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散歩と雑学と読書ノート


千歳川


春は散歩に適した季節である。千歳川添いの散歩歩道の空気が心地よい。春になってこのところ、身近な植物が活気づいている。散歩の途中で目にする家々の庭ではクロッカスがいち早く花をつけ、水仙やツツジなどが咲きだしている。多くの花達も咲き始めようと準備している。道端ではタンポポも花をつけている。まもなく、こぶしや桜の花も咲くだろう。子供の頃は春の花といえば、何といっても福寿草だった。また白いネコヤナギの芽も懐かしい。毎年近くの沢に残雪からぽっかりと顔をだす黄金色の福寿草を見つけに行ったのを思い出す。しかし、最近は近くの家の庭に福寿草が花をつけているのを見かけることができる。ところで、私は今年も、我が家の狭い庭に芽吹いたフキノトウのてんぷらによって文字通り春を味あわせてもらった。


庭の福寿草


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「読書ノート」

今回自著から掲載させてもらう論考は、精神医学的視点から神秘体験を考察したものである。難しい課題に挑戦したいささか独断的で引用の多い論考で読みずらいうえにあまり関心を持たれないかもしれないが、この読書ノートでも神秘体験に関連のあるものを取り上げさせていただきたい。

★「霊の発見」、五木寛之・鎌田東二、2013、学研M文庫

★「死者と霊性ー近代を問い直す」末木文美士編、2021、 岩波新書


今回取り上げた「霊の発見」はもともと2006年に、作家の五木寛之と宗教哲学者・神道家の鎌田東二による対話を収録した著書の文庫本である。対話という形で取り組んだ二人の組み合わせは最良の組み合わせであったと私は思う。そのことを、末尾の、作家よしもとばななによる特別寄稿、「さわやかな空気ー解説にかえて」がたくみに表現している。


「おふたりの膨大な知識量に裏打ちされた真摯な対話に、私が言えることな んかほんとうになにもないと感じた。……聞き役に徹しているように見えるけれど、さりげなく指揮をしながら、膨大な知識の中から必要なものをさらっと取り出して、自慢げなところはひとつもなくただ対話の中に織り交ぜている五木先生の姿勢は感動的である。
どうやったらそんなに自然に存在できるのだろうと思う。
……また、少年のように明るい態度で五木先生にすっと寄り添い、同じく深い知識を決して自慢せず、ご自身の珍しい体験を飾り付けをせずさっと取り出してみせる、鎌田先生のあり方も鮮烈で清々しい。
音楽を聴くように、私はこの本を読み終えた。
あとには心強くさわやかなものだけが残っていた」


私も、よしもとばなな と同じようにさわかな読後感を味わった。同時に教わることも多かった。もちろん、二人の間で意見が食い違うこともあるのだろうがそのことを意識せずに読み通せた。私はもともと霊を感じるセンサーの感度が鈍いのか、幽霊にも妖怪にもUFOにも出会った記憶がない。死者の霊といわれてもその実在性を感じたり信じたりするのにも困難を感じる。また宗教に関する感覚も鈍く特に一神教にはなじめないものを感じている。ただし、山や川や草や木を含めたあらゆるものに霊の存在を感じるという日本の古来からの多神教的な信仰に関しては親和性を感じている。しいて言えば、宗教的でない宗教があるなら良いのにと思っている。だから霊とは何かとか、死後の世界はどうなっているのかと問われても説明ができないし、今回取り上げた二冊の本を読んでも結局はよくわからなかった。霊は感じるもので説明するものではないとしても、少し残念な気がする。私は体験したことがなくても、霊とか神秘体験に関心があり、関連した本も結構集めている。ただしその多くは読んでいない。関心を深めた理由の一つに精神科医として患者さんから霊や神秘体験の話をいろいろ聞かせていただいたことがある。

ここでは、「霊の発見」を読んで、私が興味を感じた話題のいくつかを選んで、断片的ながら短く書きとめておきたいと思う。

広辞苑では「霊」に関して、「肉体に宿り、または肉体を離れて存在すると考えられる精神的実体。たましい。たま」という記述がある。鎌田はその魂は、どの民族の神話や信仰でもだいたい、風と霊魂と呼吸が結びついていますねと述べている。そして次のように言う「霊的現象を認めることは、コミュニケーションの幅を広げ、自分の中に深い発見というか、気づきのような、深層感覚をグワッと喚起させてくれる」。
五木は「人間はほんらい、目に見えない価値を信じるものだ。霊的なスピリチュアルな存在なのだということを、頭や理論ではなく、実感するというか、体感することが大切なのではないかと思います」と述べている。

鎌田は、日本の神は音とともにおとずれる(訪れる、音連れる)、「あー」とか「おー」という母音は神があらわれる合図であると言う。私は音ということで、空海の「五大に皆響き有り」を連想させられた。

五木は「日本人は、明治以降、神や霊というものを、ことに多神教的信仰を、後進的なものとして抑えこまれてきたと思うんですね。西洋の一神教を真似た国家神道というのも、天皇は神であるが、多神教的神道は宗教ではないとする、極めて危ういものでしょう。王仁三郎が異議を唱えたように。」と述べ、さらに、五木はさりげなく、靖国神社の問題に関して「私は信仰の問題は、国家が管理補助する問題ではないと思います。」と述べる。私は五木の考えに共感を覚える。

スウェーデンボルグは霊界に行って見聞きしたことを「霊界日記」にまとめた、同様に平田篤胤は養子寅吉の霊界探訪の話を「仙境異聞」にまとめた。それに関して鎌田は「霊界の真相はわかりませんが、天国も、スウェーデンボルグの霊界も寅吉の神仙界も、物語的な世界として存在すると思いますし、そういう、直感的解釈のリアリティーとしての世界だと思いますね。」と言う。物語的ということには私も納得できるが、そこに、どのような直感的解釈のリアリティーを認めるかで大きな違いがでてくるだろう、たとえばスウェーデンボルグ神学の信者と私の間では意見が分かれることになるだろう。鎌田からはもうすこし、信者の抱くリアリティーに関しての説明が聞きたかったと思う。鎌田の主張する言霊論に基づく説明が可能かもしれないと私は勝手に思っているのだが。

鎌田や五木はスウェーデンボルグが精神の病に罹っていたのではないかという精神科医の議論をどう受け止めるだろうか。「霊の発見」と「霊をめぐる病の発見」は交わることができるだろうか。

五木は「専門家の鎌田さんにおたずねしたい。どうすれば行けるのですか、霊界に」と質問し、鎌田は「縁があって、修行すれば」と答えて笑いが起きている。
たしかに霊能者になるには修行が必要だろう。ほんとうの霊能者は人格で伝道するものだというのが鎌田の意見である。私には縁のないことだけれど。

私はこれから可能なら全集を読んでみようと思っている作家が何人かいる。宮沢賢治はそんな一人である。宮沢賢治の根底には、アニミズムやシャーマニズムがありますねという鎌田の意見に私は賛成だ。鎌田はさらにコンピュータ世界はひょっとすると人間の霊性を拡張する可能性があるのではないかと指摘していて面白いと私は思った。私は、前回掲載した「メディアの歴史と精神の病をめぐる一試論」のなかで、「電子メディアの世界が神秘的、魔術的に見えてしまうことがあるだろう」と指摘した。

次に二冊目の「死者と霊性ー近代を問い直す」であるが、本書の半分以上を、末木文美士(仏教学、日本思想史)、中島隆博(中国哲学)、若松英輔(批評家)、安藤礼二(文芸評論家)、中島武志(政治学)の五名による座談が占めている。「霊の発見」と重なる話題も多く、さらに座談によって論者たちから多様な視点からの知見が加わって教わることや考えさせられることが多かった。しかし「霊の発見」とは違って、私は読み通すのに少し抵抗を感じた。その抵抗は、宗教と政治を一体化したものと見なそうという姿勢が本書の議論に強く感じられることに由来している。私はそのてんに関しては慎重であるべきと思っている。

五人の著者の中では、私はこれまで、主に安藤礼二や若松英輔の著書に関心を持ってきた。二人の名前が著者の中にあったことが本書を手にした動機の一つであるが、一番の動機はタイトルにある「死者と霊性」という問題を私自身は精神医学的な視点から考えてみたいと思っていたからである。

本書の編集は末木文美士によるものである。末木は本書の初めに提言として次のように述べている、

「世俗政治と宗教とは理念を一つにして、協力して進むことができるのではないか、ということである。それが直ちに政教分離の原則に背くわけではない。今日、死者や霊性、宗教の問題を抜きにして、純粋に世俗的な社会というものは成り立たないことは明らかである。より大きな宗教の世界観の枠の中に、世俗社会や政治も位置づけらられるべきではないか。そのことによって、逆に宗教の側も身勝手な論を振り回し、相互に対立するのではなく、協力しながら社会的に責任の持てる思想と活動を展開すべきではないか。近代が終わった後で、理念なき覇権主義の暴走は絶対にあってはならない。もはや人類の存亡事態が問題になっている。お互いに争っている余裕はない。政治も宗教も協力しながら、この危機に正面から向かわなければならないのである。」

