現役ゲームクリエイターから見たら、ディライトワークス(FGO運営)は無能なのか? 運営編 その1

///////////////////////////////////////////////////////////////////////////////////
追記:2021年5月11日
既に多くの方にご覧いただいた本記事であるが、実は公開していたのが別記事で保存していた予備稿であることに今更気付いた次第である。
というわけで、本稿に内容差し替えを行なったが、本旨や結論は変わっていないので、改めて読み返す必要は特にない。
本当に申し訳ございません。
///////////////////////////////////////////////////////////////////////////////////
 前回は友人Aに向けた内向きの記事であったが、皆様からは500スキオーバーのご関心と殺害予告をいただいた。
 ちなみに友人Aはブチキレて猛然と抗議され、わざわざテキストのQ&A形式でFGOへの不満点をぶつけられた。

 これは私の前回の記事の書き方も悪かったと思う。
「ゲーム運営としてのDW」という視点で一切触れることが無かった。

 現場の人間からすると「開発」と「運営」は別業務なので「開発」の、しかもテーマ制作部分というごく狭い箇所だけ書いたつもりだったが、ユーザー視点では「開発」という言葉の定義そのものが違うことを失念していた。
 「今見えるゲームの全てが開発である」とみなされる、という前提がスッポリ抜けていたのだ。

 そこで、今回は「ゲーム運営としてのDW」がメインだ。
 ちなみに結論から言えばゴミ運営であるが、まあ厳しい立場にもあるんだろうなぁ、と理解できる部分もあるので、それにも触れていく。

 そのためにはまず、ゲーム運営における「パブリッシャー(企画会社)」と「ディベロッパー(開発会社)」の関係性を説明しなければいけないと思われる。ちなみにFGOのパブリッシャーは「アニプレックス」、そしてディベロッパーが「ディライトワークス」だ。

 とはいえ、これは開発現場ごとに異なるので、あくまで私が経験したことのある狭い範囲内での見解であり、FGOにも当てはまるものではない、ということはご承知いただきたい。

・パブリッシャーとディベロッパーの関係

 まずパブリッシャーとディベロッパーの関係を端的に表すと、「ゲームを企画する人たち」と「ゲームを作る人たち」である。

 パブリッシャーがIPや開発資金を提供し、ディベロッパーがそれを基にゲームという形にする。ネタと金があるがゲーム開発のノウハウはないパブリッシャー、開発する術はあっても金がないディベロッパーが組むわけだ。
 いわゆるアニメ界隈での「~~~制作委員会」のように、ネタと金がある提供元とそれを形にする技術のあるアニメ制作会社が、合同作品として世に出す、というのと似たような関係だろう。

 いきなり黒い話になるが「お互いに無い物を補ってWIN-WINな関係」というのは表面上のお話で、基本的にディベロッパーはパブリッシャーより立場が弱く、酷いと制作ツール扱いされるのが常である。
 これは単純にパブリッシャーがディベロッパーに比べ、圧倒的に会社規模がデカいので逆らえないとかもあるが、根本的にネタと金を掴んでいる方が強いのは世の法則だ。 

 さてパブリッシャーというものは、大抵そのコンテンツのマネタイズとマーケティングの権限を有している。具体的に言うと、私の経験した範囲ではるあるが「ガチャの仕様を決める権利」を手放したパブリッシャーを見たことが無い。
 FGOが必ずしもそうとは言えないが、アニプレがガチャの内容を決める権利と関連商品の制作権利を持っているのは、ほぼ確実と思われる。

 その傍証がDWの通販サイトで売られているオリジナルFGOグッズのラインナップだ。私と同じように、ゲーム会社で関連グッズ制作を行なった経験者はすぐ気づくだろうが、DWはゲーム内に登場するキャラの元絵やアニメ素材を一切使用できていない

 売っているのはDWが開発段階で制作している「バトルキャラ風」とか、「~のキャラをイメージした」とかいったDWオリジナルデザインのアイテムのみだ(※「概念礼装画集」も売っているが、これはアニプレ+でも売っているのでDWのオリジナルではない。)

 アニプレ制作のアニメ素材はともかく、TYPE-MOON制作した元イラストすらも使えていない点からして、それだけアニプレの立場が強く、制作対象物に対して強固なラインが引かれていると推察できる。

 ゲームの副次的な生産物である関連グッズすらこの状態なので、ガチャの仕様設定権限をアニプレがDWに譲っているとは正直考えにくい。
 つまり、ガチャに天井が付かないことをDWにせいにするのは、全くの見当違いの可能性があるわけだ。

