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映画『BABYLON バビロン』感想文

1920年代のハリウッドは、すべての夢が叶う場所。サイレント映画の大スター、ジャック(ブラッド・ピット)は毎晩開かれる映画業界の豪華なパーティの主役だ。会場では大スターを夢見る、新人女優ネリー(マーゴット・ロビー)と、映画製作を夢見る青年マニー(ディエゴ・カルバ)が、運命的な出会いを果たし、心を通わせる。恐れ知らずで奔放なネリーは、特別な輝きで周囲を魅了し、スターへの道を駆け上がっていく。マニーもまた、ジャックの助手として映画界での一歩を踏み出す。しかし時は、サイレント映画からトーキーへと移り変わる激動の時代。映画界の革命は、大きな波となり、それぞれの運命を巻き込んでいく。果たして3人の夢が迎える結末は…?
映画バビロン 公式ホームページより引用
https://babylon-movie.jp

「バビロン」を観た感想

 多分だけど、映画好きにこそ刺さる。
 公開初日に映画館に観に行って、衝撃的だったし感銘を受けたけど、もし、私がもっと映画を好きだったら、映画の歴史に詳しかったら、さらに自分の心を動かす作品になったんじゃないかなと思った。
 ハリウッドの輝かしい歴史、サイレントからトーキーへの転換期を舞台とした作品で、何よりもデイミアン・チャゼル監督自身の映画への愛を強く感じた。
 「ラ・ラ・ランド」や「セッション」でも、音楽が良いと話題になってたけど、「バビロン」もまた、メロディーと静寂だけで感情が揺さぶられる見事な映画音楽だった。
 ただし、「ラ・ラ・ランド」好きな人があのテイストの映画ををイメージして観に行こうとしてるならちょっと待ってと言いたい。

「雨に唄えば」を踏まえて

 サイレント(無声映画)からトーキー(有声映画)への変遷期を描いた有名な作品に、バビロンの作中にも登場する「雨に唄えば」がある。
 雨の中でドンが唄い踊るシーン、気持ちの良いタップダンスがあまりにも印象深いあの作品。

※以下「雨に唄えば」のネタバレ含む


 「雨に唄えば」で非常に悪役的に描かれているのがリナ。
 リナはサイレント最盛期の大女優だったが、致命的な悪声の持ち主だった。
 初の長編トーキー映画「ジャズ・シンガー」が大成功したことで、ハリウッドにはトーキーの波が押し寄せる。その後リナもトーキー映画に出演するが、声が悪いことから勝手に声を吹き替えられてしまう。リナは自分の吹き替え担当であるキャシー(しかもキャシーはリナの愛するドンと恋仲)を憎み、世間に出られないようにしてしまう。
 最終的にはリナは世間にその悪声がばれ、ドンとキャシーは結ばれるというストーリー。
 これは高飛車で意地悪、新しい時代において時代遅れで恥ずかしいリナを懲らしめる、“勧善懲悪”的なストーリーとして見ていて気持ちの良い作品。
 しかしデイミアン・チャゼル監督は、「華々しい映画の進歩の裏で、忘れられていく悲しい昔のスターたち」という側面に目を向けた。


※ここからはネタバレというほどではないけど公式ホームページで紹介されてる程度にはストーリーに触れるので、「バビロン」見る予定で予備知識なし・先入観なしで観たいって人は注意してね

 「バビロン」で描かれたのは、ハリウッドの光と闇。

 冒頭では、悪趣味で退廃的、下品で絢爛なパーティーが、これでもかと臨場感をもって描かれる。嫌悪感で目を背けたくなった。
 監督はインタビューで「ハリウッドに、豪華でエレガントで綺麗というイメージを持っている人はたくさん居るが、それは幻想で、1920年初期のハリウッドは違法なことが蔓延っていて、現代でもショッキングなレベルの道楽が行われていた」と話していた。描かれたパーティーはまさに「趣味の悪さに少しのピュアが加わった」ような、狂気的で魅惑的な昔のハリウッド。でも、これもハリウッドの「光」を見事に表していると思った。

 主な登場人物は3人で、誰もが認める大スターのジャックと、自由闊達な新スターネリーと、映画制作に関わるチャンスを掴むマニー。熱に浮かされたようにそれぞれの映画熱を語る3人が、世間に愛され、夢に向かって近づく様子は見ていてワクワクした。これもまた、ハリウッドの「光」。

 しかし、1927年、初のトーキー長編映画「ジャズ・シンガー」が公開されてから、映画の全てがガラリと変わる。ハリウッドは自らの汚い部分を隠すように、格式や見栄を大切にするようになる。パーティーは上流階級で。声が変な女優は使えない。訛りがある女優も使えない。
 サイレント映画のスターはどうなっていくのだろう。そこから先が、誰も目を向けてこなかったハリウッドの「闇」。

 ゴシップ屋の話がすごく印象的だった。
スターは何度でも現れる。あなたと同じ悩みを持ち、あなたと同じように消えていく。それは何度でも繰り返される。だけど、一度テープを回せば、あなたは銀幕の上に何度でも蘇る。ものすごくラッキーなのよ。

 これまで作られ、忘れられ、そして蘇ってきた全ての映画の上に今がある。言葉にすれば簡単だけど、この映画の登場人物の描写が、ゴシップ屋の話にリアリティと質感を与える。

 「映画には全てがある」
 だから彼らは映画を作るし、私たちは映画を観る。デイミアン・チャゼルの「映画」への壮大なラブレター。

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