私はこの提言にすこし疑問を感じた。末木は、「より大きな宗教の世界観の枠の中に、世俗社会や政治も位置づけられるべきではないか」と言うが、どのような宗教の世界観を想定してそう述べているのだろうか、それがどれだけの人々を納得させるものになるのだろうかという疑問である。読み進めても疑問は完全には解消しなかった。もともと政教分離の原則に背かない宗教をそう簡単にこの時代に見出すことは困難だろうと私は思っている。そこに私の疑問が解消しない原因がある。宗教と政治が一体化することでこれまで多くの悲惨な出来事を生じてきた歴史があるし、現在も様々な社会、政治的な問題の根底にこのことが潜んでいる。だから、政教分離という考えが倫理的な知恵としてあり、日本国憲法もそれを前提に書かれていると私は考えてきた。末木は逆にその日本国憲法の上位に宗教的な世界観を置こうと考えているようである。しかも現状の憲法自体がすでにそうした要素をはらんでいると述べてもいる。憲法の前文がユネスコ憲章の前文と類似していて、そこには一種の宗教性をもった理想主義がうたわれていると末木は指摘する、さらに憲法の前文はクエーカー系のキリスト教徒が関与して書かれたといわれているし、最近になってユネスコの源流に神智学があるともいわれていると述べている。さらに、末木は理想主義的な普遍性のみが憲法の前文に掲げられていることに疑問を投げかけ、日本国憲法なのだから、日本という特殊な事情も組み込んだ普遍であるべきと言う。そして日本的な死者や霊性に関する認識を問い直したうえで、天皇の位置づけや、靖国の問題を考えるべきだろうとしている。

五人の議論では、末木の言うより大きな宗教的世界観をメタ宗教として特定の宗教を超えた次元のものを想定している。私はメタ宗教という考え方は極めて興味深く重要な概念だと思う。本書ではメタ宗教の一つの可能性として神智学が取り上げられている。安藤の解説によると、神智学はスウェーデンボルグの神学さえ取り入れる折衷宗教であるが、新たな世界宗教にして、新たな総合宗教である。神智学では神羅万象あらゆるものは神の霊的な種子から生まれたので、動物も人間も平等であると考えるという。神智学に関してはオカルト的な要素を持ったものという程度の認識しか私にはなったので意外であったが、考え直す必要がありそうだ。神智学は19世紀に流行し、欧米とアジアを視野に収め、その間を行き来する形で霊魂論が議論された。ほぼ同じ時期に平田篤胤らによって、日本的な霊性や死後の世界に関する議論が活発になされ、のちに柳田国男の「祖先」や折口信夫の「まれびと」の議論へとつながっていった。末木らは神智学や日本的な死や霊性の議論を踏まえてメタ宗教を考ていこうとしているようである。

死者に関しては、特に死者との対話が重要である。それは記憶や歴史と関連したことである。その点に関して、若松は死者が過去の存在というのではなく、実感としては現在の存在で、死者との対話は今の死者と今の自分との対話だというのが実感ですとし、さらに死者は私とは別個に存在していて、死者は生者の記憶に依存することなく存在していると思いますと述べていることが興味深い。

死者の問題はここで深入りは避けたいが、靖国のことを考えてもわかるように政治化しやすい問題をはらんでいる。

なお死者との対話に関しては、のちほどの自著からの論考のなかでも取り上げている。

本書ではたくさんの人物が取り上げられている。私はその中で、安藤礼二が主に解説している二人の人物に改めて関心を駆り立てられた。

一人は病跡学の対象になることもある、出口王仁三郎である。彼は折口信夫が理論的に突き詰めようとしていた、国家神道以前の神道、神憑りの神道を実践し、スウェーデンボルグの「天国と地獄」を読み込んで「霊界物語」を書いている。また彼の率いる大本教は、バハーイー教を積極的に受け入れていたが、それは19世紀にイスラム教から出てきた、いろいろな宗教を受けいれるとするある種のメタ宗教でもあるという。

もう一人は井筒俊彦で、私は井筒の著書、「意識の本質」や「意味の深みへ」はメタ宗教哲学の試みと言ってもよいものではないかと本書を読んで思った。安藤によると井筒というイスラム学者の思想の起源にはディオニュソスが、あるいは「憑依」(神憑り)が位置づけられている。彼の文学論である「ロシア的人間」ではロシア的人間のあり方がディオニュソス的という形容詞で表現される。また「神秘哲学 ギリシアの部」ではプラトン、アリストテレスらによるギリシア哲学の起源に舞踏神ディオニュソスによる憑依の体験がすえられ、その帰結としてプロティノスによる「神秘」の体験が語られる。イスラム教の「コーラン」はよく知られているように神憑りになったマホメットが口走った言葉の集大成である。また井筒は慶応大学時代に講義を聞いた折口信夫に習うようにあらゆる表現発生の基盤に憑依を据えたのだと安藤は述べている。
さらに安藤は井筒の生涯が政治性に満ちていたとも述べている。たとえば井筒は戦前に大東亜共栄圏の構想に積極的に参加していたと言う。
どうやら、井筒は宗教と政治の結合や、一神教的な思考に深くコミットしていたと言えそうである。それは、私が抵抗を感じると述べてきたことではあるが、それでも、私は彼の思想のとてつもない広がりに魅力を感じる。また精神科医の立場から井筒が取り組んだ憑依の問題をもっと深く知りたいとも思う。井筒という知の巨人の仕事を私が十分に理解できるとは思わないがもう少しきちんと読んでみたいと今は考えている。


               ***

「こころの風景、脳の風景―コミュニケーションと認知の精神病理―Ⅰ、Ⅱ」より


「精神科医は「神秘体験者の夢」を見るか?」

 「俺は死人たちを腹の中に埋葬した。叫びだ、太鼓だ、ダンス、ダンス、ダンス、ダンス」「俺は、すべての神秘を発(あば)こう、宗教の神秘を、自然の神秘を、死を、出生を、未来 を、過去を、世の創生を、幻は俺の掌中にある。」                                                                                   
               ランボウ(地獄の季節、小林秀雄訳)              

 「信仰を持つ人間は神秘の感覚を持っています。その神秘というのは私の考えでは人間の思考が原理的に解決することのできないもののことです。科学的認識はその神秘の周縁で、飽くことなき侵食を試みているのですが、人間にできるのはそれだけなのです。しかし、科学的認識の道筋を辿ること、それも非宗教的人間としてそうすること以上に、精神にとって刺激的な、またためになることも、私は知りません。」                                                                                  クロード・レヴィ・ストロース

もくじ
1)問題点
2)神秘体験親和性のパーソナリティー
3)スウェーデンボルグは統合失調症者か
4)フロイトとユング
5)死をめぐって
6)おわりに

 1)問題点

はじめに、拙論のタイトルについてふれておきたい。容易にお気づきの通り、タイトルの全体の表現は、フィリップ・K・ディックの「アンドロイドは電気羊の夢を見るか?」を借用させてもらった。また「神秘体験者の夢」は、カントの「視霊者の夢」の借用である。ここでは、視霊者と神秘体験者はほぼ同じ意味として捉えていただきたい。ただし私は神秘体験ということを可能な限り広めにとって使用している。大まかにい言えば、人間意識を超越し、理性的な認識では計り知れないミステリアスな現象。たとえば霊的な現象や超自然的な現象や神のような存在との一体化の現象などにかかかわる体験を念頭に置いて使用している。拙論での問題意識は霊的体験を含めた神秘体験、あるいは死後の問題やスピリチュアルな問題などに関連する体験を述べる患者が受診してきたときに、精神科医としてどう受けとめていけるかを考えてみることである。そういう意味では、タイトルの「……見るか」は「……診(み)るか」という意味にとっていただきたい。言うまでもなく霊的体験や死後の世界という宗教的な課題は一精神科医として関与できる範囲は限られる。それは結論の出るものでもないしあまりにも広大で深遠な問題である。それでも精神科医が時には何らかの対応を迫られることのある課題である。そして限定的ながら行ったその対応で良かっただろうかと時には自問せざるを得ないこともある。精神科医には正しい対応の仕方といったものが容易に見つからないままに対応せざるをえないことがままあるものである。ここではこの課題に少しでも近づいてみるために、関連があるだろうと思える幾つかの事柄を廻って私が考えたことを、断片的ながら述べさせてもらいたいと思う。

私がそのような問題意識を持ったのは、カントの「視霊者の夢」に触発されてのことである。カントは視霊者スウェーデンボルグに並々ならぬ関心を持って、形而上学者として彼の存在をどう受けとめるかを考察し書き綴っている。ここでは、カントの著書と坂部恵の考察を参考にさせてもらってカントが提起した問題の所在を簡単に触れておきたい。カントの時代は、デカルトの提出した心身問題が哲学の最も重要な問題の一つであった。身体と区別される霊魂というものがあって、身体と結びついているとする形而上学的な立場にたてば、その結びつきはどのようになっているのか。また霊魂は身体が死んでもなお生き残ってスウェーデンボルグがみてきたという霊界のようなところで生きているのか。あるいは逆に精神とか心は身体の物質的な過程の産物に過ぎず、身体の死と共に消滅するものなのか。もしそうならば、視霊者スウェーデンボルグは精神の病におちいった病者に過ぎなくなるだろう。カントは実際にスウェーデンボルグを空想的なレベルに退行した幻覚性狂気に陥った者という認識を提起もしている。カントはこの真っ向から相反する二つの見方を「視霊者の夢」の第一部「独断編」のなかで並べて提示し、どちらが正しいかの決着はなかなかつけづらく自分は迷ってしまっていると率直に述べている。この提示の仕方は後の「純粋理性批判」のなかのアンチノミー(二律背反)の発想の原型となるものであると坂部はいう。ところで、カントがぶつかったこの霊魂の問題は現在もなお決着のついていない問題である。カントはスウェーデンボルグの霊的な体験を詳細にたどりながら、批判的に述べつつも一方でいわば狂気を内包したスウェーデンボルグの言説の中に人間の深い真理や世界の叡智を読み取ることもありうるかもしれないとして依然として関心を残したままである。そして次のように述べている「種々の霊魂の物語に対して全く一切の真理を拒否することを私があえてしないのは、まさにそうした霊魂の問題についてわれわれはなにも知りえないからである。いかに判断するかは読者の自由である」。さらにカントは自分が最終的に態度を未決定にしておくのは、身体の死によって無に帰せられることのない不可視の霊魂の道徳的共同体への見通しと未来の希望といったような次元が自分にとっては捨てようとしても捨てきれないものであるからにほかならないと吐露している。霊魂の問題を想像力の世界の問題としてあるいは言語のあるいは物語のレベルの問題として処理してしまうことは可能かもしれない。スウェーデンボルグも夢や想像の世界(内界)での出来事という認識を否定はしていない。ただそれを実在性のあるものとして実体化してしまうか否かが大きな分かれ目のように私は思う。カントはその点に関連して、「純粋理性批判」の第二編「純粋理性の弁証論的推論について」の冒頭で次のように述べている。カント「死霊者の夢」(金森誠也訳)の解説(三浦雅士)より引用させてもらう。