 ちなみに余談であるが、関連グッズに関するひと悶着は私も経験したことがある。
 某漫画原作のゲームを開発した時、ゲームの出来をいたくお気に召した原作者様から、オリジナルグッズの企画案が自分たちの所に来た。いそいそとそれを世に出そうとしたら「何俺らのコンテンツで勝手にやってんの?」とパブリッシャーに怒られた挙句、企画書は付随していた他のグッズアイデアごと召し上げられた。

 自分たちの作ったゲームなのに横に広げることもできないのか、と現場の人たちは憤慨していたが、これは勿論権利を持つパブリッシャーに相談もせずに流通させようとしたこちらに非があり、だから企画書をタダで持っていかれても文句も言えない、というのがパブリッシャーとディベロッパーの力関係なのだ。
 パブリッシャーの立場というものは、それだけ強いのである。

・パブリッシャーとディベロッパーの関係(オルタ)

 更に黒い話になるが、パブリッシャーの力の強さを表す例として、パブリッシャーとディベロッパーで、売上の取り分がイーブンになっている関係というのも、少なくとも私は知らない。
 これもゲームタイトルや開発現場によって、実に様々なパターンがあるが大抵は7:3だ。当然ディベロッパーが3である。もう少しディベロッパーが有利な時もあるが、ディベロッパーがパブリッシャーと対等以上の取り分を持つ契約を見たことが無い。

 勿論、これには理由がある。
 ゲームなんてものは世に出てみないと評価がハッキリとしないので、あっさりサービス終了しようものなら、開発費を出しているパブリッシャーは丸損である。実際、開発フェイズで1円にもならないプロジェクトに金を出し続けているのはパブリッシャーなので、運営フェイズになってから取り分が多いのは当然の権利だ。

 FGOの場合はやや特殊で、ここに更にIP元のTYPE-MOONが関わってきており、開発にも加わっているので、アニプレの取り分は従来より少ない方と思われる。おそらくこれがガチャ仕様をアニプレが変えようとしない理由の一つであると私はゲスい推察をしている。
 これだけIP元が強く、なおかつパブリッシャーもいるともなれば、開発会社のDWの取り分はせいぜい1割~2割が良いところだろう。

 ちょっとシミュレートしてみると、売上が100億あったとして、まず3割をプラットフォーム(AppleとかGoogleとか)が持っていく。残りの70億の56~63億はTYPE-MOONとアニプレが持っていき、残り7~14億くらいがDWの取り分となるが、何もしないとその半分くらいは税金で持っていかれる。   
 ソシャゲ運営がやたらリアルイベントをやりたがるのは、虚栄心ではなく、税金対策で広告宣伝費として使用した方がユーザー還元になる、という考えからである。

 そして、これだけ強固な「ガチャの権利」という実利を得る手段を持っていながら、パブリッシャーは大抵ガチャが自分たちのコントロール下にあることを表に出さない。その理由は、今のディライトワークスを巡る世間の流れを見ればおよそ見当がつくだろう。
 逆風が起きた時、ユーザーは目の前にあるものを叩くという風潮があり、更に頭一つ抜けて怨嗟の強い金の恨みに対して、他の不満点とまとめて開発会社がヘイトの的になってくれるからだ。

 表に出ない以上、ゲームが賞賛されている時は前に出て来れないという事情はあるが、世にあるソシャゲーなんて7~8割が半年も持たないのだから、黙って実利を得るポジションにいた方が遥かに賢い。

 ちなみに、パブリッシャーには広報・宣伝というマーケティングのお仕事もあるので、開発会社と違い、堂々と表に出てユーザーに存在をアピールできる機会がある。FGOのリアルイベントや生放送の司会・進行役を、DWの広報・宣伝ではなくアニプレが行なっているのは知っての通りだ。
 彼らがガチャに天井が付かない原因だと認識しているユーザーなどほとんどいないだろう。

 開発会社というヘイトタンクを用意することで、パブリッシャー側の現場の人間は、(大人しくしていれば)直接非難されることが無いのでダメージが直撃する機会はほとんど無く、更に安全圏から露出の機会には恵まれるので「モノづくり」への達成感や、やりがいなどは担保されているわけだ。

