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無縁仏と私@2024その2

※戦争の話があるのでご注意ください


私には娘が2人いる。
未就学児の次女の日課は散歩で、毎日彼女の気の向くままの道を歩かせていた。
そして、次女はいつも墓地の方向へ歩いて行き、なんなら墓地の坂道を登り、すわりこみ、日向ぼっこをすることもあった。
日当たりが良く、お手入れのされている墓地で、頻繁に花が供えられている。
私はこの墓地の人たちは、子孫に愛されているなと感じていた。
私は愛を感じる場所が好きだ。誰かの気配を感じる場所、人の手が入った場所。
苅りたての芝生とか、よく手入れされたお庭とか、ふわふわニコニコのワンちゃんとか。
散歩をしていると、そういう風景をたくさん見れて、心が弾んでくる。
そんな感覚で、墓地に来ると
「日当たりの良い場所にお墓を建ててもらってよかったですね」
「今日はお天気が良いですね」
と、心の中で話しかけていた。
ご近所の方に、こんにちはって挨拶するくらいの気持ちで声をかけていた。
返事がなくて、一方通行なのが気楽だった。

**************

一連の報告をすると、天ちゃんは「やめておきな」と言った。

「墓地とかはね、お墓に入っている方々だけじゃなくて、浮遊霊とか、行き場所がなくてとりあえず集まってきている霊もいるんだよ。無縁の方もいるの。
どこに行っていいか分からない…
そうだ、あそこならみんな集まってるしとりあえず行こう!って、色んなものが集まってるの」

ひええ!と思った。だって全然なにも感じていなかったのだ。お天気が良くて、見晴らしが良くて、お花が供えられていて…
ここに悪い人(霊)がいるなんて、微塵も思わなかったのだ。

「人間と一緒で、いろんな方がいるの。
だってそうでしょ、元々は生きていたんだもの。善人だけが死ぬわけじゃない、何かしてやるぞって気持ちの人は一定数いるんだよ。」

女性にだけぶつかりに行くおじさんとか、唾を飛ばしながらしつこく責め立てるクレーマーとか。
鬱憤を他人で晴らす人は、確かにいる。
イライラ、もやもや、孤独…そういった気持ちが心に溜まって、発散の仕方がわからなくて。
そういう、通り魔的に悪意をぶつける人に置き換えると、すごく分かりやすかった。

何度も言い訳をしてしまうが、
毎日通っていたので、親近感が湧いていた。
(その時点でずいぶんおかしい)
そして、集合墓地には観音様が建てられていて、無縁となったお墓を見守っていたので、なんとなく大丈夫な気がしていたのだ。
たくさんのお墓が、ぐるっと塔のようにまとめられていて、観音様の真下には陸軍と書かれたお墓があった。

(戦争で亡くなった方だ)

最初に手を合わせたきっかけは、それだった。
戦争で亡くなられて、ちゃんとここに帰ってこられたのだと思った。
そう思うと、たまらない気持ちになったのだ。

「ああ、なるほど。戦争の方もいるのか。そこに引っ張られたんだね。」

天ちゃんは言った。

「戦争に行った方々で、まだ上にのぼれていない人達がね、よく言うの。とても悲しそうに“私たち、本当に役に立ちましたか?“って」

その言葉を聞いた瞬間、全身に衝撃が走った。
なんて事言うの!
なんでそんな悲しい事言うの!
私たちが平和に生きていられるのって、たくさんの人たちが全てを投げ打って日本を守ってくれたからなのに…!
感謝してるに決まってるじゃない!!!
なんでそんな風に思ってしまうの?!と、
悲しみと、やるせない気持ちで涙が出てきた。

「歴史を知ること、それだけで供養になる。
じゃわみたいに泣いてくれる人がいると、それだけでちゃんと供養になる。
色々と溜まりやすい集合墓地に手を合わせるのはあまり好ましくないけれど、戦争という大きな出来事に、ご先祖様に、この日本を残してくれた方々に感謝をするのは良いと思うよ。」

「じゃわ、泣いてくれてありがとう」

戦争は、めちゃくちゃ怖い。
義務教育時代の国語のテストは、なぜか戦争のものが多かった。
私は涙を落とさないようにギリギリと歯を食いしばり、解答そっちのけで文章をなんどもなんども読んでいた。(当然、出来の良い生徒ではなかった)

たくさん、頭に残っている。
本当にたくさんたくさん残っていて、たまに思い出しては、2度と繰り返しませんようにと祈ってしまう。

忘れもしない、栗原貞子さんの代表作
「生ましめんかな」
あまりに衝撃的な生と死が、あの短い文章の中に詰まっている。ほぼトラウマだ。
今の教育現場で、どこまで戦争を扱うのかは分からない。
こちらまで血の臭いが届いてきそうな文章、見たわけではないのに広がる悍ましい風景を子ども達に見せたくないというのも分かる。
だが、本当にあったこの悲しくも恐ろしい出来事を伝えていくのは、大切な事だと思う。

火垂るの墓が地上波で放映されなくなって数年経つ。
かく言う私も、あまりに感情が揺さぶられすぎて、見るのも怖い映画なのだが…。
子どもを守り育てるということは、どうするのが正解なのか。いや、きっと正解はないのだろう。


どう頑張っても、人間が2人以上いる限りは違う考えが生まれる。
その違いを認め合い、みんな違ってみんないいね、と心から言い合えるように。
臭いものには蓋をするのではなく、ちょっと離れて嗅いでみるくらいはできるように。
人間は、環境によって天使のように慈悲深くもなるし、悪魔のように残酷になることも忘れないように。
過去の出来事を振り返るということは、未来を創るということなのだろう。

どうか、一度
戦争に向かったご先祖様に手を合わせて欲しい。
名前も知らなくていい、遠縁でも良い。
自分の血筋が1人も戦争に行かなかった人は居ないと思う。どうか。


*********

かなり話が逸れてしまったが、読んでいて分かるようにこの無縁仏の話は色々な事が絡まり合っている。真実はいつもひとつかもしれないが、そこに辿り行くまでの道は何通りもある。

ただ、手を合わせただけなのに!と、漫画のタイトルになりそうなこの話はもう少し続く。

続きは次のnoteで。

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