 「たんなる超越論的理念の対象(神、霊魂、世界)とは、どのような概念もそれについて有することのできないような、或るものである。にもかかわらずその理念(神、霊魂、世界)は、理性(言語)の根源的な法則にしたがい、まったく必然的に理性(言語)のうちに産出されたものなのである。(中略)私たちは避けがたい仮象(言語の幻想)によって、それ(神、霊魂、世界)に客観的な実在性を与えてしまうのだ。こうした推論はその結果についていえば、したがって、理性批判(言語による正当な論証)というよりは、むしろ詭弁的推論(言語による詭弁)と名づけられなければならない。とはいえ、その機縁からするなら、じゅうぶん理性推論(言語による正当な論証)の名にあたいしうるものである。そうした推論はそれでも捏造されたり、偶然に生じたものでなく、かえって理性(言語)の本性に発したものだからである。それは人間の詭弁ではなく、純粋理性(言語)そのものの詭弁なのであって、すべての人間のなかでももっとも賢明な者さえ、この詭弁を免れることはできない」(括弧内の語は三浦による)。

 私は、霊や魂や神について考えてみることはある。実際ここで今そのことを考えながら書いている。しかし、それらが客観的に実在しているとは思わない。とはいっても、実在すると考える人がいることは認めるし、それを批判しようとも思わない。実在すると考えることがカントの言うように純粋理性(言語)の詭弁がどうかは私にはわからない。そうなのかもしれない。いずれにせよこのことに関しては考えてみる意義は十分にあると思って、この拙論を書いている。

さて先に述べたように精神科医として霊や死後をめぐる問題を提起する患者に接した時にどうふるまうべきだろうか。ここでもういちど簡単に触れておきたい。カントのような哲学者との最も大きな違いは、精神科医はそれが病的な言説かどうかを診断し、治療関係に入るべきか否かを判断しなければいけない立場に有るということである。はじめから未決定にして治療関係を拒否するわけにはいかない。対応の仕方に正解はないというのは先に述べた通りであるが、明らかに病的な場合もあって、治療がうまくいくかどうかは別としても患者の同意があれば対応に苦慮せずに治療関係に進むこともある。しかしケースによっては未決定にして話を受容するだけでおさめ、問題を患者にもう一度お返ししするしかないこともありうる。また宗教上の信念に関することであれば精神医学という場では取り上げられないことを述べるしかない。それでも私は死の問題や死とスピリチュアルな問題に関しては必要があれば対応を試みている。もちろん自分の考えを押し付けるつもりは毛頭ない。またケースによっては病的か否かの診断が未決定であることを理解しておいてもらって患者と付き合うこともある。ただし、それが良いことだと主張しようとは思わない。なおスウェーデンボルグについては後でまた触れる予定である。

 フィリップ・K・ディック(1928~1982、)の「アンドロイドは電気羊の夢を見るか?」は、映画「ブレードランナー」の原作であることは良く知られている。この作品と拙論とは内容的には直接関係がないが、作者のディックが神秘体験者であったことに関して少し触ておきたい。

ディックは、薬物とアルコール依存症で治療を受けていて、精神科病院の入院歴もある。彼は1963年に初めて神秘体験をする。彼の神秘体験は薬物の影響があるものとみなされている。1963年、「スロットのような目をした巨大な顔」が空からディックを見下ろしていた。彼は宇宙の根源的な悪を見たと確信した。さらに、彼は1974年二月から三月にかけて神秘的な出来事を何度も体験する。そのなかで、神あるいは「巨大にして能動的な生ける情報システム」とコンタクトしたと確信し、膨大な記録を書きつける。この体験が、後の作品「ヴァリス」(難しい本だ)として結実する。SF作家としてのディックの評価は特に本国のアメリカでは批判的で、神秘体験者という事も影響してか、彼の価値を認めない者もいるようだ。しかし、SF小説の名作「ソラリス」で知られる、ポーランドのSF作家スタニスワフ・レムは、カフカを持ち出して、ディックが優れた作家であると援護している。ちなみに「ソラリス」は、旧ソ連の映画監督アンドレイ・タルコフスキーやアメリカのスティーブン・ソダ―バーグによって映画化されている。

 2)神秘体験親和性のパーソナリティー

仏教学者の鈴木大拙はスウェーデンボルグの評伝を書いているが、そのなかで、スウェーデンボルグが後年友人にだした、手紙の一節に、彼が四歳から十歳にいたるまで、絶えず、神のこと、救いのこと、及び人間精霊上のことを考えていたこと。時に天人がいて自分の口を借りてものを云っていると思わせることがあったこと。また六歳から十二歳までは、信仰にかんして、僧侶と物語ることを最大の快事としていたといったことを書いていると述べている。

スウェーデンボルグは幼少時から神秘体験や宗教体験に親和性があったことがうかがわれる。

私はここで、詳細な定義は抜きにするが、神秘体験親和性パーソナリティーという概念を試案として提案してみたい。これは病的な神秘体験者と病的ではない神秘家とを一方の極(右側)にして、他方(左側)の極にまったく関心を持たない人(そういう人がいるとして)を位置づけ、その中間にスペクトルをイメージして宗教的な関心や神秘的な体験に対する人間の精神の振る舞いかたの程度を各人が示す度合いを指標において位置づけてみようということである。もちろん指標と言ってもあまり厳密なものを考えてはいない。スウェーデンボルグは右の極北に位置するキリスト教神秘主義者とすると、鈴木大拙は彼よりは左寄りであり、おそらくカントは鈴木よりさらに左寄りであるといった具合に位置づけてみようと思っている。

自分は霊感が強いタイプですと言って、神秘的体験(霊的体験)を語ってくれる患者さんがいる。ここでは神秘体験親和性の強いタイプのパーソナリティーと捉えて見ても良いだろうと考えられる2人の患者さんのことを短く書かせていただく。

Aさん(女性) もともと霊感の強いタイプで、危ない目に合いそうな人は直感でわかることがあるという。これまで何度も体験しているといって次のような神秘的な体験を話してくれる。

 横になっていて目を覚ました時に、急に心臓が苦しくなり、霊が自分から出ていくことがある。霊は、少し上のほうから、家族や自分が寝ている姿を眺めて、次に他の部屋を全部みまわり、外に出ていく。霊は空中を動いて、また家に戻って来るが、その間に霊がみているものは、すべて自分にも分かっている。戻ってきた霊はドンと自分の体に入って来る。そうすると、心臓がますます苦しくなり、身体が重くなる。こうした体験の後は、3日間くらい具合の悪い日が続く。

このケースはいわゆる幽体離脱の体験者である。私は治療の対象とは考えなかった。

Bさん(女性) やはり霊感が強く、10歳ころより霊的体験があるが、40歳を過ぎてから特に強くなったという。

 40歳ころから霊の声が聞こえるようになり、声に命令されたり、影響を与えられたりする。時に霊が自分の口を通して声を出して喋る、会話になることもある、インディアンのシャーマンのような感じの喋り方になったりする。意味不明な外国語らしき言葉を単語だけぼそぼそと喋ることもある。また自分が霊を飲み込んでしまったのかなとも思うのだけれど、何人もの生霊や死霊が体にはいっていたり抜けたりする、時に猫の霊であることもある。自分に人の霊が寄って来るだけでなく、カーナビやパソコン、携帯、テレビなどから霊が入力されることもある。人送りをしているのだと思う、その霊が私は死んでいるのかとか、ネットの中に入っているんだと喋ってくるという。
初診時はこの霊的体験や憑依様の体験が病的なものかと気になっての受診であった。私は病的と捉えられると話をしたうえで、投薬をしたがまったく効果は見られなかった。本人と相談のうえ投薬は中断した。またこのことで、本人の生活の破綻はなく、不思議だとしながらも、精神的にも淡々とこの体験を受けとめているようなので、病的であることを否定はできないが、注意しながら見守ることとした。

このケースは、最終的には本人の体験に変化はなく、話し合いのうえで治療関係を終結した。

3)スウェーデンボルグは統合失調症者か

「新版精神医学事典」(H5年出版)の中に神秘体験の項目がある。まずその記述を引用しておこう。

 「知識や観念でなく、瞑想、直感、陶酔をとおして神的ものと直接に合一する体験であり、意識状態の特有な変化と結びついている。エクスタシーはその一形式である。ジェームズW.Jamesは意識の神秘的状態の標識として、言い表しようがないこと、真理を洞察する認識的性質、状態の暫時性、強い力にとらえられる受動性、の四点をあげた。アルブレヒトC.Albrechtは神秘体験の意識状態を現象学的に沈潜意識(VersunkenheitsbewuBtein)と呼んだ。ヨガや禅の最高の境地も一種の神秘体験である。神秘体験を中心にすえる宗教的立場つまり神秘主義(mysticism)は、ヒンズー教、仏教、キリスト教などの一部にみられる。精神医学では、いわゆる宗教体験の真偽問題の中心的テーマとして古くからの論争がある。レルミットJ.Lhermitteは、超自然的な力で神に合一する真の神秘家が存在することを認めたうえで、幻覚や精神自動症などによって類似の体験を持つ人を偽の神秘家(faux mystiques)とみなした。しかし、多くの歴史上有名な神秘家が、一方ではヒステリーなど明らかな病的現象を示したことや、神秘体験と分裂病体験のあいだに類似性が認められる点から、神秘家の真偽の区別は容易ではないという指摘もされている。」