 実際、私のせまいアンテナの範囲内の話に過ぎないが、FGO関連で叩かれるのは大概ディベロッパーのDWで、アニプレが叩かれている様子を見たことが無い。しっかりと制作スタッフ一覧のプロデューサー欄にアニプレ所属の人間の名前があるにも関わらず、だ。 
 「いい加減ガチャに天井つけろや、このムノウヨシキが」というユーザーコメントを、アニプレ側がどう感じているのかは是非聞いてみたい。

 とはいえ、ディベロッパーとしてDWが完全無欠かと言われればそんなことは無く、それはFGOへの不満が別にガチャに関することだけではないことでも明白であり、ゴミ運営という評価は何も変わらない。

 友人Aの怒りの質問テキストに返答しながら、その辺りも見ていこうかと思う。ところで、パブリッシャーに対する恨み節が強すぎると友人Aは思ったであろうが、あえて何も言うまい。
「売上の取り分は3割以下だけど、ユーザーヘイトの取り分は10割☆」という環境で働いた経験があると、色々あるのである。

・Q1:なぜFGOはガチャに天井を作らないのか?

 さてここからようやっと友人AへのQ&Aになるが、まずは大半のユーザーが最大に不満に思っているのが、この青天井のガチャ仕様の件であろう。
 これは個人的には前項の通り「FGOではパブリッシャーのアニプレの取り分が少ないので、アニプレが作らない」が思っているが、あえて別の方向でも探っていこう。

 考えられるのは、FGOはゲーム以外の横展開が多いコンテンツだからだ。
 スマッシュヒットした作品は「売れてから」その売上を前提にした企画が出来上がっていく場合が多い。
 「売れている時」の売上を前提にした規模の施策に、人も金も時間も突っ込んでいるので、プロジェクト全体が止まれば死ぬサメ仕様になり、そうそうマネタイズの形を変えることができない、というわけだ。

 今ひとつの理由は、逆に「何故天井を作るのか?」を考えた方が早いかもしれない。

 射幸心をあおり過ぎるのは、コンテンツ制作会社として不道徳すぎる!
 過剰な金銭的負担をユーザーに強いる可能性がある仕組みは不健全だ!

 とかは、絶対思っていない。
 そんな考えを持つパブリッシャーは、ガチャなんてそもそも導入しない。
 では「ユーザーなんざ天井作らなくてもジャブジャブ課金する連中だろ」とか考えているか、というとそうでもない。そういう連中もいるが。

 あくまで私の経験上だが、ガチャに天井を作るのは「これ以上はどうしたってハネない(話題性が上がらないし、新規ユーザーが爆発的に増えたりしない)」と判断されたコンテンツである場合だ。

 運営がある程度安定期に入り、システム面での発展や新機能の実装が難しいアプリは、既存のコンテンツの範囲内でしか開発が出来ず、MMORPGの追加ディスクのような大型アップデートが出来ない以上は、既存ユーザーに気持ちよくお金を払ってもらう形でのマネタイズに移行するのだ。

 繰り返しになるが、これはあくまで私の経験上の一例であり、単純にめちゃくちゃ会社に金銭的体力があるからという豪の者もいたりと、天井を作る理由は本当に様々だ。

 「天井を作らないこと」を好意的に解釈するならば、アニプレはFGOにまだ盛り返す「可能性」を見出しているということなのだろう。

 そんな可能性を持つコンテンツ、というものはおよそ現場の人間からする「第2部で初となる、全面奈須きのこ執筆のメインシナリオ6章」くらいしか思いつかない。
 長くFGOをプレイしてきた人間ならば分かるだろうが、つまり冷えっ冷えだった第1部5章から、奈須きのこ氏の全面執筆による第6章の空前のヒット、という第1部の再演である。

 いや、そんな上手くいかんやろと友人Aは思うかもしれないが、FGOは最盛期の2019年で既に古いタイプのゲームであったのに、奈須きのこ氏のシナリオが「Nasuverse」という単語で世界で認知され、FGOを売上世界1位にしてしまったのもまた事実なのだ。

・Q2:育成がだるい、素材ドロップがしぶい 1/2

 これは友人Aも2000文字を越える不満を記述していたが、ここは明確に開発会社であるディライトワークスの責任だと考えている。勿論、そうなってしまう事情もおよそ察せられる傍証はあるが、結局どうにもできていないわけだからDWが悪い。

 さて、これらの事項を不満に思うユーザーが多く存在する理由は「メインのファン層のプレイヤータイプとゲームメカニクスが致命的に噛み合っていない」ことに起因する。

 これを説明するには、まず「プレイヤータイプ」のお話からしないといけない。つまりまたしても前説が異常に長いのだが、全ては私の筆力不足のせいである。さっさと結論の解説に行きたい場合は、2/2に飛んでもらって構わない。

