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今日の一曲 ♯1 小沢健二 天使たちのシーン

思い入れのある曲や好きな曲を徒然なるままに書いていきたいと思う。
このシリーズであれば5年くらいは連載出来そうだ。

さて、記念すべき1回目の今日の一曲は小沢健二の天使たちのシーン。
この曲が好きだという人がいたとしたら、もうそれだけでその人とは分かり合える友人や恋人にさえなれる気がする。
大学の友達以来、かれこれ20年はそんな人に実際に会ったことがないが、、。

1993年リリースの「犬は吠えるがキャラバンは進む」というアルバムの中の一曲。なんとこの曲13分半くらいある。
今のイントロやギターソロを飛ばす、という現代っ子からはATフィールド全開で弾き飛ばされそうな長尺曲だ。

オザケンを初めて意識して「良いかも!」と気づきを得たのは大学の軽音友達から教えられたというか、その友達がライブの合間のSEとして流していたのが最初だったと記憶している。
大学入学当時の私はギターキッズにありがちな、ハードロックやメタルのテクニカル系にかなり傾倒していたのだか(今も好きだが)、その自分に色々な音楽を教えてくれて視野を広げてくれたのもその友達だ。

オザケンで言えば「LIFE」や「刹那」は聴き込んだし、大体歌詞を誦じることが出来るくらい染み付いていて大好きなのだが、それはまたいつの日か語りたいと思う。

天使たちのシーン。

淡々と、でも徐々に徐々に高揚感が上がっていく展開が堪らなくエモーショナルだ。
最後に転調はあるものの、基本的にずっと同じコード進行。それで13分と聞くと、一瞬身じろいでしまいそうなものだが、全くそんな長さを感じさせない魔法が確かにこの曲には封じ込められている。そして聴き終わる頃にはこの上ない多幸感が押し寄せてくる。

その魔法の肝は、やはり詞にある。
何千曲、何万曲と聞いてきたが、あくまで個人的なランキングとしてはこの詩が至高である。

天使たちのシーン、というタイトルの通り、どこか俯瞰して世界を見ている、切り取っている詩世界。
なんてことない風景、一瞬を切り取って描写しているだけなんだけど、なぜこんなに堪らなく世界が愛おしく感じられるのだろう。
この世界の真理、季節の移ろい、宇宙のメカニズムのようなものをサークル(輪)、繰り返される輪廻のような視点で切り取っている。
でも決して人ごとや自然という言葉で片付けられるものではなくて、どこか自分とリンクしている、自分もそのサークルの1つなんだとハッとさせられるし、すごく長い時間軸で自分も俯瞰して見れるような感覚になる。
自分が生きてきた道筋や、築いてきた人間関係(友人関係や恋人、家族)も気づけば大きなサークル(ここでは人の繋がり、和のようなもの)としてもリンクしてくる感覚に昇華されていく。

自分は幸いにもものすごく辛い苦しい人生を歩んできたわけでは無いし、どちらかと言えば恵まれている方の人生を歩んでこれたと思う。しかし、ずっと生きていると何かしら絶対に人は悩みや苦しみはあるし、当然自分にもそういった局面は何度もあった。

オザケンの曲には神様や天使、教会、ゴスペルといった、どこか西洋宗教を感じさせるワーディングが多く出てくる気がする。実際にオザケンがクリスチャンなのかどうかは知らないのだが、ただ私はそういった宗教的な意味合いでオザケンが言葉を使っているような気がしておらず、もっと大きな概念的な何かを指している気がしている。

実際、この天使たちのシーン、という曲もずばりタイトルで天使とか言ってるし、歌詞の最後の方には「神様」という言葉も出てくる。

「神様を信じる強さを僕に。生きることを諦めてしまわぬように。」

自分は無宗教だし、縁起ごと、祭事ごとにも無頓着な人間だ。家族で初詣に行ってもほとんど形だけでお賽銭を投げているような罰当たりもんである。
でも、そんな私でもどこか漠然と神様的な何かはある気がするのである。ゼウスやブッダやアッラーだとかそういうことでは無い、人間が創作したものではない、もっと大きな真理的なものが自分の中には確かにある。それを神様と呼ぶのが、自分にはしっくりくる。

その何か得体の知れないもの、それをオザケンは神様とこの詩の中では表現している気がして、そして、そこに何かすごく共鳴するものを自分は感じるのである。

何か分からない、言語化できない何か。

でもそれを信じて、生きることを諦めず、周囲の些細なことに愛おしさを感じ、人生を歩んでいきたい。
振り返れば長い足跡がついていて、そして周りを見ればいつの間にか大きなサークルが出来ている。またその一人一人がまた違う誰かと繋がって、また違うサークルが出来ていく。

そうして世界は回っていく。

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