 以上の指摘に見られるように、精神医学的に、本物の神秘家の示す神秘体験と、統合失調症やヒステリーあるいは憑依などに見られる症状の一部としての神秘体験を区別することは決して簡単な事ではない。先にもお断りした通り、この拙論では宗教的な立場から見た神秘主義的な体験のみでなく、その体験と類似した霊的体験や病的体験やドラッグに誘導された神秘的な体験も含めて広く考えていることを再度確認しておきたい。

ヤスパースがスウェーデンボルグを妄想型統合失調症と診断している。ここでは、渡辺哲夫が「想像の星」(2018年)の中で展開しているヤスパースに対する異論をもとに考えてみたい。渡辺は、スウェーデンボルグにおいては、妄想ではなく夢ないし夢幻様体験こそが、パラノイアではなく緊張病こそが考えられるべきであると述べている。パラノイアを極とする妄想者には夢幻様体験は少ない、スウェーデンボルグは緊張病的大神秘家であるというのが渡辺の見立てである。渡辺はカールバウムの「緊張病」(1874年刊)の翻訳を1979年に出版している。「想像の星」という本はこの緊張病というカールバウムの認識を中核に据えて書かれている。「想像の星」の裏表紙の文章によると、『「魔女狩り」が吹き荒れる、16世紀のヨーロッパに現れた、理性を完璧に超越したものを夢見る「非理性的創造者」としての天才の系譜が、500年にわたって世界を翻弄し続ける思想劇が描かれている。取り上げられる天才は、スウェーデンボルグ、モーツァルト、ベートーベンを経てヴァーグナー、ニーチェ、ドストエフスキーに至る』というふうに書かれている。

はじめに渡辺は緊張病を次のように略記する。「緊張病は、身体/運動面では興奮と昏迷、多動と無動、筋肉の痙攣性現象と弛緩(蝋屈)性現象を、精神/心情面では『熱情的恍惚』、『夢幻様体験』、そして多様な『宗教的神秘体験』を数週間から数年にかけて呈する精神科疾患である。重要なのは、…緊張病にはマニー(躁病)、メランコリー(うつ病)、癲癇、ヒステリー、不安発作、宗教的妄想や幻覚(幻視が多い)に支配された重度の錯乱と夢幻様体験などが内包されていたことだ」。こうした多彩な状態を呈する緊張病の認識をもとに、渡辺は「癲癇/ヒステリー/緊張病」という概念を提示し、それを根源的な生命様態連合とみなして、天才たちの精神状態と時代の中での創造を説明していく。スウェーデンボルグに関してもヤスパースの妄想性統合失調症説を批判的に検討し、ヤスパースよりも50年も前にイギリスのモーズレイが「スウェーデンボルグの最初(55歳)の神秘体験は、癲癇に引き続いて生じた急性精神病症状の発症によるものであった」と記述していることをあげて、スウェーデンボルグの夢体験記を研究したモーズレイが「癲癇/ヒステリー/緊張病」の系譜に彼を位置づけたことを高く評価している。なおヤスパースのゴッホをめぐる統合失調症説に対しても同じように癲癇と急性精神病説があげられているのは興味深いことだ。私はスウェーデンボルグが癲癇の症状を呈していたかどうかに関してはよくは分からない。ただしヤスパースの説よりは渡辺の考察の方が、説得力があると思う。特に渡辺は先にふれたように他の天才たちの列伝にスウェーデンボルグを位置づけて、その宗教的な創造の秘密にも迫るきっかけをつかもうとしているところを私は評価したいと思う。渡辺は、スウェーデンボルグの「夢日記」に記載されている、急性精神病症状の中で生じた神秘体験にふれて、それに類似したことは繰り返し観察されてきたことであり、それは通常の夢体験ではなく、奇怪な意識変容状態であり、理性とも狂気とも言いにくい、「持続性夢幻様体験という非理性状態」なのであると述べて、他の天才たちとの類似性を示唆している。

以上述べたように、スウェーデンボルグは1743年(55歳)の時の精神科的にはある種の病的な状態と思われる経過をへたあとは、自然科学の教授としての経歴を完全に捨てて、神秘家、視霊者、超能力者として、1772年(84歳)まで長生きをしている。彼の宗教は多くの信者を得て現在も続いているし、彼の神秘哲学はおおくの著名人に影響を与えてきた。その中から数名だけ名前をあげておこう。ウィリアム・ジェームズ、ユング、ヘレンケラー、鈴木大拙、西田幾多郎、内村鑑三など。

スウェーデンボルグの病に関して、ここで私なりにふれておきたいと思うことが二つある。問題提起だけにとどめたいと思うが、一つは先に述べたスウェーデンボルグの神秘体験親和性パーソナリティーがどの程度この急性精神病症状に影響していたのだろうかという問題と、もう一つは中井久夫が天理教祖である中山ミキにふれながら述べている、宗教的創造の病という見方がスウェーデンボルグの場合にも成立しないのだろうかという問題である。

スウェーデンボルグの病跡学に関してはさらに多くの事が語られているのだろうが私は不勉強なのでこのぐらいにとどめたい。

渡辺の取り出した「癲癇/ヒステリー/緊張病」というカテゴリーに私は関心がある。緊張病の位置づけがDSMの中で、統合失調症の一タイプという位置づけから独立したカテゴリーとして扱われるなど大きく変容してきていることを考え合わせてみても興味深いと思う。そしてこの急性精神病の過程で生じる神秘体験やそれに類似した状態を、奇怪な意識変容状態ととらえ、狂気とも理性ともいえない「持続性夢幻様体験という非理性状態」として捉えてみようということにも共感を覚える。しかし、この現在の精神医学のカテゴリーからはやや逸脱した捉え方がどこまで病的なものとして現在のカテゴリーの中に位置づけられるだろうか、そもそも現在の精神医学の中に居場所をみいだせるだろうかという事が気になる。渡辺の視点は、精神の病というパースペクティブから天才達の精神の深みを照射しようとする病跡学的な思考の延長上に位置づけられるだろう。私の認識では、病跡学は臨床現場から離れて自由に思考できる分野である。しかし渡辺はその病跡学からもさらに離れたところで自由に発想して「想像の星」を書いているようにも思われる。渡辺はスウェーデンボルグを精神の病におちいったものとして捉えながら、その病を「癲癇/ヒステリー/緊張病(=エス)」なる生命様態(特殊人間学的な生命の根源的特質)と表現している。つまり、フロイト的なエス(生命の根源的な特質)そのものだともいうのである。ここでは病的な意味は置き去りにされていて読むものが混乱させられる。まさに狂気と理性の区別が困難であり、病的とも否ともいえない状態にあると述べようとしているのだろうか。渡辺が自らの主張をもう少し明確にしていると思われる部分を引用してみよう。

「創造の舞台としてのエスは、具体的には<癲癇/ヒステリー/緊張病>という(病理性以前の)生命様態の別称なのだ。それゆえ、異常な(天才の)作品が発作的に閃光のごとく走るとき、その閃光の光源は<癲癇/ヒステリー/緊張病>=<エス>と表記されていい。乱暴すぎるがこの深い生命様態は<ドストエフスキー/ヴァーグナー/ゴッホ>なる表記に書き換えられるし、第三項目の<ゴッホ>の場所は(十九世紀末という時代限定を解除するなら)ニュートン、スウェーデンボルグ、ヘルダーリン、ベルリオーズ、ネルヴァル、シュレーバー、ニーチェ、ニジンスキー、アルトーらの場所となる。もちろんこれらの三つの名は相互に融解し合って、結局は<エス>という神秘の表記しか残りえない。」

 私はやや戸惑いながら渡辺の主張を取り上げている。スウェーデンボルグのような神秘体験者の夢を「癲癇/ヒステリー/緊張病」の症状として読み解きながらそれが同時に病理性以前のフロイトのエスそのものであり、エスという神秘は天才たちの創造の舞台でもあるという。ここで述べられる神秘体験は精神医学的に病的と呼ぶべきか否かが不確かにされている。まるでカントと同様の未決定の状態である。渡辺は彼が取り上げた天才たちに精神病理的な診断は不要だと考えているのだろうか。いずれにせよ渡辺の主張は、創造と精神の病(病理)に関する認識の難しさ困難性を浮き彫りにしていると私は感じる。