 さて「プレイヤータイプ」とは何かというと、これは「スパイ帝国の人」ことスパ帝氏が提唱した「ゲーマー民族論」を基にしている。
 「ゲーマーにはどのようなゲームを好む人がおり、その指向にあったゲームメカニクスとは何か」というものを示したもので、詳細は有料の同人誌になるが、下記記事でもおよそ概要は分かるかと思う。

ゲームが強くなる100の知恵++

 私にゲームクリエイターとしてのイロハの全てを叩き込んでくれた先輩は、この理論の「特定の民族が好むゲームの形」にフォーカスし、ソシャゲー業界における「3つのプレイヤータイプ理論」という考えを持っており、私も他のゲームを分析作業などをする時は、この理論を基に物事を考える。
 不肖の弟子であるが、この理論を解説したいと思う。

1:マルチプレイヤー
 これはゲーム上で他人と関わり、競技性のゲームプレイで勝利することを楽しむタイプだ。
 モバイル版荒野行動や第五人格といった対戦ゲームは言うに及ばず、MtGやシャドウバースといったデジタルカードゲームもこれに含まれる。PC・コンシューマの界隈ならば、ApexやValorantを想像すると分かりやすいかもしれない。
 彼らにとっての最大の報酬とは、公平な条件下で己の技術や知識、読み合いなどで掴む「勝利」であり、その「勝利」の価値を壊すものを嫌悪する。
 それはゲームルールを逸脱するチーターであり、パワーバランスのおかしい武器であり、環境で特定デッキ一強になるようなカード性能だ。

2:シングルプレイヤー
 これは自身のゲームプレイそのものを楽しんでいるタイプだ。
 彼らはシングルプレイにおける実績の積み上げや、コミュニティにおけるプレイ環境を重視し、露悪的に言えば「自分が楽しいと思っていればOK」のユーザーで、対人プレイでの勝敗やゲームの競技性にほとんど関心が無い。
 Minecraftやシムシティで巨大な街を建造したり、RPGやシミュレーションゲームを最効率で攻略したり、音ゲーで最難関曲のパーフェクトを狙ったり、限られたフレンドとMMORPGでワイワイ騒いだり、閉じた関係性で完結するゲームプレイを楽しんでいる。

 彼らの楽しみはゲームプレイがもたらす「結果」と「体験」である。
 時間を掛けて作った最強キャラ、解放された称号やアチーブメント、最速のクリアプレイ時間といったゲーム内実績という「結果」に喜びを感じるし、Dead by Daylightのサバイバープレイで敗北しても、フレンドたちと楽しいゲーム時間を過ごせれば「俺が必死にチェイスしてんのに、何でお前はボックス漁ってんだよwww」と「体験」の楽しみから画面前で笑い話にできるのだ。

 故に、彼らはゲームプレイに対する報酬・メカニクスに極めて敏感だ。
 実はゼロメイドの方が強いのに七曜武器全種コンプのため、単調でクッソめんどい蝶探しをさせられて、キマリ〇ねと思ったFF10プレイヤーは数知れないが、ワッカの七曜武器は「ブリッツボール」というミニゲームは楽しいので、明らかに蝶探しより時間が掛かるのにそんなに不満は出ないのだ。

3:カスタマー
 これはゲームプレイそのものではなく、それに付随するキャラやストーリーなどのテーマ部分を楽しんでいるタイプだ。
 本質的には読書や映画を趣味嗜好としている人たちと同義であり、ゲームプレイではなく、コンテンツ消費を目的としている。その興味の対象がゲームという体裁をとっているだけ、とも言える。
 サウンドノベルの可愛い/恰好良いキャラを愛し、ストーリーに涙し、声優さんの演技やBGMに聞き惚れ、ゲーム上では何の効果も無いスキンを愛ゆえに買ったりする。

 彼らにとっての最大の報酬は「コンテンツ」そのものだ。すなわち、ストーリーやキャラといった「テーマ」が供給され続けるゲームである。
 そのため、コンテンツ不足やテーマ部分のクオリティには特に厳しい

  また彼らの特徴としてゲームプレイそのものをあまり重視しないので、キャラ愛さえあれば、明らかなゲームの瑕疵も許容する心の広さがある。
 キマリの蝶探しは無視しても、おっp、もといルールーのために雷を200回連続で避けるのに、文句を言いながらチャレンジした人は多かったのだ。

