そんな人間になりたいです。

私に刺さったトゲの一言

ベンチ

私に刺さるトゲは、基本的に私個人に対する発言ではなく、コミュニティへの偏見を感じさせる発言です。

一番直近で感じたのは、特定の職業を下に見た発言です。「職業に貴賎なし」と言う言葉が私の信念に近いです。

どの職業の人も、そのフィールドで他の業種の人が覗くことができない専門的な領域を持っています。私はその多様性こそが人間が生きている価値なのではないか、と考えています。

ただ最近、「他の職業に尊敬の念を抱く人々ばかりではない」と感じさせられることがありました。

言った本人にとっては通常運転の軽い発言だったはずですが、私はそう捉えず、その一瞬で「真に分かり合えないかもしれない」と、高い壁を感じてしまいました。

こういった深層心理に根差すトゲの発言は、議論とか会話でどうにかできるものではなく、理解し合うためには忍耐強い長い年月を必要とします。

そんな途方もない壁を、何気ない会話の中で感じてしまう自分の面倒くささにも若干嫌気が差すほどでした。

言葉の影響力

言葉には力があって、時には数式や論理よりも強く人間を動かすことがあります。

一生胸に刻みたくなる大切な一言をもらえることもあります。

一方で、どれだけ優れた論理やコミュニケーションをしていたとしても、たった一言が壁を生んでしまうことがあります。

私の世界観として、各個人がその人の中に唯一無二の世界を持っていて、表面上のコミュニケーションではそれを探ることはできないです。

どこまで行っても、他の人の世界を覗くことはできませんが、そこに必ず意味のある世界があるはずで、その事実こそは尊重すべきだと考えています。

「なんでその人がそう言うのか」と背景を考え、そこを理解しようとする姿勢を持つことで、少しずつ歩み寄れるのかもしれないです。

どんな人にも寄り添っていける、そんな人間に私はなりたい。

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