 4)フロイトとユング

フロイトを中心に展開された精神分析運動の最も中核的な概念であるエスを渡辺は「エスという神秘」と表現している。エスを神秘と結びつけることには微妙な問題が絡んでくるのではないかと私は思う。ここでは、フロイトとユングの間の論争や両者の出会いと破局にいたる道筋をみながら、精神分析のなかで占める、神秘体験やオカルト的な認識に関して見ておきたいと思う。上山安敏著「フロイトとユング」によると、ユングが初めてフロイトを訪ねたのは彼が32歳の時であり、フロイトは51歳であった。この二人は1907年から1913年までの7年間の交流の後、厳しい論争の傷跡を残したまま、再び会うことはなかった。フロイトはユングに、性理論を捨てないこと、小児性欲、エディプス・コンプレックスを認めること。精神分析の実証科学的立場を維持するために、心霊主義(スピリチュアリズム)との間に、防波堤を築くことを求めた。しかし、ユングはそれを受け入れることはできなかった。フロイトは、もともと、ウイーン大学の実証科学的な潮流の中に位置しながら精神分析学を生み出していた。一方で当時は実証科学とは別の知的な潮流があった。心霊主義や、超心理学などの神秘的な現象に関心を示す、オカルト主義である。しかし、フロイトはそれを「黒い潮流」といって恐れていたのである。一方で、ユングは当時、チューリッヒのベルクヘルツリ病院でオカルト現象を科学的に解明しようとしていた。ユングの博士論文は「いわゆる心霊現象の心理と病理にむけて」であったし、ブロイラーと一緒に霊媒を交えた研究をしたこともあった。そのためにクレペリンがチューリッヒの神秘主義者とブロイラーを揶揄していたともいわれる。 フロイト、ユングの時代は、世紀末の新ロマン主義の影響も受けてネオメスメリズム、スピリチュアリズム、オカルトが流行すると同時にヘルムホルツに代表される実証科学主義が浸透し合う時代であった。フロイトもユングも共にロマン主義の影響を受けていた。それでもフロイトの精神分析学は実証主義、科学主義、ダーウィン主義の影響下にあった。ユングの創りあげた分析心理学はそうした影響を拒否して成立していく。ユングは、1875年スイスで生まれ、1961年スイスのチューリッヒの湖畔で死去した。彼の母方には霊能力者が多くいたと言われている、さらに彼自身も幻影を見たり霊界と交信する能力があったと伝えられている。

フロイトやユングといった傑出した人物はその人格や実生活での振る舞いかたや精神的な振幅においては特に複雑で多彩なあり方を示すのが当然で、その点に関して筆者がなにがしかの言及をしても極めて偏狭で平板なものにしかならないだろう。しかし、ここでの課題である神秘主義に関してあえて述べさせてもらえば、ユングはフロイトより明らかに神秘体験親和的な傾向の強いパーソナリティーであったと思われる。つまり、フロイトはスウェーデンボルグに対したカントにより近く、ユングはスウェーデンボルグにより近い位置づけにあったと言ってよいのではないかと思う。若いころのユングはスウェーデンボルグの著書を熱心に読破していたことも知られているし、それは彼の分析心理学の一つの源流でもあるとエレンベルガーが「無意識の発見」の中で述べている。さらにエレンベルガ―は次のようにいう、

「ある人々は、フロイトこそ科学的事実という堅固な大地に立脚しており、ユングは霞のような神秘主義の中で道に迷った人だと感じるし、別の人々は、フロイトは人間の魂から神秘という後光を取り払ってしまった人で、ユングは魂の霊的価値を救い出した人だと考える。」
「おそらくユングの人柄でいちばん人の驚く面と言えば、片方には現実の鋭い認知があり、もう一方には瞑想、夢、超心理学的体験からなる秘密の生活があるという、両者間の対照であろう」

 神秘体験に親和的な人物であるユングは、その言動や学問的成果によってフロイトに強い影響を与えていったように見える。そのユングを媒介にフロイトは神秘主義をどう受け止めていったのだろうか。ユングとであって二年目(1909年)にフロイトは予知や超能力に関心を示し始めたと言われている。それでもユングに対しては冷たかった。フロイトはユングのみでなくしばしば弟子たちとの間で確執を繰り返しているが。その際に、フロイトは弟子の展開する知的な領分を表向きは激しく拒絶し袂を分かちながら、一方ではそれに同一化して、その学説を乗り越えようとする性向があったように見える。ユングとの場合にもそうした傾向が著明に表れている。その辺の顛末を上山は次のように書いている

 やがて近親憎悪的感情の中に七年間にわたるその絆は切れた。…それは二人の間にオカルト、宗教、進化論と積り重なっていった、科学観と人間観をめぐる根底的な対立に帰趨する。それは、フロイトの「トーテムとタブー」(1913年)とユングの「リピドーの変容と象徴」(1912年)という、二人が互いにライバル意識を駆り立てて、必死に自己の学問的生命を賭した闘いであった。両者はこの作品を出し合って、もはや修復し難い関係を感じとり、互いに背を向けあって違った途を歩み始めたのである。「トーテムとタブー」に連なるフロイトの作品の系譜は「集団心理学と自我の分析」(1921年)と「モーゼと一神教」(1937年)であり、ユングの「リピドーの変容と象徴」は神話類型、元型をうみだした母体であった。

フロイトはユングと出会ってしだいに「黒い潮流」に開放的となり、テレパシーや超心理学を精神分析の対象とみなそうとしている。実際フロイトは数編テレパシーに関する論文を書いていて、周囲からそれを認めたら精神分析でなくなりユング派を利するといわれている。もっとも、ユングは後にテレパシーからシンクロニシティ(共時性)へと関心を移していく。フロイトは1921年には超心理学者に向かって「私が今学問的キャリアを始めようとするのであれば、選ぶのはオカルト現象に従事することだ」と述べているという。晩年のフロイトはさらにユング的な集合無意識に接近したともいわれる。それでいてフロイトは精神分析がよって立つ実証科学的な世界観を崩さなかった。上山によると「精神分析家とオカルト主義者は協力が望ましいが、最終的には両者は同じ目的を追ってはいない。オカルト主義者は彼らがすでに信じたことのために、結局は宗教的傾向からの確証を得ようとしている」とフロイトは述べているという。

ここで、テレパシーに関してすこし触れておきたい。テレパシーは1882年にケンブリッジ大学のフレデリック・ウィリアム・ヘンリー・マイヤーズによって提案された。「思念」と呼ばれたり、「精神感応」と表記されることもある。「ある人の心の内容が言語、表情、身振りなどによらず、直接に他の人に伝達されることで、超感覚的知覚(ESP)の一種で超能力の一種である。「テレパシー」を造語したマイヤーズは1900年、第4回国際心理学会(パリ)で、死者との交信やテレパシーは可能か、霊の実存を認めるか否かと問いかけた。「夢解釈」の出版された当時は、アメリカから始まりヨーロッパへと伝わっていった交霊術の研究が心理学の研究として認められていた。つまり、オカルトや神秘的な心霊事象を扱う研究と実証科学的な研究が最も接近していた時代であった。心霊研究を推し進める研究者にはユングやマイヤーズの他に、ジェームズやベルクソンなどがいた。江口重幸著「シャルコー」によると、マイヤーズとジェームズはどちらかが先に死んだら死後の世界からテレパシーで連絡をすることを約束していたという。しかし、マイヤーズの死に立ち会ったジェームズには何の連絡もなかった。

 以上フロイトとユングの間で展開された確執に関して見てきた。確執の背景には、二人の神秘体験に対する心理的な資質の違いや、当時の心理学や心霊研究、進化論、古代学、人類学、そして宗教学など様々な学問の領域から受けとった影響の違い、そしてフロイトがヒステリーを中心にした神経症を、ユングは統合失調症を主に研究の対象としていたことなどがあげられるのではないだろうか。

 5)死をめぐって

この節では神秘体験から少し離れることもあると思うが、死という難題について考えてみたいと思う。はじめに、死や死者が精神疾患のなかでどのような様相で現れるかに関して見てみたいと思う。ついで死と霊やスピリチュアリケアーの問題を検討してみることにしたい。死や死後の世界に関する想念は、神秘体験や神秘思想の源泉といって良いだろう。

 死と精神疾患

はじめに、死や死者をめぐって、私の臨床的な経験を2~3取り上げてみることにしたい。まず、二人のアルコール依存症の患者の死に関して述べる。45年以上も前の話しである。一例目の患者は食道癌の末期状態であった。彼が所属する断酒会の会員から神父さんの話を聞いてもらっても良いだろうかと申し出があり、本人も希望したために許可した。彼は私には酒が飲みたい、死にたくはない、もう一度女を抱きたいなどと随分勝手なことを言っていた。しかし大きな出血を起こした後の彼の死は穏やかなものであった。彼の葬儀は教会で断酒会葬として執り行われた。そこで、神父さんは、自分の話を(彼は)真剣に聞いてくれました、そして最後に死後の世界を信じますと言ってくれましたと述べられた。彼は神父さんから今でいう、スピリチュアルケアーを受けていたのである。二人目はアルコール性肝硬変の状態で高アンモニア血症のために意識障害を呈した患者である。回復したあと患者は、これまで酒のせいで随分迷惑をかけて連絡のできなくなっていた、娘たちや親戚の人たちに会ってきました。お詫びをして、みんなに許してもらいましたと嬉しそうに報告してくれた。また別の日に、彼は自分が川の前に立っていたら、川の向こう側にきれいなお花畑が見えて白い装束を着た人たちがこちらにおいでと手招きをしているのが見えた。どうしようかと思ったが行かずに戻ってきた。と述べることがあった。夢幻様の状態で出現した臨死体験である、その後間もなく彼は穏やかに亡くなった。臨死体験をした人は穏やかに死を迎えることが多いと言われている。

精神科医が接する患者の死の中で最もつらいのは自殺された時である。予期しない場合もあって、自分の無力を痛感させられる。私は精神科医として始めの10年間は受け持ちの患者の自殺はゼロであった。しかし、その後は随分多くの自殺者を出してしまった。そのことを今ここで言葉にすることは難かしい。