 以上が、先輩の「プレイヤータイプ論」の概要である。
 ソシャゲー界隈ではユーザーによってプレイ環境(スマホの性能やプラットフォーム、Wi-Fiの有無など)がかなり違うため、競技性のある場はやや作りにくいことから「マルチプレイヤー」を対象にしたゲームは少なく、「シングルプレイヤー」や「カスタマー」を狙ったものが多い。

 そして、ゲームの多くは複数のプレイヤータイプにまたがった要素を有しており、またプレイヤー自身も要素を複合的に持っている。そのためゲーム内で要素がコンフリクトすると嵐のような非難が生まれ、またユーザー間で紛争の種になる。

 そして、以下では「FGOのメカニクスとプレイヤータイプが如何にすれ違っているか」を解説する。

・Q2:育成がだるい、素材ドロップがしぶい 2/2

 さて、ではFGOはどんな要素で構成されているゲームだろうか? 

 大きく占めているのは2点ある。
 ひとつは、奈須きのこ氏のシナリオや武内崇氏のアートワークといった、非常に強いテーマ部分のカスタマー要素。
 今一つは、キャラを成長させるRPGというシングルプレイヤー要素。 
 マルチプレイヤー要素は徹底して廃されており「アナタだけのカルデア」を前面に押し出した作りになっている。

 そして、言うまでもなく、ユーザーがFGOに求め、評価しているのは圧倒的に前者である。極論すると、FGOはストーリーや新サーヴァントといった「テーマ」が求められ、本質的にRPG部分のシングルプレイヤー要素を搭載する必要はなく、それこそサウンドノベルというカスタマー要素のみで展開できるコンテンツなのだ。

 いや、ストーリースキップしてる連中も結構いるだろ、と友人Aは思うかもしれないが、実はその現象はユーザーのカスタマー的欲求の発露という観点からは矛盾しない。

 彼らがなぜスキップをするのかというと、さっさと配布サーヴァントを入手したり、高効率の周回ポイントを開けたいからだ。
 なぜ高効率の周回ポイントを開けたいかといえば、いち早く素材獲得を行ないたいからであり、なぜ素材獲得をしたいかといえば、お気に入りのキャラを強くしたいからだ。

 つまり、根底にあるのはサーヴァントという「テーマ」への愛であり、Fate世界の特定対象への興味、というカスタマー的欲求なわけである。
 早くバトルがしたくてストーリーを飛ばしている訳では無いのだ。そういうプレイヤーもいるかもしれいないが、ごく少数であろう。

 そして、FGOではそういったカスタマー的欲求をプレイヤーが能動的に発露できるシステムとして「実績を積み上げて高ステータスのキャラを作り上げる」というRPG要素、つまりはシングルプレイヤー要素が用意されているわけであるが、FGOはこの要素が著しく完成度が低いためにユーザーに反感を買うのである。

 シングルプレイヤー要素の最大の報酬が、ゲームプレイがもたらす「結果」と「体験」であることなのは前述した通り。
 では、その要素に関して、FGOはどうなっているか見てみよう。

 まずは「結果」に関して。
 FGOは育成に必要な素材やゲーム内資金がキツいことはよく知られている。恒常設置されている種火クエもQPクエも、要求数に比べて明らかにゲームプレイに対する単価が少なく、再臨素材に至ってはドロップ率が異様に低いので報酬が確定すらしない。
労働に適した対価をもらえない職場は、社会的に失格の烙印を押されるのと同じように、ゲームプレイの内容に対して十分な成果を渡さないゲームがクソゲ―と言われるのは当然の帰結だ。

 次に「体験」に関して。
 FGOのゲームプレイの大半は「周回」である。
 つまり、やることはタンポポを刺身に載せる単純労働と変わらない。
 勿論、手ごわいボス戦やイベントで「超高難易度クエスト」というものもあるが、期間限定コンテンツであり、一部を除き恒常設置さえされていない。

 この通り、FGOというコンテンツのシングルプレイヤー要素は、ユーザーに全く訴求しないゴミコンテンツなのである。
 そして、最も問題なのは、この「結果」も「体験」もゴミの先にある「育成」が、FGOというゲームの終着地点(=エンドコンテンツ)であることだ。

 「ハードな条件でのキャラ育成そのものをエンドコンテンツとするRPG」という価値観は、確かにかつては存在した。FC版ドラクエ3やUOなど、今日傑作とされる作品群も「エンドコンテンツはキャラ育成」のRPGだ。

