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映画『窓ぎわのトットちゃん』感想

 映画『窓ぎわのトットちゃん』ネタバレありの感想です。

 ぽろぽろと自然に涙が溢れる。予告編や番宣では、ちょっとなぁと感じていたまあるいほっぺや薄らと色付いた唇は映画を見始めるとしっくりきた。記号や絵としての子どもではなく、トットちゃんがそこにいる。ふくふくとした手、冷たい雨の中で遊んだ後に赤くなっている指先、柔らかな身体の線、じんわりと身体の温かさを感じられる。手を伸ばしたら触れられて、抱っこ出来そうな、そんな感じ。

 目の前のことに興味津々、関心のあるものがくるくると変わるトットちゃん。自然と我が家の次男坊チビ介と姿が重なった。
 あの時代、落ち着きがなくクラスを引っ掻き回してしまうからと小学校を退学になったトットちゃんに合う学校を探すのにどれだけ苦労したのだろうか。とにかくこの子に居場所が出来ますようにと切に願うお母さんの姿に共感できるのは同じ様な子を持つからだろうか。

 自身の話をたくさんして、ふと表情を曇らせたトットちゃんに「君は本当はいい子なんだよ」そう真剣に語りかける小林校長先生、退学になったトットちゃんを決して否定しないお父さん、お母さん。見守る、待つ、子どもの尊厳を守る事に徹している。見つけたら、叱ってでもやめさせようとする事でもじっと待つのだ。すごい。簡単に出来る事ではない。

 彩り豊かな日常生活、私も子どもだったらここに通いたいと思う学校生活が描かれる。どれもが輝かしくてあたたかい。そんな大切な日々をじわじわと浸食していく戦争。"海のモノと山のモノ"を入れて持ってくる様に言われていたお弁当も段々と寂しいものになっていき、お洒落だったトットやお母さんの服装も物語が終盤になるにつれて地味になってしまう。言葉もない背景でも生活のそこここに子ども達が我慢を強いられているのが分かる。リトミックで講堂を駆け回り、床に自由に音符や絵を描いていたのに、壁に飾られるのは兵隊さんの絵に取って代わってしまう。出征したのだろうなと思う人々もいる。それでも真っ直ぐなトットちゃんの見る世界は色鮮やかだ。
 戦争で起きた時代背景を知らない子どもと知っている大人とでは感じる事が全く別なんだろうなとも思う。

 トモエ学園の仲間、特に泰明ちゃんと過ごす時間の中でトットちゃんが成長していくのがよく描かれている。天真爛漫さはそのままに女の子から少女になったんだなと思う。そんなトットちゃんの頭を撫でてあげたいとも思う。小林校長先生が言った「本当に君はいい子だね」という言葉と一緒に。

 観て良かったなぁと思う。可哀想だから涙が出るのではなく、トットちゃんと一緒に笑って泣いてという感じだった。お母さんの目線から観ていたところも多かったと思う。映画作りにもご尽力されたという黒柳徹子さんは別の形でトモエの先生になれたのだと思う。

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