精神科医としてこれまで色々と難しい質問を投げかけられたが、その中でいつも返答に窮するのは、「死にたくなった、生きている意味があるのですか」という質問である。この答えのない質問に対して、私は相手の年齢や状況に合わせて答えるのだが当然ながら十分に説得力のある答えにはなっていない。真剣に生きる意味がないという人に相対して、こちらも真剣にしかし楽天的に理屈ではなく生きている意味はある、生きていってほしいし、生きましょうという事を伝えなければならないと私は考えるのだが、実際は本当に難しい。このような悩みを考え対処するために人間には宗教があり、哲学がある。さらに美しい音楽があり美術があり文学がある。また演劇や映画がある。つまり人間が連綿と繋いできた文化がある。いやそんなことを言ってみても患者の心には響かないだろう。そういうことよりも身近な人間関係にこそ生きる意味の手がかりがある。確かにその関係に苦悩して死を選ぼうとすることが多いのだが、それだけに人間関係の中で生きる意味を見いだしてもらいたいたいものだと思う。そのためにどうすればよいのだろうか、ここにも正解はない。意図しない小さなきっかけに生きる希望が生まれるかもしれない。少し未来のほんの小さな楽しみに望をつないででも、死なずに待ってもらいたいものだといつも願う。そして、日にちを設定してまた会いましょう待っていますと伝えるようにしている。

時に精神科医は身近な人物の死に遭遇した患者や、長年のパートナーだったペットの死に直面した患者の裳の作業に付き合うこともある。また時に、死んだはずの身内のものが現れて話をしたと述べる患者もいる。そうした体験をするのは多くは老人で認知症を背景に生じた、せん妄の場合である。家族は不思議がるが本人にはあたり前と受けとめられることが多い。なお、裳の時期に、正常な悲嘆の過程で故人の幻聴や幻視が出現することがあることが知られている(悲嘆幻覚)。死や死者をめぐる私のいささか精彩にかける臨床的な経験の記述はこのくらいにしておきたい。

次に統合失調症に関して、「想像の星」の著者渡辺哲夫が別の著書のなかで示している精彩にあふれる記述にもとづいてふれてみたい。渡辺は統合失調症の患者の病的な世界に出現する死と死者をめぐって興味深い二冊のモノグラフを著わしている。「知覚の呪縛―病理学的考察―」(1986年)と「死と狂気―死者の発見―」(1991年)の二冊である。30年以上も前の著書である。そのなかで、渡辺は詳細な病歴を書いて読むものを慄然とさせる。病歴というよりも精神誌と呼ぶ方がふさわしいかもしれない。統合失調症が軽症化してきていることを考えると、今後、渡辺が記述したような体験を語る重症の患者に出会う機会はめったに訪れないかもしれない。

渡辺は統合失調症患者が幻覚妄想状態の中で展開する死と死者との壮絶な関りの世界を見事に描き出している。
ここでは渡辺の記述を引用させてもらいながらそれを紹介することにしたい。

「知覚と呪縛」ではSという女性の患者の病的世界が語られる。彼女は母の死後急速に病を顕在化させ、彼女の世界の構造が変貌してゆく。彼女の体験している知覚現場は「ワラチキュー」となり、主治医も含めて、周囲の人々も「(お亡くなりになった)ワラニンゲン」であるという。つまり非生命的な複製物に過ぎないというのである。Sの述べる世界には本当の「生者」も本当の「死者」もいない。「死人」と「他界」が実体的に現前しているだけである。家は「ウチカタ」に、人は「ヒトカタ・ワラ人間」に、実の両親は「育ての親」になる。「世界中が変わって、崩れ」て没落し、「何という時代かわからなく」なり、宇宙旅行が始まり「この世が終る」。「わけのわからない、聴こえない声」が響き、「脳」は「散り」、「体は穴ぼこだらけ」になるという。ワラ地球は、「オモカゲドコロ、ワラ所、瓜二ツに見せかけたところ。家も人も何でもかんでも二重だそうです。」という、そしていま自分がいるこのワラ地球の隣に瓜二つのオトチ(お土地)があり、そこに帰る(変える)のがSの願望であるという。オトチは本来の地球でもあるようで、そこだけは宇宙旅行をしていないという。Sは直径二、三メートルの円環を回ることでオトチに帰ることがあるという。以上のような渡辺の描くSの病的世界、特にワラ地球とオトチをめぐる言説は、村上春樹のパラレルワールドの物語を想起させられるが、小説よりもはるかにおどろおどろしい世界である。

このSの「死相を帯びた世界」の出現に関して、「『名づけ』の精神史」という著書のなかで市村弘正が書いた論攷を、渡辺は「死と狂気」の中で引用している。ここでもその一部を引用させてもらう。

「…人間の内面の未知なる他者とは何か、死にほかなるまい。…死が噴出してしまった世界、全面的に他者化されてしまった世界とは、逆説的にきこえるかもしれないが、『他界』を喪失した世界である。言いかえれば、そこでは死者が本当に死滅してしまっているのである。…人間の世界が歴史をもつとは、この地上の生を超える死者たちの世界によって支えられるということであり、生の内部に『生きる死者』を抱えこみつづけるということである。他界の存在が歴史的現在を構造化するのであり、まさしく死者たちに助けられることによって生を方向づけられるのである。とすれば、一切を抹殺することによって死の影に覆われる分裂病者の世界は、一見したところとは正反対に、死者達が活躍する世界ではなく、かれらが全く死滅して活動する余地を遺さない世界なのではないだろうか。…」。

渡辺はこの市村の極めて鋭い正鵠を得た論攷を受けて、「死と狂気―死者の発見―」を執筆する。

Sと同様の壮絶な体験を語る6人の患者の、死と狂気を書き留めていく渡辺の視線の先には、柳田国男や折口信夫が展開してきた日本的な古層にさかのぼり民族的土着信仰や他界観と、この死をめぐる狂気の世界とを結び付けてみようという構想がある。この本を書く前に渡辺は、シュレーバーの「ある神経病者の回想録」を翻訳するという難業に5年をかけて取り組み、出版した。その休養もかねて読んだ、柳田や折口の精神世界に言い知れぬなつかしさと安らぎをおぼえたという。

渡辺は精神病理学や精神分析学の方法論に疑いを抱くようになり、柳田、折口らの学問に魅かれていった、特に二人の強靭な想像力と透徹した感受性、そして言葉の力によって学問を推進する姿勢を自らも体得することを目指して「死と狂気」を書いたという。渡辺は優れた精神誌を書き上げ、その考察を柳田、折口らの学問を取り入れた文化精神医学的な視点から取り組んだ。

ところで、市村が指摘するように、狂気の世界の死や死者は患者や彼らの周りの人々そのものの存在を破壊してしまい、彼らを生ける「死人」「死体」にしてしまう。そこには生きる者を見守り、支えてくれる本来の死者はいない。死者からの贈与も受けることはできず、他界も死相を帯びたものでしかない。生きる者と死者との間の会話も成立せず、歴史的な現在や歴史的な主体も成立してこない。そうした病的な世界を、日本の古層の「あの世」観的な信仰とどう関連づけていくのだろうか。そのてんに関しては後でまた少しふれてみようと思う。

患者の語る病的な言葉を渡辺はネオ=ロゴスとよぶ。それは言葉から他者性という重要な要素を排除された、独語であり、死相を帯びた言葉であり、狂気そのものでもあるという。幾つかそのネオ=ロゴスを拾ってみよう。患者の夏雄は主治医(渡辺)にむかって言う。

「オレ以外はみんな透明人間、…みんな死んじゃった、みんな死んじゃった…(常同的独語)。オレと話してるときは先生、生きてる。でももう何万回死んじゃったじゃないの!先生!ホントに生きてるの?」「オレは地球の太陽のなかで造られた人造人間、光造人間」「早く宇宙へ帰りたいよ、オレのフルサトは宇宙なんだ」「オレの体だけ消えない、…大脳のなかに生命頭波が太陽の光で入っちゃたから、もう消えることができない、地球の太陽に入れられた時から現れっぱなしだったの、生命体、オレ、…もう死にたいよ、消える人間になりたい、飛べる人間になりたい、…」「(鏡に見入りつつ)本当のボクと違うのがある、体のなかに誰かいて…(今話しているのは誰?)そうなんだ、そこが全然わかんない。オレが考えているのか、オレのなかに入ってきた何かが考えているのか、わかんない(別の時に、オレが話してんじゃない、これはオレの声じゃない、俺のなかの透明人間が話してるんだと述べている)。…ただ死にたくなっちゃう。生命があるのか無いのかオレにはわかりません、透明人間が動き出しちゃっている。オレのニセ者が死んで生まれている。」

この夏雄に関して渡辺は次のように述べている。「夏雄から発散される狂気の力に魅了されたと表現しても過言ではない。何かしら神秘的な、名状し難い魅力を夏雄はもっていた」。私はこの渡辺の感覚に共感を覚える。統合失調症患者の言動(ネオ=ロゴス)から発せられるある種の神秘的な雰囲気は、「神秘体験者の夢」といってもよさそうな妖しい魅力を持つことがある。最もその夢はここでの例のように大部分は悪夢なのだが、精神科医(すべての精神科医ではないだろうが)はそれに魅了されてしまうことがあるものである。もちろん、その神秘的雰囲気に飲み込まれてしまってはいけない。渡辺の著書を読み進めるうちに、その魅力的な悪夢に彼が飲み込まれてしまうのではないかと感じてしまうことが私にはあった。しかしここで詳しく触れる余裕はないが渡辺が試みる治療的なアプローチや治療者としての感覚を発揮しながらネオ=ロゴスを聞き取る姿勢がそれを阻止していると思える。

次に別の患者、秋子の言葉(ネオ=ロゴス)を引用してみよう。

「わたしが宇宙にいたとき、チチとわたししかいなかったから……宇宙のもっと奥なんです。土ばっかりのところで裸だったんです。そこでチチと結婚して……わたし……生まれたんです。人間が生まれて、言葉が生まれて、素晴らしいことですね。……わたし、最初のひと。言葉、大丈夫だと思います、モノつくれますから、わたし、もう、50人も子ども生んで……」「セーカン……(セーカンって何?)からだのなかに筒があって、そこから言葉が出てきたり……セーカン……言葉のことです(セーカンを漢字で書いてくれるように頼むと、秋子は指で、いろいろ書いて示してくれた。それらは、声管、性管、声感、性感、であった)」「言葉がトギレトギレになって溶けちゃうんです。……言葉が溶けて話せない……わたしの話は死人に近い声でできているからメチャメチャだって……言葉が走って出てくるんですね。飛び出してくる、……言葉が自分の性質でないんです。デコボコで、デコボコ言葉、精神のデコボコ……」