 だが、それらはそもそもゲームというものに多様性の無かった時代の作品であり、誤解を恐れずに言えば過去の遺物だ。日本刀は凄まじい鍛冶技術の結晶であり、白兵戦闘武器の一種の到達点だが、今日のアメリカ軍は前線配備したりしない。実戦では無価値だからだ。

 技術発展と共に戦場が白兵戦から砲撃戦に転じたのと同じ理屈で、ゲームの技術発展した今日のゲーマーは、フィールドをぐるぐる回ってのメタスラ狩りがエンドコンテンツと主張するゲームに価値など覚えない。
 昭和のメカニクスは「古き良き」要素などではなく、今のユーザーを馬鹿にしている行為なのだ。

 勿論、育成可能なキャラが少ないリリース当初にこのような調整を行なうのは、苦肉の策としてある程度は理解できる。
 現在では世界的なMMORPGとして成長したFF14だって、コンテンツの少ない最初期は「如何にキャラをレベル50にするか」がエンドコンテンツの一つになっていた。
 だが、FF14はあくまでレベリングは「FF14の世界の入口」と定義し、「育てたキャラで遊ぶ」コンテンツをどんどん作り、レベルアップの難易度は緩和してプレイヤーたちにプレイの幅を持たせていった。

 翻ってFGOは、サービス開始6年が経ち、プレイアブルが300体を越える状態で未だ「育成」をエンドコンテンツに据えているのだから、開発の怠慢と誹られても文句は言えないだろう。

 FGOユーザーがキャラ育成をしているのは、バトルの先のシナリオを読み進めたい、キャラを愛でたい、というカスタマー的欲求がゲームシステムに沿って「育成」という形に表出しているだけだ。
 ユーザーはサーヴァントの「育成がしたい」わけでない。
 数多いるサーヴァントたちと共にFGOの世界で遊びたいのだ。

 おそらくDWはこの本質を全く認識していない。

 インタビュー記事によれば開発陣は年間スケジュールを通して、厳密なゲーム内リソース管理をしているらしいことを喜々として語っている。
 「育成をあえてハードにすることで、ゲーム内リソースをどう使うかの判断の重要性が増し、その先にあるキャラの成長を感じることにより、キャラへの愛着が湧く」狙い、つまりは「キャラひとりひとりを大事にすること」に繋がると思っているようだ。

 一見筋が通っているように見えるが、これがそもそも根本的な間違いだ。
 ユーザーのコンテンツの楽しみ方、コンテンツ愛の示し方は千差万別である。特定のサーヴァントを徹底的に鍛え上げたい人もいるだろうが、入手したサーヴァントを全てを使ってみたいと思う人もいるはずだ。
 否、むしろストーリーが基本的に群像劇である以上、そちらの方が多いのではないだろうか?

 アイドルを箱推しをしている人たちは、その中の一人だけを選んで〇〇担と表明しなければ、そのコンテンツに対して愛が無いのだろうか?
 何故、特定のサーヴァントを選んで育成すること「だけ」がコンテンツ愛を示す指標になるのだろうか?
 何故、「カルデア」という箱推しをすることが「キャラひとりひとりを大事にすること」に繋がらないと考えているのだろうか?
 私には全く理解できない。
 正直、童貞こじらせたような気持ち悪さすら感じる。

「少ない素材を少数のサーヴァントに振り分ける育成こそが愛の表現だ!」と運営から価値観を押し付けられ、愛情表現の形を強制させられることほど鬱陶しいものはない。しかもそのゲームプレイの内容が化石のようなメカニクを基にして、タンポポを刺身に載せる作業を延々とやらされ、しかも報酬が無い可能性もあるのだから、ウザさは2乗である。

 そして何より滑稽なのは、その押し付けた「育成がハードな環境」が、「キャラを大事にする」どころか「キャラを殺している」ことだ。

 どういうことかというと、育成をキツくすることで、多くのユーザーは「色々なサーヴァントを育ててみたい」という欲求を諦めざるを得ず、人権と俗称する特定のサーヴァントのみを育てる流れが主流になった。

 またゲームプレイをほぼ周回という単純労働に狭めているため、キャラ性能は周回能力に適したものだけが突出して評価され、クー・フーリン(槍)のような「粘り強い戦い出来る」キャラの評価は、一段も二段も下がるようになる。

 実はトリッキーな性能のサーヴァントは、カードゲームでいうところの「〇〇軸デッキ」のように、専用のパーティ構築をすれば真価を発揮するキャラがかなり多いのだが、それを成し得る他のサーヴァントの育成にも、コマンドコードの貼り付けにも莫大なコストが掛かるため、カードゲームのように「とりあえずこのパーティ構成で試してみるか」という気軽な試行錯誤ができない。
 結果として、単独で基本性能が高いキャラ以外は「ゴミ」という間違った評価がユーザー間で流布されるようになった。

 勿論、それらの評価を覆す真の性能を発揮する方法がユーザーの手により発見される時はままある。私の最近の体験で言うと、スター・クリティカル型ゴッホパーティの目を剥く火力を見て、AppMedia攻略班のライブコメント欄はお祭り騒ぎであった。

 だが、それらの情報がユーザー反応のメインストリームに流れ込むことはほとんど無い。あれを見てやってみようと思った人は、おそらく視聴者の中にもいただろうが、その道程の長さを見て、大半の者が諦めるからだ。

 つまり、自ら設定したハードな育成メカニクスと自ら作った周回しかないゲームプレイにより、ユーザーがキャラと触れる機会を殺し、ユーザーのキャラ性能評価を歪め、キャラ自身が本来持っている総合的な価値をブチ壊しているのである。
「手の込んだ自殺」というワードがこれほどピタリと当てはまる事例も稀だろう。

・閑話 メカニクスの中心に〇〇〇〇がいるとしたら

 さて話は逸れるが、前回の記事にて解説したように、DWは「テーマ型環境開発」のチームとしては非常に優秀だ。
 そもそも開発環境を丸ごと作り変えるという力業を行ない、テーマ部分、つまりはシナリオとそれを表現するADVパートの制作や、元イラストに基づくバトルキャラ制作という、カスタマー要素の実装には信じられないほどの粘りと根性を見せている。

 それに比べ、メカニクスのこのお粗末さは単にDWのメカニクスプランナーがポンコツなのかと思っていたのだが、どうにもこれには根が深い問題がありそうだ。

https://fate-grandorder.jp/?p=108757

 上記は、いわゆるFGO関連の「まとめサイト」の2021/4/21の記事である。私はFGOの攻略情報はよく見るが、まとめサイトは見ないタイプなので、たまたま目に入ったここの単語にちょっとビックリしてしまった。
 それはTYPE-MOON側は、メカニクス開発にもIP元の人間(アザナシ氏)を送り込んでいたことだ。

 しかも、今更ながらFGOはアプリ内でスタッフ一覧を確認できることに気付き、確認してみたところ『ゲームコンセプト・サブディレクション』という箇所で名前が記載されている。

 更に色々過去インタビューなどを探ってみると、データ監修程度の立場かと思っていたら、そもそもコマンドカードバトルのメカニクスはアザナシ氏が作ったものであり、更にはキャラ性能やリソース配分を設定しているというではないか。
TYPE-MOON側がテーマ部分だけでなく、メカニクス部分も主導権を握っている可能性があるのだ。

 アザナシ氏は本当にただデータ監修だけを行なっているかもしれないが、もし仮に彼がメカニクス構築の中心人物であり、クレジットの画面通りの「ゲームコンセプト」を作っているのだとしたら、ここまで散々FGOのメカニクスをディスってきたわけだが、DWには正直同情の念の方が強くなってしまう。

 ここからはアザナシ氏がメカニクス制作の中心にいる、という仮定の上での妄言である。

 「テーマ型開発環境」のデメリットは前回記事で書いたが、その一つは個人のアウトプットが、ゲームのそのもののクオリティに波及することだ。
 名君の治世の王国は黄金期だが、暗君の治世は暗黒期になる。
メカニクスの基準となるアザナシ氏の能力がポンコツならば、そこに出来上がるメカニクスもポンコツになるのだ。

 しかも、テーマ型開発環境下にいるDWスタッフはそのポンコツ具合を理解していながら血を流して作らねばならず、見えている地雷でユーザーが吹き飛ぶのを見せられ、そこから溢れ出る悪評の嵐は「開発会社」として自分たちが受け、責任を負わねばならない。キングダムの李牧みたいなものである。

  また、このようなテーマ型開発環境に酷似した環境、つまりはIP元を絶対とし、それを形にすることに尽力するメカニクス開発環境が敷かれているとしたら、それは現場どころか、会社そのものをブチ壊す可能性があるトンデモない爆弾だ。