渡辺も述べているように、いささか頭が混乱してしまいそうだが、別な症例の話をもう一人だけ引用しておきたい。朝夫が母親の死後約一年が過ぎたころから、先祖の声を聴くようになり、腹の中で母が吠えるのだと言い出す。

「先祖がうつってくる、みんなボクのところに集まってきちゃう…わたしはここにいないってことなんです。……あの世です。……厳しいですね。うつってくるみたいですね。声もありますけど、肌でかんじるみたいな……先生、ボク、死なないですか?苦しんですよ、母親が苦しんでいるような……ボクのなかに先祖がはいりこんできて、お母さんもはいりこんできて……。もうメチャクチャになりそうです。先祖が毒をもったんじゃないかと思う。ミズノマセテクレーと聴こえてきて、ご先祖さまと一緒に水のんじゃったんです。……お母さんの声が吠えるように聴こえてくるんです。……先祖が自分の近くに移ってくる、遠くにいるひとが。物体を見て、自分がわかっても、先祖に盗み取られちゃうんです、両親でなくって、サムライみたいなひと」

渡辺は朝夫と彼の幼小児期の出来事、母のこと、兄弟げんかのこと、学校のことなどに関して言葉を積み重ね、二人で朝夫の過去を想起していった。そして朝夫が「オフクロ(お母さんでなく)が死んだってことと、ボクが病気になったことと、何か関係があると思うんですよ。……」と語るようになってから、死せる「母」の声も、肉薄する「先祖」の実感も、世界の没落も消滅し、以後、現在に至るまで全く出現していないという。何が起こったのか、朝夫に歴史観が復活したのだと渡辺は見る。二人でおこなった回想作業は、死者を発見し、狂気の鎮静と死者の鎮魂を同時におこなう作業でもあった。死者を見失うことによって、われわれの生を、死者の発見へと方向づけてくれる。少なくとも、そのような狂気が存在することは、明白である。と渡辺は言う。言うまでもなく、このことは朝夫だけのことではなく、夏雄や秋子も含めて、この書物で述べられている他の患者でも同様である。しかしながら、死者の発見とその復活がどの患者にも朝夫のようにうまくいくわけではない。渡辺はこの狂気のなかからの死者の発見が可能であった場合を想定して、それが柳田、折口的な民族的土着信仰や他界観に結びつけて理解できる現象であると次のように述べる。

「発見された、死者達は、われわれの心意の奥底に、始原への郷愁を喚起せずにはおかないだろう。祖先崇拝の念にせよ、土着的メシア信仰としての未来仏信仰にせよ、土着的な輪廻信仰にせよ、言霊信仰にせよ、すべて、見出された死者たちからわれわれに向けられた愛に対するわれわれの応答、始原への郷愁の表現なのである。」

しかし、渡辺が言う、土着信仰と狂気との関連がけっして単純なものでないことを押さえておかなければならない。ここでも渡辺の言葉を引用しておこう。

「言うならば、土着信仰は狂気に先行して存在し、狂気がそこに到達するのを待っている岩盤の如きものなのだ。そして、この土着信仰という岩盤に衝突し、言わば、はじき返されるとき、狂気は、土着信仰によって一定の形式を与えられるのだ、……土着信仰の力は、狂気に、おのれの似姿を与える。が、狂気と土着信仰は決して同じ形式をとらない。……“輪廻の律動”は、断続的、断片的なぎこちなさを帯びる。流転するのは生きとし生けるものの魂ではなく、「死人」ないし「死体」、「可哀そうな神さま」ないし「宇宙の迷子」であり、「この世」のなかに創造された「あの世」であり、瞬時のうちの崩壊を前提としてのみ創造される新奇な「宇宙」などである。……では狂気のなかの土着信仰は、なにゆえに、かくも残酷な変容を被るのか。言うまでもないだろう。無量無数の死者たちが、もはや助けてくれないからである。独我的救世主の出現が、真のメシア信仰の根を切断してしまったからである。生者たちと死者たちが、愛し合い、助け合い、支え合うこと、ここにこそ土着信仰の、最強度の狂気をはね返し変容せしめる力が存するのではあるまいか。また、逆に、この力の強度こそ、狂気を引きつける、狂気に対しても親和性を発揮する、土着信仰の働きを可能にしているのではあるまいか。」

渡辺はさらに患者の語るネオ=ロゴスが土着的な“言霊信仰”に類似しているという。“言霊信仰”というのは、言葉の中に神秘的な霊力が宿っていて、その霊力がものごとをじかに出現せしめる、という最も強い意味での信仰で、折口信夫の言う“たましひ”が付着している言葉への、古代人の信仰である。渡辺はこの点に関して、秋子のネオ=ロゴスをとりあげて、説明する。つまり、秋子が「声管、性管」である、「口」と“生殖器”から発せられる「言葉」が、存在を生み落とす特異な生殖力を持つと信じていることを、言霊信仰に関連させて論じている。渡辺は次のように言う、「われわれは秋子において“狂気のなかの言霊信仰”の荒々しいまでの強さを見いだす。土着的な“言霊信仰”と秋子の「言葉」にまつわる確信は強い親和力で結びついている、と言ってよいだろう。」しかし、先に述べたように狂気と土着信仰の関係は決して同じではない。秋子と土着の「言霊信仰」もまた、似ていても決して同じものではないと渡辺は言う。つまり、

「ネオ=ロゴスは、存在分節消去的に、自己分節(限定)消去的に働くという悪癖をもっている。ここには、精神史を貫通する、古代人の信じた“たましひ”がないのである。“言霊がさきわう”世界とは全く無縁の“ブツブツ”という独りごとに終わるのが、ネオ=ロゴスのさだめなのである。「声管」の生殖力、増殖力も、結局、この運命をたどる。「言葉が溶けちゃう」のである。これこそ狂気の言葉が土着的な、“言霊信仰”に衝突して変容させられ、似姿をとったことの帰結なのである。」

以上で渡辺の二冊のモノグラフの紹介を終えることとする。

私はこの拙論を書くためにしばらくぶりでこの二冊を読み返したのだが、30年近く前に初めて読んだ時に感じたと同じように、渡辺の筆力のおかげもあって、患者のネオ=ロゴスに圧倒されるような感銘を再度味わった。同時に自分のなかに生じるかすかな違和感もまた味わった。それは渡辺のせいではなく、私の中にある、柳田・折口的な日本的な土着信仰に関する個人的な違和感のせいである。もともと私は信仰ということにかすかな抵抗と違和感をもっている。日本的土着信仰にも少し距離をおいて考えたいと思ってきた。そのうえ、私は折口の小説「死者の書」の神秘的な世界にどうしてもついていけずに途中で読むことを断念した。正直に言うと、気持ち悪く感じてしまったのである。そんな、個人的な事情もあって残念ながら柳田は別としても、折口に私は苦手意識がある。たぶんそんなことも私の違和感の背景になっていそうである。渡辺の議論に一定の説得力を感じながらも、私はこの違和感をぬぐいきれないでいる。別な機会に再考したいと思う。

死と霊とスピリチュアルケアー

ここでは、はじめに死や宗教に関連した意識調査を見ておきたい。

朝日新聞の死に関するアンケートより
2010年11月4日(朝日新聞)3000人中2322人の回答
 1.人間が死んだあと霊魂が残ると思うか
       残ると思う…46%
       残ると思わない…42%

 2.宗教によって死の恐怖がやわらぐ
       やわらぐ…26%
       そうは思わない…68%

 3.死の迎え方を考えるか      
       考える…21%          
       あまり考えない…74% 

 このアンケートでは霊魂が死後残ると答えた人が46%もいたことに私は驚いている。私は霊魂というものをある種の実態を帯びて存在するものと認識することに抵抗を感じるタイプの人間である。私は特定の宗教の信者ではないという意味では宗教的な人間ではない。とは言っても私に宗教的な気持ちがまったくないというわけではない、私は漠然と太古の人類が感じていただろう信仰心に近づけたらという思いを持っている。それがどのようなものか必ずしも具体的に分かっているわけではないのだが、私は勝手に自然への深い畏怖や畏敬の念に根差した自然との一体感のようなものを考えてみている。太古としたのは先にふれた渡辺が依拠して述べている柳田国男や折口信夫の示す日本古来の「他界」に寄せる信仰心よりもさらに昔のものをイメージしてみている。ところで宗教に死の恐怖を和らげる効果を期待していないものが68%もいるというアンケート結果をはじめ私は驚くべき数値のように思った。しかしよく考えてみると、死の恐怖を信仰心で払拭すること自体無理な相談であるのかもしれないと思い直した。そうであれば我々は現代の宗教になにを期待できるのだろうか。

 次はNHK放送文化研究所が1973年から5年に一度おこなっている「日本人の意識調査」の40年の軌跡をまとめた「現代日本人の意識構造 第八版」(2015年)より、信仰・信心と宗教行動の項目から幾つかの結果を見てみることにする。

 信仰・信心の項目では、40年を通して、複数回答で、「仏」を信じる者が40%前後、「神」を信じる者が30%前後である。そのどちらかを信じている者はほぼ半数であった。

「お守り・おふだの力」「奇跡」「あの世」を信じる者はほぼ10%程度であった。「あの世」を信じる者は、1973年に7%だったが、2013年には13%と倍近くになっている。とくに1959年以降に生まれた世代は10%から20%前後の人が「あの世」を信じている。「奇跡」や「お守り・おふだの力」もやはり若い世代に信じる者が多くなっていた。