 何故ならば、テーマであるシナリオやイラスト、BGMといった作品には絶対的な「答え」というものが無いが、メカニクスにはある程度(あくまである程度)の「正しい答え」が存在する。にも拘わらず、IP元の間違った方向性を全力で形にする現場が爆誕しているからだ。

 FGOのような「カスタマー要素の強いRPG」の場合の「正しい答え」は前述した通り、シングルプレイヤー要素を軽くして、カスタマー要素を存分に楽しめるようにすることであるが、それに対して盛大に間違った方向に舵取りをしているのがFGOだ。

 そして、アザナシ氏がこの元凶である場合、DW開発は明後日の方向にかっ飛んでいく「悪いゲーム」を全力で作っていることになり、その「悪いゲーム」があたかも理想かのように肯定されるため、そんな環境では後進人材が育つはずもない。むしろ歪んだ価値観が刷り込まれる。
 会社全体で人材を殺しに行っているわけだ

 そして、更に妄想になるが、もしこのFGOのメカニクスを「良し」とするマインドがDW内で誤認されており、それに汚染された上層部の人間が別の開発現場の責任者になり、FGOと似たような「カスタマー要素の強いRPG」というゲームタイトルに、FGOと似たような「間違ったシングルプレイヤー要素」を盛り込むことを現場に指示していたとしたら?
 そのゲームは「FGOと同じ欠点を丸ごと内包した地獄」として誕生することだろう。

 と、妄想で随分と語ってしまったが、アザナシ氏が無能なのかというと、そうとも言い切れない節がある。少なくともシングルプレイヤー向けのメカニクスを構築する能力はそれなりに高い。
 コマンドカードバトルの仕組みそのものを生み出したことや、300体以上いるサーヴァントに対し、それぞれシナリオやキャラ設定前提の特色を盛り込む調整力などは、その最たる例だろう。

 勿論、マーリンだのスカディだのキャストリアだのといった壊れもいる。
 しかし「テーマ」が主軸となるFGOにおいては、彼らは千里眼持ちの半妖精や異聞帯の王など、それぞれが特筆すべきポジションにいる存在として描かれており、ユーザーも彼らが優秀なゲーム性能を持つこと自体に文句を付ける人は少ないと思われるので、これは意図的なものだろう。

 そもそも、シングルプレイヤー要素を生み出す能力その要素をカスタマー要素の強いゲームにアジャストさせる能力は完全に別物なのだ。メカニクスが方針転換したとしても、別にそれはアザナシ氏の恥ではない。
 担当業務に関する能力の高低の話ではなく、適性の話だからだ。
 大谷翔平に「でも、お前プロスポーツ選手なのにサッカーは下手じゃん?」と言うヤツがいたら、それはそいつが馬鹿なのである。

 もっと言えば、現在のポンコツメカニクスはアザナシ氏の責任でもない。 
 こういったユーザーのプレイヤータイプに合わせたメカニクスのアジャストは、それこそ開発会社であるDWが、具体的に言えばディレクターのカノウヨシキ氏が担うべき役割のはずだからだ。

 あくまでイメージだが、純朴そうなカノウ氏の様子を見ていると、何となく彼はDWが差し出した生贄のような気がしないでもないが、アザナシ氏の指示なのか、DWのメカニクスプランナーのせいなのか、エグゼクティブプロデューサーとして名が残っている塩川御大のせいなのか例のプレゼン資料にあるような自浄作用を放棄しているDWの方針なのかは置いておくとして、間違ったゲームコンセプトを継続している現実があるので、彼の評価が現時点では「ムノウ」なのは現場の人間としては全面的に肯定する。

・次回予告

 さて、ここまでおよそ13000文字という容量になってしまったので、友人Aの怒りの質問集への回答の続きは、次回の記事に書こうと思う。
 残りの質問の中でとりあえず書こうと思っている項目は以下の2点だ。

・オートバトルと宝具スキップを入れないのは何故?
・虚無期間を作ってるのは何故?

 他の質問に関しては実際に書いてみた時の分量から判断しようと思う。
 またこれらに合わせた蛇足として、私自身が考える「FGOの改善案」も書いてみようと思う。

 いや、お前はメカニクスプランナーじゃなくてテーマプランナーだろうが、という突っ込みが聞こえてくるが、これはその程度の見識の人間にも分かるくらいにFGOのメカニクスのレベルが低いのである。

 予定は相変わらず未定だが、何とか来週末くらいに投稿したい。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?