宗教的行動では、墓参りが40年を通じて、60%を超えており、2013年には72%になっていて、年に1,2回の墓参りが多い。「お守り・おふだ」「祈願」「おみくじ・占い」といった現生利益的行動は30%程度と比較的多くみられた。特に若い世代に多い傾向があった。一方で、「お祈り」「礼拝・布教」「聖書・経典を読む」などは2013年では40年前より減少していた。「お祈り」は1973年では17%だったが2013年では12%だった。

なお、信仰・信心、宗教的行動のどちらとも、男性よりも女性に多い傾向が見られた。

 若い世代に「あの世」や「奇跡」を信じる者が多いのは興味深い結果である。何故だろうと考えてみて、私が思いつくことは、彼らが接しているサブカルチャーの影響ではないだろうかということである。日本のサブカルチャーは神秘的な雰囲気を若者たちが受容し面白がることに大いに貢献していると言えるのではあるまいか。私も楽しませてもらっているのだが、それがもたらす意味合いをもう少し真剣に考えてみる必要があるのかもしれない。漫画やアニメ、ゲームなどを含めてサブカルチャーはなかなかの活況を呈しているとも見えるが、カルチャーのほうはどうだろうか、それを支える大学のおかれた環境を含めてなかなか難しい状況にあると私には思えるのだが。

調査結果に関連してもう一つだけ触れておくと、墓参りが60から70%見られている。しかし今後墓を持つ家族が次第に減っていくことが考えられるし、少子化の影響をうけて、墓を維持していけなくなることも想定されている。葬儀も次第に簡易化されてきていて、死を迎える人に対する対応や死者の弔い方が次第に変化している。日本的な死をめぐる宗教行動の変質はもしかするとこれから大きな社会問題となるかもしれない。このてんに関して、一人は社会学者の大澤真幸と、もう一人は、チェコ出身で、ターミナルケア―を専門とする学者、郷堀ヨゼフ二人の発言を引用しておきたい。

  お葬式に行くと「故人が天国で幸せにいられますように」とか言い合っているわけですが、冷めた唯物論者は天国など存在しないと思っているわけです。煎じ詰めれば天国の事も信じていないし、死んだ魂がどこかに漂っているとも思わない。しかし、それでも、葬式では、そうしたものが存在するという前提を採用しなくてはならず、そういうことを信じているかのように振るわなければならないのです。…お葬式に行ったらお葬式のマナーに合わせなければならないのです。(そうしたマナーが失われた社会から見れば、そのマナーはこの上なく有難いことであるかもしれない)(「アメリカ」河出新書、橋爪大三郎、大澤真幸 P115)」

 「社会的ネットワークは人間関係の広がりを表現している、それは死で終わるものではなく,そのつながりを表現しようとすると異界のネットワークとなる。そこには生者の世界と死者の世界が重なり両者が交流する「境界」が含まれてくる。筆者の祖国である現在のチェコは、異界を否定する傾向が強く、死後の世界を求めず、人間の世界だけで完結する世界観で、生者と死者との関係性は成り立たない。現在チェコの人口のほぼ80%は宗教と無関係である。それには第二次世界大戦後の、40年にわたる共産党政権が、教会を放置したり崩壊させ、宗教活動をほぼ禁止した状態にしたことが影響していると思われる。チェコでは死後儀式などは一切行わず、業者の死体焼却のみを行う遺族が増加し、墓を持たず散骨をのみする家族も増えている。葬儀を行わず、墓を持たないからと言って、チェコの人々が死を超越したかといえば決してそうではない。つまり死を克服したのではなく、見えないところに押し込んだだけである。その結果、不治の病などになった者の死にどう対処すべきかが課題として浮上している。死についてどう話すべき分からないと不安を抱く医師が少なくない。死者(異界)との関係性が作れないとなると、死別による悲しみを癒す術を失ったことになり、死別による打撃が大きなものになる。死者との直接的なつながりを否定し、異界及び境界を持たない(必要としない)社会では、一人ひとりの存在が誕生から死までと限定され、その分、死後どうなるかという不安よりは、生きるためのまなざしを失うことになる。天国や極楽浄土といった特定の宗教の中で醸成されてきた一種のコスモロジーをそれほど意識しなくとも、死者というカテゴリーを認め、彼らとの関係性を可能とする異界を認めていれば、一人ひとりの存在は誕生より遥かに前から始まり、一人の人の死の後も長く続く物語となるだろう。西洋社会では、死者の写真に語りかけたり、死者を見たなどと言えば精神病扱いにされかねない。(「異界とのネットワーク」郷堀ヨゼフ、「進化する妖怪文化研究」小松和彦編、P376~)」

 葬式のマナーが失われた社会では困るだろうという、大澤の懸念がまさに的中してしまっているチェコにおける郷堀の体験はいろいろと考えさせられるものがある。死者とのつながりを否定した社会では、特に死とどう向き合うかという切実な問題が対処の術を失ってしまう。医師は死の宣告をどうするか困ってしまうし、死にゆくものがそれをどう受けとめるか、また死別による悲しみをどう癒すか途方にくれてしまうという。ターミナルケアを専門とする郷堀にとっては祖国の現状は重い問題を提起してくる、悩みの種であろうと思われる。それは他国のことと言って済まされない問題をはらんでいるように私は思う。

ターミナルケアを含めてこのような死をめぐる問題を考えてみる時にWHOが健康の定義のなかにspiritual(スピリチュアル、霊的)という見方を導入しようとしたことは極めて示唆的である。1998年にアフリカ諸国が中心となって、その提案がなされたが、翌年の総会で、アメリカを中心に先進諸国が待ったをかけて、この件は事務局預かりになっている。ところで、わが国では、最近になってスピリチュアルケアの問題がしばしば話題に登るようになってきた。それ自身は歓迎すべきことである。精神医学のなかでも、たとえば、2015年8月の精神神経学雑誌で「精神医療におけるスピリチュアリティとレジリエンス」という特集が組まれている。そのなかで、宗教学者である、島薗進が「スピリチュアルケアの役割とレジリエンス」という論文を書いている。島薗によると、スピリチュアルケアの主要な目標は、病む人自身の力をひきだすことである、その力は、合理的な手段を超えた「いのちの働き(霊的な力)」と捉えられることが多い、「いのち」という語は生物学的な「生命」を超えた領域に触れ、総合的・超越的次元を含んだ生命的なものを指すときに用いられる。そのような「いのちの働き(霊的な力)」に向かう姿勢が「スピリチュアリティ」と呼ばれる。そしてこのスピリチュアリティの作用を、「人間・共同体・社会の側の柔軟な回復力」と理解すればそれは「レジリエンス」と呼ばれることになると島薗は言う。さらに島薗は次のように述べる、

「かつて宗教者は、自分自身の力を超えた神や仏の霊的な力を信じることを勧め、それによって病む者、苦しむ者を支援しようとした。ここでは立ち直る力はもっぱら向こう側からやってくることになる。…だが、現在のスピリチュアルケアにおいては、たとえ向こう側からの力こそが回復をもたらすと信じていても、まずは病む者、苦しむ者自身のレジリエンスを信頼するという姿勢をとることが優先される。…ケアする側にとってはレジリエンスの現れが、希望であり支えともなるのだ。とはいえ、なかなかレジリエンスが現れてこない場合が想定できる。死にゆく人のケアにおいても、悲嘆にくれる人のケアにおいても、むしろスピリチュアルペインに向き合うことが常態となるだろう。そして容易に克服できない事態をそのままに受け入れることを学びとっていくプロセスが必要になる。ここで弱さこそが力の源泉になるという逆説的な事態が経験されることが多い。これはスピリチュアルケアにおいて重要なプロセスの一つだが、レジリエンスのある局面を照らし出すものだろう」。

さらに島薗はこうしたスピリチュアリティとレジリエンスの双方を尊重しながら、在宅での死の看取りをおこない、さまざまの創意工夫をした仙台の故岡部健医師の紹介をおこなっている。岡部は、死を間近にした人たちが、穏やかに安らぎとともに死んでいけるために、宗教者こそが力になると信じ、臨床宗教師の教育プログラムの実現に貢献した。そうした岡部のケアへの姿勢は、東日本大震災後の「心の相談室」やカフェ・デ・モンクの活動に受け継がれている。私は島薗の考えに共感するのであるが、とくにレジリエンスを考える時に弱さこそが力の源泉になるという見方は極めて重要な指摘だと思う。私は以前に松岡正剛の「フラジャイル 弱さからの出発」(1995年)という書物に衝撃を受けたことを思い出しながらもう少しこのてんを考えてみたいと思っている。

 6)おわりに

以上で、この小論を終わりにしたい。引用の多い論考で、特に渡辺哲夫の著書から多くの引用をさせていただいた、感謝したい。言うまでもないが、考察や解釈に関してはすべて私の責任である。論考はまだまだ十分なものとは言えず、たとえば「神秘体験親和性パーソナリティー」のことなどは今後あらためて考え直す必要がありそうだ。残された課題も多い。できたら、精神医学から少し離れてこの問題を考えてみたいとも思う。ここでは触れることができなかったが、井筒俊彦の哲学や、宮沢賢治の著書などを取り上げて考えてみたいと思っている。また日本の柳田、折口的な土着信仰を含めて、宗教的な面での見識をもう少し深めて考えてみたい。西洋や東洋の思想をより深く理解するためには、それぞれの思想の源流の一端を為す、宗教的、神秘的な流れに対する見識が必要ではないかと思う。それは民族や宗教的対立を背景にした現在の政治的な危機や紛争を考える場合にも同じく必要なことである。

 

 

 

 

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